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ウクライナ人の民族自決のための闘い

左派系の雑誌『Spectre』のウエブ版に『ウクライナ人の民族自決のための闘い』のタイトルで掲載されていたユリヤ・ユルチェンコ氏のインタビュー記事を訳出して紹介する(2022年4月11日付)。ウクライナのマルクス主義者の立場から今回のロシア侵攻とウクライナの抵抗闘争をどう考えるかが語られているが、一番の特徴は、ウクライナの闘いを「ロシア帝国に対する民族解放闘争」としてとらえている点にあるだろう。極右のアゾフ大隊への評価などを含むその他の論点では先に紹介した『ロシアのプロパガンダ』とほとんど重なっているが、ここは議論が別れるところかも知れない。しかし多くのヒントを与えてくれる視点であるのは確かである。また私たちも「ウクライナの現実と『絶対平和主義』の罠」で指摘した「ロシア、ウクライナどっちもどっち論」の問題がきちんと批判されいてるところも参考になる。なお本サイトに翻訳を掲載することについて『Spectre』誌の了解をお願いしているが、残念ながら今日現在まだ返答がない。そこで変則的なかたちだが、もし不承知の連絡がはいれば削除することを前提に掲載することにしたい。本文の段落は掲載通りに設定している。ユルチェンコ氏は2018年に『ウクライナと資本の帝国』を出版しているが、その前年に自著を紹介する動画が『Yuliya Yurchenko- Ukraine and the Empire of Capitalyoutube』というタイトルでyoutubeに上がっているのでリンクをはっておく。

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『Spectre』のアシュレー・スミス が、『ウクライナと資本の帝国:市場化から武力紛争へ』(Ukraine and the Empire of Capital : From Marketization to Armed Conflict(Pluto, 2018))の著者であるユリヤ・ユルチェンコ氏に話を聞いた。彼女はウクライナ在住でmイギリスのグリニッジ大学の公共サービス国際研究ユニット、ビジネスネットワーク分析センター、政治研究センターの研究者である。
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Q. この戦争の中で、ウクライナの人々は今、どのような状況にあるのでしょうか。ロシアの侵攻に対する軍や市民の抵抗はどのような状況なのでしょうか。

まず最初に、ウクライナ人として、また左翼の視点からこの戦争と抵抗の話ができるのを本当に嬉しく思っていることをお伝えしたい。ロシアの砲撃により、マリウポルをはじめとする都市全体が深刻な被害を受け、数え切れないほどの人たちが亡くなっていることは、誰もが知っていることだと思います。ロシア軍とそのミサイル攻撃によって、膨大な数の難民が国外に追いやられ、さらに多くの人たちが土地を追われています。正確な人数は誰も分かりません。

何百万人もの人々が難民として周辺諸国に逃れていますが、幸いにも歓迎され、避難所や援助が与えられています。ですが、白人以外の移民や難民がブロックされたり、列の後ろに回されたりする例が出てきていて、国境での醜い衝突を生んでいます。

私は今、キエフとリヴィウのほぼ中間に位置するヴィニツィアにいます。ウクライナの中でも静かな街と言われています。ロシアのミサイルに襲われたことはありますが、他の場所ほど頻繁ではありません。国内からの避難民も多く、学校、ホテル、賃貸アパート、人家などに住居を見つけることができて、ボランティアのネットワークが、彼らに食料、衣料、医薬品を提供しています。

戒厳令が発令されて以降、軍のために医薬品が徴発されたため、医薬品へのアクセスが緊急の問題になっています。かかりつけの医師に診てもらうことができず、供給も不足している状態では、インシュリンなどの処方箋が手に入らず深刻な状態です。

ですから、国内避難民の人たちは、ボランティアの助けがあっても、深刻な健康問題に直面するのです。戦争がもたらした被害の大きさは、戦争が終わってからでないと分かりません。しかし、大量の人たちが、生命、健康、特に精神的面で膨大な犠牲を払っているのです。

それにもかかわらず、抵抗は大規模に展開されています。大勢の人たちが兵役に志願し、軍が実際に収容できる以上の人数になっています。今のところ、軍事訓練の経験がない人たちは追い返されています。

