叫び、について
叫びたい、という衝動に取り付かれている。
叫びたい。
とにかく大声で叫びたいのだ。
「わああああああーーーーー!!!!」とか、
「アーッッッッッッッッッ!!!」とか、
「ウワァああああああああーーーー!!!」とか。
この衝動は、昨晩、突如生まれた。
いつものように、夜中の12時をまわったころに仕事を終え、自宅へと自転車で帰る途中に(私の家と勤め先は自転車で10分という奇跡の近さである)、突然叫びたくなったのである。大きな声で。思いっ切り。
海などに向かって、腹から声を振り絞って叫びたい。バカやろー!!!とか、好きだー!!!とか、そんな言葉が付随していてもよい。とにかく、あらん限りの声で叫びたいと思ったのである。
そうなるともう、叫んでいるシーンが脳内で再生されて止まらなくなった。海は少し雲っていて灰色なのがよい。長い防波堤が沖に向かって伸びていて、その上を走りながら、息を切らせた上で、先端で体を二つに折るようにして叫び切るのがよい。もちろん誰もいないのが望ましい。山でヤッホーと叫ぶのも気持ちがよさそうだが、それは今回の気持ちにはややそぐわない。ヤッホーという朗らかさがあってはいけない気がするのだ。もっと、切羽詰まった感じがよい。
ああ、叫びたい。
映画のワンシーンのように叫びたい。制服を着ている10代の少年少女のように叫びたい。ドラマや映画の中で人はよく叫んでいるけれど、私は果たして今までの人生で叫んだことが未だかつてあっただろうか? 叫ぶという機能を持ちながらも、その体を使ったことが一度たりともないのではないか?
今まで生きていたなかで、最も大きい声を出したのはいつだろう。恐らく学芸会の発声練習だという気がする。あれは、校庭の端から端までセリフが聞き取れるくらいの声を出すという練習で、今思えばとても素晴らしい練習だった。何しろ大声で叫んで良いのだ。怒られることはない、顰蹙を買うこともない。大きければ大きいほど、褒められるのだ。
ああ、あの瞬間に戻って今すぐ叫びたい。
自転車を漕ぎながら、私は叫びたい衝動をどう殺していいか分からず、膨れ上がるもどかしさを抱えていた。そこで、少しでも気を休めるために、対向車線から車が来るそのすれ違いざまに、車の音にかき消される程度の声で「アー」と言ってみることにした。
「アー」
いい感じである。声を少しでも発することによって、
叫びたい気持ちの5%ぐらい消化できた気がする。
「アー」
車とすれ違うごとに、まわりにバレないギリギリのボリュームで、発声する。まぁ、いい感じである。そして、私は家に着いた。
「アー」作戦で、25%くらいの叫びたい衝動をやりすごしたが、残り75%ぐらいの欲求は抱えたまま、その日は眠りについた。
しかし。
この「叫びたい」衝動は、今日になり、さらにそのボルテージを上げて襲いかかって来たのだ。
今度は、発作のようにして。
しかも、就業中にである。
職場で、じっとPCに向き合うこと、本日も13時間。集中力も切れかかって来た23時過ぎに、そいつはやってきた。
「叫びたい」
「すげぇ叫びたい」
しかしここは職場である。4名ほどの小さなデザイン事務所で、私を除く3名は、全員無言でPCに向かっている。カタカタ、カチッ、カチッ、カタカタ、というタイピングとクリックの音が響くのみだ。
いや、正確には、一日中流しっぱなしになっているラジオの音があるのだったが、このラジオの音では私の叫び声をかき消すことなど到底できない。叫んだら、確実に頭のおかしい人だと思われる。ついに、壊れた、と。精神が崩壊した、と思われるだろう。そして私は職を失うこととなる……。
ダメだ。叫びたい。それでもかなりな度合いで叫びたい。
私はトイレに逃げ込む事にした。
(あーーーーーーーーーーーーーー)
声を出せないので、無声音にてあーーーと言ってみる。
これは逆効果だ。叫びたい感じが余計に際立ってきてしまった。
やばい。
仕方なく席へ戻るも、もう頭の中は叫びでいっぱいだ。理想の叫びのシーンが次から次へと脳内で繰り広げられる。
やばい。
私は席を立って、物置きへと再び逃げ込んだ。
