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当たり障りなさ

お酒を飲みながら絵を描くことができるという「Art Ber」なるお店を訪れた。
自由に書くというよりはワークショップ的な形式で、ゴッホの作品であるアイリスの絵をテーマに、先生の指導の下、参加者が手順に沿って絵を描き進めていく感じだった。

出来上がった自分の作品を見て、自分がどんな生き方をしてきたのか、滲み出ていると思った。

一言でいえば、当たり障りのない感じ。

ほかの人から評価された訳ではない。むしろ、自己評価がそれであることがポイントである。

今日はそんなことについて書こうと思う。

絵に反映された私の当たり障りの無さは、自分なりに色々考えた結果であることも事実である。

絵を描いている最中、先生が、お手本通りに書こうとしなくて良いんですよ。隣の人と違うものが出来上がったら、それは良い作品です、と話していた。

私は、背景の色を奇抜な色にしてしまおうかな、と思ったが、そもそも派手な色があまり好みではないのと、初回だし、基本に忠実に行こう、と考えた。ただ、お手本と全く一緒でも面白みがないかな、と思い、花瓶の色と花の色は別の色にした。

花瓶に関しては、ただ青い花瓶が書きたかった。花の色は、お手本は青だったが、自分のは花瓶が青色なので、紫に。

自分の考えに基づいて決めたといえばそうなのだが、その場では、「オリジナリティがあった方が良い雰囲気」が確かに存在していたし、そもそも、お手本と一緒だと面白くない、というのは心から自分が思ったことだったんだろうか。もっといえば、お手本と一緒の作品には価値がないのだろうか。

幼少期から、「(枠組みからは大きく逸脱しない程度に)自分らしさを出していきましょう」というメッセージを受け取ってきた。それに応えることで、成績の向上や周りからの評価が期待できることもあって、結果的に、無難すぎず冒険もしすぎない、「ちょうどよい」ものが生み出される。

何が求められているのかを察して、見合った答えを出す、ということは、少なくとも学生のうちは通用してきたし、比較的得意だったような気がする。

国語のテストなんてまさにそうだ。よく、解釈に正解はないと聞くが、テストにはもちろん正解があるし、出題者が意図していることを読み取りつつ、自分らしさっぽい表現を使えば、点がもらえる。それをテクニックだけではなく感覚でできたこともあって、だから得意だったんだろう。

自分らしさとは、発揮しようと意気込んで発揮するものではないと思っている。隠そうとしても、どうしても明らかになってしまうのが”らしさ”なんじゃないだろうか。

今の世の中で、個性を発揮したり、「自分らしく」働いたりすることは良いことで、それと対になるものとして、組織の中で自分を抑えて、枠組みにはまった生き方はつまらないことだ、といった風潮を感じる。
終身雇用制度の崩壊等により、これまで良いとされてきた生き方は通用しづらくなっている、というのはその通りだとは思う。

ただ、個性や自分らしさを強調するあまり、誰でも多少なりとも持っているであろう、「自分は何か人と違った才覚があり、特別だと思いたい気持ち」を利用した商売が多すぎる気もする。
あなたは気づいていないだけで、特別な才能があります。天職を見つけましょう。確かにそういわれたらワクワクする感じがする。

アイデンティティ、自分らしさを大事にして、敷かれたレールの上を歩くのではなく、自分の人生を生きよう。もちろん素敵なことだと思うし、抑圧に苦しんできた人にとっては背中押しになることであろう。(私も実際、そんな言葉に背中を押してもらったことがある)

ただ、あるサラリーマンがいたとして、その人は自分の選択に満足しているのに、そのままでいいのかとか、独立したらもっと稼げて自由な生き方ができるのに、といったメッセージを送り続けるのはどうなんだろうか。

自発的にそうなるのであればよいのだが、「自分の色を出さなければならない」ことが強要されているように感じると、違和感を持ってしまう。

無難でも地味でも、他の人と被っていても、自分が良いと思ったのなら良いではないか。

自分らしさや個性がこれだけ叫ばれるようになったのは、日本人が長らく、西洋と比較すると極端に自分を抑えて、他者や組織、社会のために貢献しようと尽力してきたことが背景にあるのだと思う。

もちろんそういったものから解放されることで幸せになる人がたくさんいるのだろう。

ただ、近年のSNSや(本質的でない)自己啓発本等の影響を受けて、個性を発揮しようとする動機が、「そうすることが良いとされているから」となってしまうと、結局は周りからどう見られているのか、という判断基準になり、本末転倒なのではと思う。

私自身は、自分らしさ、個性の発揮をわざとやっていると、あ~やっちまったという感じで、後から恥ずかしくなってしまうので、できるだけそんなことは避けたいと思っている。
なぜそう思うのかは長くなりそうなので別の記事にまとめるつもりである。

当たり障りのない選択ができることも長所と捉えて、個性の強要に屈せず頑張っていきたい。

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