つまり、旧ソ連体制下で戦闘訓練を受けた、武装レジスタンスに参加する意思のある大量の人たちが予備役として存在しているのです。ロシアはそれを誇ることなどできないでしょう。なぜならロシア人は、予備役を招集する確信がない、つまりわずかばかりの帝国神話を除いて、闘うための説得力のある理由を持っていないからです。

だが私たちウクライナ人にとって、これは実存をかけた闘いなのです。この国のアイデンティティ、領土の境界、そして存在そのものが今まさに攻撃を受けています。だから、ロシアは圧倒的に軍事的に優位だったにもかかわらず、ウクライナの人たちの国を守るための全国的な連帯と動員で後退を余儀なくされいて、その闘いは素晴らしいものになったのです。

戦争に伴う非人間的影響、性的暴力、国土のいたるとこで発生している破壊の意気消沈させる画像、映像、物語が避けられないにもかかわらず、人々は諦めてはいません。私たちは自力で、ロシアの侵略を退けているのです。私たちがとても誇らしい気持ちになるのは、この民衆の抵抗があるからです。
ウクライナで最も楽観的で愛国的な人たちの間でさえ、これほど軍人と市民の抵抗が起こると予想した人はほとんどいませんでした。これは西側諸国にとっても驚きでした。彼らは、ロシアの侵攻の脅しを軽視していたし、ウクライナはすぐにでも屈服すると考えていたのです。「衝突は確かに悲惨なものになるだろうが、2週間もすれば終わるだろう」と考えていたのです。

プーチンもそう考えていました。だから、ウクライナの頑強な抵抗は世界に衝撃を与えたのです。しかし、実際には、驚くべきことではなかったのです。というのは、ロシアは、ロシア帝国主義に対するウクライナ人の数世紀にもわたる闘いに深く根ざした抵抗運動を呼び起こす引き金を引いたからです。

Q.おっしゃるように 顕著だったのは、ウクライナのロシア語圏での抵抗です。周知のように、ロシアは2013年末のユーロマイダン蜂起以来、国内のウクライナ人とロシア語話者の間の分裂を利用しようとしてきました。彼らはクリミアを占領し、ルハンスクやドネツクのいわゆる人民共和国を支援してきたわけです。ロシア語話者が多い地域では、抵抗はどのような形で行われているのでしょうか。

マリウポリのようなロシア語圏での抵抗は、感動的でした。プーチンが宣伝していた「ロシア語を話す人たちをファシストの抑圧から解放する」という神話を打ち砕いたのです。もはや誰もそんな神話を信じていないでしょう。

ですが、ウクライナ語話者とロシア語話者の間の分断がどこから来たのかを理解する必要があります。それは2004年の大統領選挙から国民の意識の中で作りだされ、2013年から4年にかけてのマイダン蜂起の後に強固なものになりました。マイダン蜂起は、EU加盟をめざしたものというよりも、国を支配するオリガルヒ(新興財閥)への反発、デモ参加者に対する政府の横暴、数十年にわたる無法と腐敗への不満が引き起こした民衆蜂起だったのです。

この蜂起では、抗議運動のごく一部に過ぎなかった極右勢力が、組織的には突出した役割を果たしました。親ロシア派のオリガルヒが支配するメディアのコメンテーターやロシアが、彼らを取り上げ、ウクライナがファシストによって転覆されたかのように描いたのです。そう言っても、ウクライナに極右が存在することやその固有の脅威を否定しているわけではなく、ロシアとその同盟者が政治的な理由で彼らを誇張してきたことを指摘したいのです。

ロシアと新ロシア派は、クリミアの占領やルハンスクとドネツクのロシア分離主義者(その指導者の多くはロシアによって送り込まれたのですが)の支援を正当化するために極右の存在を利用したのです。

クリミアといわゆる人民共和国の民衆の反応は複雑なものでした。人々が何を考えていたのか、私たちは正確で客観的な判断ができる力を持ち合わせていません。しかし、多くの人がロシア語を使って生活する権利が侵害されることを恐れていたと同時に、ウクライナの一部に留まりたいと望んでいたことは明らかだと思います。

それは、家族をも分裂させる非常に複雑な状況でした。また、どちらの政権がもたらすにせよ社会経済的な収奪のために、この国には未来がないと考える人たちも少なくなかったのです。社会学的なデータは、小さな誤差や偏りを超えてこの複雑な状況を示しています。

