前略、不良債権の自分へ
私が社会人になったのは2008年でした。同年9月、リーマンショックが起こり世間は大混乱。この年、工事関連企業の約半数が倒産(通建新聞調べ)。当時工事関係の仕事だった故に関係先は何社も潰れ、社内も連日てんやわんや。入社してすぐに大不況に陥った訳で、私の社会人生活は暗雲立ちこめる中スタートを切ったのでした。
将来の夢は教員になる事だったので、一般企業への就職を全く考えておらず適当に大学生活を送ってしまいました。大学1年の時点で教員コースの内進に落ちて、半ばヤケクソになっていた私は図書館に閉じこもってあらゆる本を読み漁る毎日を送っておりました。ハードボイルドなぞ1mmも共感できなかったくせに村上春樹を読破し、「やれやれ」と心の中でつぶやくいけすかない野郎だった私も、4年生になれば自然と「進路」について考えねばならぬ状況に追い込まれ仕方なく就職先を探すことに。しかし、まだ教育関係への憧れを捨てきれず「大学院に逃げよう」と修士へ進もうと舵を切ったところ、担当教授から「君は哲学の研究者ではなく哲学者になってしまうからダメだ。就職したまえ」とあえなく修士への道は途絶えてしまったのです。
そんなこんなで一般企業への就職をしなくてはならなくなったのですが、全くイメージしていなかった上に不況で文系の大学生なぞいらんぜよ!と企業側から全面拒否を食らった私の元には、内定通知なんてキラキラした書類は届かず4年生の夏休みが終わった時点で内定ゼロ。こりゃまずいなーと思っても、一向に内定は貰えず余計に就職には消極的になり、連日酔い潰れて一升瓶を抱えながら眠る状態が続きました。それでもなんとか貰った内定先も、新人研修があさま山荘で行われたバリバリの体育会系だったので配属初日に退職届を出して逃亡。沢木耕太郎は出社前に引き返したので私よりも決断が早かったけれど、その次くらいの早さで内定先を辞めてめでたく自宅警備員に・・・まあ、当然そんな状況が心地よいはずもなく、卒業した4月時点で「転職活動」みたいな事をしなくてはならなくなった訳です。
内定?は、案外早く卒業した年の5月末に貰えました。営業職は嫌だと思っていましたが、四の五の言っていられない状況だったので快諾して6月に配属先も決定。その会社には5年程お世話になり、今でも当時の仲が良かった同僚とは交流があり人に恵まれた会社だったなと思います。(まあ異動先では超絶パワハラ受けたので、異動先の上司は今でも恨んでいるというか、いつか告訴するつもりで会社にも伝えてあるけれど)
私は所謂、就職氷河期第二弾!みたいな状態で社会に出ました。入社した会社は全盛期には1000人を超える従業員も居て、新卒でも賞与がたくさん貰えたという話を先輩社員から聞きましたが、どれも神話のように聞こえました。繁忙期には月300時間を軽く超える労働環境だったにも関わらず残業代はゼロ。毎月1円も増えない給与明細にため息をつきながらの生活でした。一人暮らしだったので、給料日には家賃も引き落とされて手元にはわずかなお金だけ。ボーナス?なんて1度もまともに貰った事がありません。残念ながら起業するまで色々な会社に所属しましたが、「賞与」らしい賞与を貰った事が無いのです。悲しい。世間では2カ月とか賞与が出るみたいですが、私は貰えても0.5カ月くらいの賞与だったのでほぼ寸志。賞与が無い会社や年もあったので、ボーナス月は余計に悲しい気分になったものでした。
貧すれば鈍する。とはよく言ったもので、ワープワ生活が長いと思考回路がどんどん鈍化していき「最早、自分でも自分自身を把握できない」という訳の分からない状態に陥ります。28歳の時に再度大学受験をするも落ちて、結局は就職活動。戦える武器を持たない丸腰な私を拾ってくれるのは自転車屋くらいなもので、その年末に貯金が底を尽きるギリギリのところで拾ってもらった自転車屋に就職。しかし「毎月のように人が辞めては入って来る」という定着率の悪さに不安を感じ、更には正社員採用だったはずが社長から渡された書類には「1年契約の契約社員」とあり辞める意思を固めて1年で転職。「日本が悪いんだ日本が!」と、もう半狂乱状態だった私は外資系企業に就職。正社員になったものの今度は上層部で内紛が起きて副社長が解雇されるという異常事態で、日本支社も空中分解状態に。港区の日本支社から「成田空港へ転属」と言い渡され「通勤が始発かオートバイ」という事実上の解雇通達だったので退職。ここで完全に一人暮らしは経済的に不可能になり、実家に帰ることになりました。
と、まあ私のどうでもいい社会人生活について書きましたが、いつも感じているのは「生きてると人間ってコストがかかる」という事。税金もですが、お腹も空くし住む場所もお金が必要。決して贅沢な暮らしはしていません(経済的に不可能)が、生命のコスト>収入。に近い生活なので「もう生きているだけで赤字」なんだなと。すなわち不良債権な私はどこかで清算をしないといけないとずっと思っています。元来、勤勉なタイプでは無いですがそれなりに仕事は真面目に取り組んできました。ですが結果が伴わない・・・20代はずっと苦しかった。長い長い20代でした。30代になっても相変わらずですが、時間の経過が体感として早いのでまだ少し楽ですね。もっと勤勉で怠らない生活を送らないといけないなと、骨身に染みる2024年の幕開けです。さあ、ここから巻き返す!
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