海へ行った話。
海へ行ってきた。
快晴の続く、ゴールデンウィーク。飛び石のカレンダー通りに仕事をして、特段大きなイベントや行楽も無く、もう連休は終わろうとしていた。金曜日の夜。
ベランダに吹く夜風は穏やかで、東京の夜空にもちらちらと星が光っていた。天気予報によれば、明日もよく晴れて行楽日和になるらしかった。
スマホに表示された「晴れ」のマークを見て、私はおもむろにソファから立ち上がり、トートバッグにタオルとビーチサンダル、レジャーシートと日焼け止めを放り込むと、目覚ましをセットしてベッドに潜り込んだ。
「海へ、行こう」
列車の時刻表を調べる。11時、東京駅発なら、ゆっくり寝ても間に合いそうだ、とスクリーンショットを撮っておく。
ちょうど2年前にも、都会から逃げ出したくて、そうやって突発的に海へ出かけたことがあった。
東京から特急で2時間。千葉の勝浦の、もう少し先にある海辺。
「東京 日帰り 海」で検索して、たまたま行き着いた場所だったのに、予想をはるかに上回って素敵だったその小さくて穏やかな浜辺は、当時仕事や日常の色々で気疲れし、落ち込んでいた私のため息を、すっかり受け止めてくれた。
それ以来、街にいても時折あの海岸での時間が蘇る瞬間があって、いつか再訪したいと思っていた。春と夏の狭間の、限られた美しい季節がまたやってきて、今回は特段落ち込んでいるとか、深い悩みがあるとかというわけではないのだけれど、この気候の中行けたらきっとよい。と確信があって、私の2度目の突発的な海行きが決まったのだった。
---
翌朝、早めにセットした目覚ましの甲斐なく、30分寝過ごして飛び起きた。まだ間に合う、と、昨日詰めておいた荷物を持って慌ただしく家を出る。
なんとか、予定時刻に、東京駅で列車に乗り込んで安堵する。5月の光に照らされた東京の風景が、車窓を流れていく。
東京で働くこと、生活することは、どこかランニングマシンの上を走り続けることに似ている。時折、そのマシンから足を外して、ふっと気を休めることができるような、エスケープゾーンへ入りたいと思うことは誰しもあると思う。
旅をすること、東京から強制的に離れて自分の体を別の場所へ持っていくことは、それに対しての最も効果的な方法の一つであると思う。
荷物を持って家のドアを開けるとき。
特急電車の窓際シートに腰を落ち着けたとき。
窓から見える景色が、田園風景に変わって行くとき。
列車の中にいる乗客の、それぞれの"旅に出る理由"に、想いを馳せるとき。
そのひとつひとつに、胸が高鳴る瞬間があって、少しずつ肩に入っていた力が軽くなるような感覚があって、そしてひとり旅ならばなおさら、そんな自分の感情の変化に向き合う時間が贅沢にあったりする。そんな心の機微を、こぼれてきた言葉を拾うようにしてノートに書き留めるのが私は好きだったりする。
---
イヤホンから流れる音楽を聞きながら、頬杖をついて窓の外を眺めていると、広々と続く地平線の向こうに、ほんのりと青が見えた。
「海だ、、!」
まるで子供のような純粋な喜びが胸の中に湧いて、次の瞬間、じわりと涙が出た。海へ、やってきた。
感覚が、いつもより繊細になることも、きっと、旅の魔法かもしれない。
勝沼駅で、「わかしお」を降り、外房線に乗り換えた。2駅先の、上総興津(かずさおきつ)という駅が目的地だ。
その街は、2年前と変わらない表情で私を迎えてくれた。日に焼けた、白木の駅舎に、小さなロータリー。ぽつぽつと飲食店の並ぶ駅前の通り。ひなびた小さな書店と、コンビニが一つ。その先にある、路地をつっきれば、もう浜辺が待っているはずだ。
駅前の小さなたい焼きやさんでクリーム入りのたいやきを買う。カリッとした表面に、中にたっぷりと詰まったクリームが、美味しくて、あれ、これはなんだか完璧な幸せだな、なんて思う。
一人ぼっちで海に行く、なんて、ゴールデンウィークの過ごし方としては、推奨されるべきプランではないのだろうけれど、今の私にはこれが一番、幸せな選択肢に思えた。
幸せの尺度は人それぞれだから、そのとき自分にぴったりな幸せの形を、見つけるのが大切なのかもな、なんて思ったり。
そんなことを考えながら、たい焼きの最後の一口、しっぽの部分をひょいと口に放り込んで海までの道を行く。
路地の影を抜けて、辿り着いた先には、期待を裏切らない風景が待っていた。澄んだブルーに、白い砂浜、ハマヒルガオの柔らかい花畑。
連休中にも関わらず浜辺はさほど混雑しておらず、ゆったりとテントでくつろぐ家族連れや、潮干狩りに夢中の子供たち、犬を散歩する地元の住人などが、心地よい距離感で点在していた。見渡す限りに、気持ちの良い時間が流れている。
---
小さな丘の上に荷物を置くと、ビーチサンダルをつっかけて波打ち際へ向かった。
波打ち際に立って、ぼうっと、グラデーションを描く青を眺める。
濃いマリンブルーから、アクアブルーの水色へと繋がり、メロンソーダのような明るいグリーンから、徐々に浅瀬に向かうにつれて透明になってゆき、私の足元を白い小さな波になって濡らす。
惜しげもない太陽の光が、透明な水をきらめかせている、その眩しさを瞼の裏に焼き付けて目を閉じる。
足や手を水につけてみると、ひんやりと冷たく、だけれど海の一部に繋がったような気がして、どこかほっとするような感覚があった。
泳ぎたくなる気持ちを抑えながらも、足先だけ、水に揺れる感覚を楽しむ。
うっかり波をかぶって濡らしてしまったスカートの裾を乾かしながら、浜辺にシートを敷いて寝転んだ。
背中に砂浜の温かさが伝わる。上に広がる空が、雲ひとつなく、カンと晴れていた。その水色のなかをきれいな円弧を描いて飛ぶトンビを目で追う。
何ひとつ制限されず、何一つ急かされず、ただただ、自由だけがそこにあった。
何もかも許容してくれるような、海の広さだけが、確かにそこにあった。
もし、東京で何かに疲れている人がいたら、私は少しばかりの自信を持って、この場所へ来ることを勧める。ここに来たら、自分を縛るものから、きっと少し解放されるに違いないから。
同じ場所でなくたっていい。どうか、自分が逃げられる場所を見つけて欲しいと思う。気持ちが軽くなって、東京で悩んでいたことが小さく感じられて、心の風通しを良くできるような場所を。
もう一度、戦いに戻る気持ちを、充電できるような場所を。
2年前と同じ、コスモスの咲く線路を照らす夕日を見ながら、東京へと戻る電車に乗り込んだ。
潮風に吹かれて少しぱさついた髪と、ほてった肌を連れて。
---
「興津海水浴場」
JR外房線上総興津駅から徒歩2分
http://www.katsuura-sanpo.com/facilities/see-play/post-1389/
タイ焼きやさん
「タイ焼き イワセ」
http://www.katsuura-sanpo.com/facilities/eat/post-1246/