ウクライナ政府とその右翼準軍事組織ドンバスと新ロシア派の軍事衝突は、こうした分裂をさらに悪化させました。この紛争では、双方があらゆる種類の残虐行為を引き起こしました。そのため人々はこの地域から逃げ出し、多くはウクライナに、一部はロシアに流れたのです。

その結果、クリミアといわゆる共和国の構成は劇的に変化しました。しかし、だからといって、その地域のすべての人がロシアの一部になることを切望しているわけではありません。ロシアの侵略に抵抗する多くの人たちが存在していることを私たちは知っています。

クリミアでは、ツァーリ、次いでスターリンによって弾圧されたタタール人が、ロシアの弾圧に抵抗しています。また、いわゆる共和国には、この地を支配する分離主義者に対する反発を生むような深刻な問題が存在します。脱工業化が進められ、一部の鉱山が閉鎖されました。その結果、労働組合は分離主義者に対して不満をぶつけ、人権侵害や弾圧に直面しています。

現実には、これらのいわゆる人民共和国は人民の国家でも共和国でもありません。この地は今、準独裁の支配下にあり、ロシアに従属しているのですが、プーチンは彼らの忠誠心や信頼さえも信用していません。ロシアは今回の侵攻の準備のため、これら共和国の分離主義者の役人たちに、来るべき攻撃に動員する準備をするように命令を出し始めています。しかし、そんなことをしても誰も喜ばないし、役人たちでさえもそうです。彼らの忠誠心を強化するため、モスクワは彼らの家族をロシアに連行し、実質的には脅迫のための人質にしているのです。

ロシアは分離主義者の共和国に信奉者を抱えていますが、戦争に賛同しない人たちも、少数ですが明白な反対者もいます。それはクリミアでも同様で、ロシアに対する広範な支持があるにもかかわらず、異を唱え、戦争に反対する人たちもいるのです。

Q. これまでお話になった政治的な力学から一歩引いて、戦争の根本的な原因を探ってみたいと思います。なぜ、この戦争をアメリカ・NATOとロシアの間の単純な帝国主義間紛争に還元することは不正確なのでしょうか。どうしてこのような単純化が民族解放のための闘いを無視することになるのでしょうか。

この戦争を西側とロシアの対立に還元することは、ウクライナの現実を見過ごし、ウクライナを列強間の単なる手駒として扱うことになります。そのような分析は、紛争におけるウクライナ人の主体性とその働きを否定しています。また、私たちウクライナ人の自決権や民族解放のための闘いについての議論を抑圧することになります。

もちろん、今回の衝突には帝国主義の次元があり。それは明らかです。しかし、そこには認識されなければならない民族の次元もあるのです。それを認識するためには、脱植民地主義的な思考を身につける必要があります。
アフリカやその他の地域の民族解放闘争から学んだ教訓を生かさなければなりません。競合する勢力が関与していた場合でも、そこには抑圧された人たちの民族解放のための闘いがあったのです。そして、反植民地主義の思想家や指導者たちは、彼らと彼らの闘いのために声をあげることを教えてくれています。

ウクライナも同じような闘いの中にあります。忘れられがちですが、私たちはソビエト時代のスターリン政権にだけでなく、何世紀にもわたってロシア帝国に苦しめられてきたのです。フルシチョフの時代にはある程度緩和されましたが。

確かにウクライナ語は学校で教えられていましたが、そのほとんどは第二言語としてでした。確かにウクライナ文化は認められていましたが、しばしばエキゾチックなステレオタイプに還元されていました。このようにウクライナは表面的は認められていても、ロシアの言語と文化は依然として最高位に君臨していたのです。本当に成功したいのなら、ロシア語で書き、ロシアの文化を取り入れ、ロシアの芸術的規範に従わなければならなかったのです。

この文化的排外主義は、プーチンのロシアでさらに強まりました。ロシアはアメリカによって国際的地位を引き下げられましたが、ロシアのエリートはその代替として、ウクライナのような過去の植民地に対する支配を復活させ、その影響力を回復させることを夢想してきたのです。もちろん、そのためにロシアは、依然として世界の覇権国家であるアメリカと対立することになりました。

この対立の中で、ロシアをいかなる点においてもアメリカや他の資本主義大国とは異なるプロジェクトであると考えることはできません。彼らと同じように、ロシアも、より多くの土地、資源、利益を求めて争う新自由主義的資本主義国家なのです。その支配者は、搾取され抑圧されているロシア人の生活を改善することに無関心です。