ここは、4畳ほどの小さなストックスペースで、過去の作品や掃除用具やらが雑多に置かれた小部屋なのだが、そこで片付けをするふりをして体を動かし、どうにか身体的な動きによって叫びの衝動を抑えようとした。
しかし、デザイン業務が立て込んでいるときに呑気に倉庫の掃除などをしていたら「あいつは仕事の優先順位もつけられない奴だ」と先輩に思われてしまう。それはそれでやばい。PCの前に戻らなくては……。
席に戻って着席した。画面を開く。レイアウト作業に戻る。
ここで、私は自分の足が小刻みに震えていることに気付いた。何という事だ。叫びたいあまりに、禁煙や禁酒に苦しむ人かのように手足が震えている。これは末期症状だ。
お願いだ、あと30分持ってくれ。メンタルが弱いと見せかけて結構実は健康なのが自分の取り柄ではないか。身体症状に出るなんて、今までに無い。あと30分我慢すれば帰れる。何事もなく終わってくれ。私は祈った。
祈りが通じたのか、それから5分ほどして先輩が帰る支度を始めた。彼女が上がれば、私を含め他の若手スタッフも上がる事ができるのがいつものルールだ。
オーケーオーケー、帰れる。
帰れる。
でも……叫べない。
この東京シティでは叫ぶ場所がない。私には与えられていない。どこにも。
12時過ぎの夜道で叫ぼうものなら、必ずや近隣の住民に聞こえる。ちょうど眠りにつこうという人を、目覚めさせてしまうかもしれない。危険な目にあって悲鳴を上げているのかと思って、通報してしまう人がいるかもしれない。
なるべく人様に迷惑はかけたくないので、この時間、この場所で叫ぶことは我慢しなくてはならない。
どうしたら……どうしたらいい……
気付くと私はカラオケボックスにいた。
自宅を通り過ぎ、さらに5分自転車を走らせ、駅前の繁華街の「カラオケの鉄人」にいた。
息を切らせて入店する。
「会員証はお作りになりますか?」
「いいえ、結構です」
利用時間 0.5時間、と書き込んで、私は伝票を握りしめ指定の部屋へと駆け込んだ。
ここでなら、叫べる。
「うアアアアアアアアアアアアアアアあ!」と叫んでもいいのだ!ここは防音室なのだから!!!
しかし、その考えは浅はかであった。
防音室といえども、近くの部屋の声が、筒抜けなのである。
例えば隣の504号室は、「走る〜走る〜俺たち〜……」と、爆風スランプを歌っている。かなりな声量の持ち主なのか、もはや部屋の中に一緒にいるのかと錯覚するくらいのクリアさだ。
気持ち良さそうである。
しかし、ダメだ。ここも守られてはいない場所だということが分かってしまった。歌声が漏れるならいいが、意味も分からない叫び声が聞こえてきたら、心配してスタッフが駆けつけてしまうかもしれない。
何を勘違いしていたのだろう。ここは歌を歌う場所なのであって、叫ぶための場所ではないのだ……。
……。
私は、仕方なく、自分の好きな曲を入れて30分を過ごすことにした。
友人とのカラオケでは空気を読んでいれないような、暗めの曲をいくつか送信し、そこそこな感じで歌い上げる。下手だが、よい。声という機能を使ってあげているという、実感はある。
それなりに満足感を得て、私はカラオケボックスを後にした。
しかし、本来の目的は果たせていない。あぁ、今日もついに叫べなかった。
夜風を受けて自転車をこぎながら、
私は「明日が来るのがこわい」、そう思った。
再び、叫びの衝動に襲われるのだろうか? また手足が小刻みに震え、胸焼けのように、叫びたい気持ちが迫り上がってくるのだろうか?
どうしたら……どうしたらいい……
家のドアを開けると、私はそのまま自室へ向かった。
空腹も忘れ、PCの前に座り、ダダダダダとタイピングを始める。
「わああああああーーーーー!!!!」
文字に、する。叫びを文字にする。
言葉という形に託して、私はその衝動を、画面に叩き付けた。
言葉があれば、そこに海辺が現れ、私は制服を着た10代の少女に戻ることができる。
雨に打たれながら防波堤を走ることも、波間に声を投げつけることもできる。
これだ。
今、できうる、最大の叫びはこれだ。
私は、言葉があることに感謝した。
そして、いま、ここに至る。
書き終え、ひとつ大きなため息をつく。
眠ろう。
夕食をとって、そして猫と眠ろう。