サンクトペテルブルクのような一部の都市では、状況は比較的には良好です。これらの都市では、インフラ、賃金、年金がまだましです。しかし、それ外の地では、国は老朽化し、荒廃しています。ここウクライナで、今回の侵略戦争で捕虜になったロシア兵からそのような話を聞きますが、彼らはたいてい、もっと小さな、貧しい町から徴兵されているのです。彼らは、ウクライナの村や田舎にある舗装された道路など簡単なものを見て、大きなショックを受けています。

ロシアの国家体制、国家官僚、オリガルヒは自国から金を巻き上げ、現在は国民の関心を「体制転覆を狙っている外部の脅威」と失われた帝国の再建という帝国幻想に逸らすことによって支配しています。それが、彼らをアメリカへの挑戦と、少なくとも中国から暗黙の支持を得ることに向かわせています。

けれどもこのような帝国間の対立が存在していても、ロシアと西側帝国双方の支配からの独立を目指すウクライナの闘いの中心にあるものを見失ってはならないし、また、帝国間の競争に目を奪われ、それがもたらす紛争を横断している共通の国際的な階級利益を見逃すことがあってはならないと思います。

ロシア人労働者を搾取するロシアのオリガルヒが存在し、アメリカの労働者を搾取するアメリカのオリガルヒが存在し、ウクライナの労働者を搾取するウクライナのオリガルヒが存在し、そして、中国の労働力を搾取する中国のオリガルヒが存在するのです。そして、国境を越えたオリガルヒは、私たち全員を搾取しています。この階級分析は、相互に争う寡頭資本家たちの一団に対抗する私たちの共通の利益を指し示すものです。

Q. ここで、あなたが『ウクライナと資本の帝国』で分析されている、ウクライナにおける寡頭制資本主義の展開についてお話を伺いたいと思います。その経済的な特徴、政治的な特徴は何でしょうか。現大統領のゼレンスキーは、これらのパターンにどのように当てはまり、またどのように外れているのでしょうか。

この数十年、資本の帝国は大きく膨張しています。開発独裁型のプロジェクトが弱体化し、失敗した後、それはグローバルサウスを席巻しました。資本の帝国はソビエト連邦崩壊後の東ヨーロッパとロシアで同じことを行ったのです。

ロシアは、ソ連の法的責任、国際条約上の義務、通貨、資本へのアクセスをすべて受け継ぎました。国家システムと新自由主義的な助言者の圧力の下で、ロシアは大規模な民営化を行い、オリガルヒは自由市場政策を利用して資本を自分の手に集中させ、プーチンは国を管理監督するため抑圧的な新自由主義的資本主義国家を新しく建設したのです。

ソ連崩壊後、他の共和国は、自国通貨を持たず、資本もない状態のままで突然独立することになりました。このような状況の中で、彼らはIMFや世界銀行などの国際金融機関に頼るしかありませんでした。
ウクライナの場合、1992年にIMFとの関係を確立しています。新政府はその指導のもとで国有財産を民営化しましたが、それは国内のほとんどすべての資産を含むものでした。もちろん、人々は車のような個人資産を持っていましたが、土地から住宅に至るまで、ほとんどすべてが国家の所有物だったのです。

例えば、住宅は国が建設し、特定の企業に所属する労働者に支給されていました。それが突然、すべて売り払われたのです。労働者は民営化された住宅を安く「買う」ことができたので、ウクライナでは家の所有率が非常に高くなったのです。

国営企業でも同じように民営化が行われました。企業向けに株式が発行され、労働者には引換券(バウチャー)というかたちで配布されました。しかし、暴騰するインフレで困窮した労働者は、生活を維持するために現金が必要になり、引換券を経営者に売り渡したのです。同様のことが、土地、水、行政サービスについても、地域やセクターの差はあるものの実行されました。経営者は国を食い潰したのです。

基本的に、私たちはマルクスが資本の原始的蓄積と呼んだプロセスを目の当たりにしていたのです。そして、新しい資本家であるオリガルヒにとって蓄積する対象がたくさんありました。例えばドンバス地方には重工業があり、天然ガス、鉄鉱石、鉱物、石炭などの天然資源がたくさんあります。その大部分を新興のオリガルヒがすくい上げたのです。

これらの資産を収奪する過程で、オリガルヒとその政治的・犯罪的ネットワークは金融産業グループを成功裏に築き上げました。このグループは企業と銀行の両方から構成されています。これらのコングロマリットは高度に集中され、かつ多様なものです。

オリガルヒたちはこの資本家権力を行使し、直接、間接に政治を支配しています。一部のオリガルヒは政治家になっています。また、政治的な代理人を利用する者もいます。彼らは、欧米で訓練されたコンサルタントやPR会社、政治技術者を使い、選挙で当選するための選挙区を作り上げています。

このようなかたちで国家を支配することで、彼らは1990年代に資本蓄積をさらに加速させることができました。当時、ヨーロッパの資本は中欧に夢中でしたし、ロシアも弱体でしたから、多国籍資本はまだゲームに参加しておらず、オリガルヒのやりたい放題だったのです。そこで彼らは、自分たちを豊かにするために国有財産を略奪していったわけです。

またオリガルヒは互いに競い合っていました。その競争は、ウクライナ人とロシア人の間の領土や言語的な分断と重なっていました。オリガルヒは、選挙キャンペーンで、自分たちの政治的利益のためにこれらの分断を煽ったのです。この過程でオリガルヒたちは、既存の、ほとんど衝突することがなかった差異を新たな敵意と偏見に変えたのです。

これは、2004年のオレンジ革命や2013年のマイダン蜂起などで登場し、オリガルヒの略奪に抵抗し続ける人たちを分断し支配するためには効果的な戦略でした。こうした分断は、オリガルヒたちによって異なるEUやロシアと関係でさらに増幅されました。彼らは自分たちとEUやロシアとの関係を囲い込むために、これらの分断を強調したのです。

このすべてが、マイダンのときに頂点を迎えることになりました。人々はオリガルヒと政府に対して蜂起しましたが、右翼民族主義者はそれを利用し、彼らの政党はそれをハイジャックしようとしました。その後、ロシアの分離主義者がいわゆる共和国を設立し、ロシアはクリミアを占領し、ドンバスでは武力紛争が発生しました。この過程でファシストのアゾフ大隊も勢力を拡大したのです。

しかし、はっきりさせておきたいのは、ウクライナはロシアのプロパガンダが主張するようなファシズムの温床ではないことです。例えば、2014年の選挙で極右政党は惨敗したのです。彼らの得票は劇的に減少し、議席を失いました。

ゼレンスキーの選出は、これまで述べてきた排外主義的な民族の分断を否定し、平和を望む民衆の自己表現でした。彼は興味深い人物です。彼の背後にはオリガルヒの一団がいるのですが、ナイーブではあるが平和と反腐敗を約束する選挙戦を展開したのです。

しかし結局、彼は他の新自由主義的な政治家と同じようなやりかたで統治することに終わり、平和を確保することも、継続する汚職と寡頭制による略奪をコントロールすることにも失敗したのです。何よりも、彼は統治者として無能であることが露呈しました。人々の生活水準が急落し、彼の評価は下がったのです。

戦争が始まる前、彼が再選される可能性は極めて低いものでした。しかし、今や彼は対ロシア戦争の英雄であり、この戦争が終わったときにウクライナが民主的な選挙手続きを持つ国民国家として存続していれば、2期目の当選は間違いないでしょう。

Q. これまで、ウクライナにおけるロシア帝国主義の役割について主に話してきました。では、欧米の帝国主義、とりわけその経済政策についてはどうでしょうか。

私たちは、西側諸国とその国際金融機関(IFIs=International financial institutions)の独裁的なルールに耐えてきました。彼らは、フランシス・フクヤマが1990年代初頭に提示した、自由市場と資本主義的競争の論理を解き放つべきだという処方箋を実行に移してきました。

IFIは、国家が産業やサービスの所有から手を引き、経済規制を緩和し、労働者の権利を弱め、投資家を優遇・保護し、競争力を高めることを条件に融資を行いました。国家の新しい役割は、社会秩序の維持だけに縮減されました。

言い換えれば、貧乏人から金持ちを守ろうとしていたのです。こうして自由市場の処方箋は社会を民主化するどころか、私たちが目撃してきたように東欧、ロシア、ウクライナの権威主義的転回を可能にしたのです。

欧州復興開発銀行(EBRD)、IMF、世界銀行は特定の経済政策と政治政策しか認めませんでした。これらの新自由主義的な命令は、競争力と効率性を向上させるためと称されていましたが、その主張はもちろん議論の余地があるものばかりでした。実際には、オリガルヒの台頭と、民営化された産業、サービス、土地の所有権をめぐる彼らの半ば犯罪的な、場合によっては文字通り犯罪的な争いを可能にしたのです。

オリガルヒたちが達成できなかったことが何かと言えば公共サービスの効率化でした。なぜか? なぜなら、もし公共サービスが競争の対象になれば市場価格が設定されることになり、必然的に人々を排除することになるからです。それは、教育から医療に至るまでユニバーサルサービスの基本的な提供を弱め、ひいては労働力の社会的再生産を弱めることになります。緊縮財政は新自由主義から流れ出たものであり、各国の経済を拡大するどころか、実際には成長を阻害し、低開発を生み出しています。

ウクライナがその典型的な例です。ウクライナは、インフラ、医療、公共サービス、高学歴で熟練した労働力を持つ工業国でした。しかし、西側が押し付けた新自由主義が、それを破壊してしまったのです。1991年のウクライナの経済規模はフランス並みでしたが、今ではヨーロッパの最貧国になっています。それは偶然の産物ではなく、意図的にそうされた結果です。

EBRDとIMFの融資のたびに、この低開発はさらに悪化しています。私たちは、アフリカやラテンアメリカ、その他のポストソビエト地域の国々のように文字通り借金に溺れつつあります。ウクライナはさまざまな国際金融機関や国家から1290億ドルの借金をしていますが、これはGDPのほぼ80%に相当しているのです。

Q. 欧米、ロシアの帝国主義とウクライナ支配者との交流は、国内の、特にウクライナ語話者とロシア語話者の間の分断にどのようにつながっているのでしょうか。

オリガルヒたちは分裂を拡大させました。2013年から14年にかけてマイダン蜂起とその余波を導いた力学が、その重要な一例です。当時のヤヌコビッチ大統領は、EUとの連合協定を締結する予定でしたが、土壇場で撤回しました。彼は犯罪的なオリガルヒでしたが、その行動には一理あったのです。実際に正鵠を射ていた例も少なくありません。EUとの協定はウクライナにとって不利な内容であったため、彼は署名を拒否し、皆にショックを与えました。それがきっかけで抗議デモが起こり、政府はそれを残酷に弾圧し、それがさらに大規模な大衆蜂起を引き起こし、私が述べたような一連の出来事が起こったのです。

ヤヌコビッチは協定の条件を最初から知っていたはずなので、彼が土壇場で署名を拒否したことに人々はとても驚いたのです。彼は協定の不利な内容を知っていましたが、ウクライナ民衆のEU参加を望む気持ちを考えてすぐには手を引かなかったのです。最後に彼が協定に署名しなかった本当の理由は、ロシアとロシア関連のオリガルヒが彼に手を引くように圧力をかけたからです。

圧力をかけたオリガルヒの資産の多くはドンバスにあり、生産ラインが安価なロシアのガスや石油に依存するエネルギー集約型産業を基盤にするものものでした。彼らは「協定が締結されれば、ロシアが脅かしているようにエネルギー価格が上昇するだろう、その結果、産業が閉鎖され、人々が職を失うことになる」と広言し始めたのです。これは、西ヨーロッパと歴史的に結びついてきたウクライナ西部の事情とは対照的でした。そこでは、ビジネスもロシアよりもマーケット志向の傾向がありました。

もちろん、現場はもっと複雑で、ビジネスの利害はそうした領土的な区分けとは一致しません。しかしそれでも、帝国間の対立はオリガルヒの間の分裂を深め、彼らは西側かロシアへの忠誠心に基づいて選挙区を作り上げ、その結果、新しい領土区分による分断が非常に目立つようになりました。

これが定着すると、さまざまなオリガルヒブロックとその政治家たちは、進行中の緊縮財政をごまかすために言語的権利(language rights)を制限するという脅しを使ったのです。これは階級の怒りを言語や文化の対立に逸らすことが目的でした。その結果、極右のウクライナ人と新ロシア派分離主義者が生まれ、それぞれ相手をますます非人間的に扱うようになったのです。

これは本当に唾棄すべき政治です。オリガルヒの政治派閥は、あたかも西側とロシアの文明的な選択であるかのように事を進めました。西側志向の派閥は、EU-これは多くの緊縮財政の源であることを忘れてはなりません-を、スターリン支配下のソ連の過去を超える自由と民主主義のための希望として提示したのです。ロシア志向の派閥は、西部ウクライナ人をロシア語話者の言語的権利を脅かすロシア恐怖症のファシストとして、そしてロシアを、この反動の高波から自分たちを守る最後の希望として描いたのです。

Q. これまで、主に帝国主義勢力とウクライナ支配層について話してきました。オリガルヒや政治家、帝国主義勢力に対抗する労働者や被抑圧者の闘いはどうでしょうか。彼らはどのような政治的、組織的障害にぶつかっているのでしょうか。

オリガルヒ資本主義の条件下で、市民の抵抗が高まっているのを私たちは目撃しています。それは、特に警察がデモ参加者を残忍に扱った後のユーロマイダン蜂起に表現されていました。ついに人々の堪忍袋の尾が切れたのです。警察の残虐行為は、長年にわたる腐敗による苦しみと不満、オリガルヒの犯罪ネットワークと警察の共謀や、権力濫用のたびに繰り返されるオリガルヒの説明責任から逃れる能力に対する怒りに対する反作用だったと言えるでしょう。

だが、だからこそ人々の抵抗は反射的なもので、オリガルヒ資本主義に対する明確な代替プログラムやまとまった要求に導かれてはいませんでした。これが、右派が反乱をハイジャックすることができた理由です。彼らは組織化され、闘争に投入できる実力組織を持っていました。その後、ウクライナ政府と分離主義者の間で衝突が続きましたが、そのために部分的に市民の闘いが沈静化することになりました。

しかしここ数年、オリガルヒや腐敗した政治家に対する人々の不満が深まっています。人々は繰り返し、あるオリガルヒグループを追い出すものの、別の同様にひどいグループが彼らに取って代わるのを見てきました。したがってここには代表制の危機があると言えるのです。しかし、オリガルヒとその政治家たちに挑戦できる明確な代替案はまだありませんし、残念ながら左派勢力もまだ小さいのです。

同時に、選挙政治の外では、特に労働組合員の間で民衆の闘争が展開されています。これは、本質的に企業別組合であった旧ソ連の組合の外側に出現したものです。新しい独立した組合が主要産業(そして、いくつかの中小企業においても)の中で発展しています。そのような重要な組合の1つが、国内最大の雇用者である鉄道産業に存在しています。彼らはロシアの侵攻に対する抵抗の重要な要素となっていて、砲撃を受けている高齢者に物資を運んでいます。鉱山労働組合は特に重要で、坑道の閉鎖に反対し、賃金と福利厚生を守るために闘っています。医療労働者の組織化も始まっています。

人々は、政治家が変革に動かないのであれば、職場で集団的に闘うことを通じて自分たち自身で変革しなければならないことを学んでいます。彼らは仲間をどう組織すればいいか、国際的に大きな組合や連合組織に相談するようにさえなっています。

このような動きは、抵抗運動の中で人々が互いに連帯と支援を求めて支え合うことで急速に拡大してきました。この数週間、さまざまな企業の労働者が、戦争のさなかで人々が必要としているものを満たすため自分たちの手で商品を配り始めています。多くの都市で、そのような逸話がたくさんあります。例えば、食料倉庫の従業員が、食料を必要としている難民がいることを知って食料を配っているとか、また、建設資材倉庫の管理者が、町の要塞化に使える資材を配っているとかです。まさに収奪者が収奪されているのです。

戦争のさなかにおけるこれらの抵抗闘争は、人々が変化に影響を与える力を持っていることを示しています。これは、今回の戦争が終結した後、この国をどのように再建するかという闘いで、またその際誰の利益が中心になるべきかを考える場合に重要な意味を持つでしょう。この地獄が終わった後、この連帯の精神がウクライナの新しい道を切り開くことを私は本当に願っています。

そうなれば、ウクライナの左翼に新たな機会が開かれるでしょう。スターリン主義の過去に悪い連想しかない人々にとって私たちのメッセージやプログラムが意味あるものとなるためには言葉を適応させていかなければならないでしょうが。とはいえ現在人々は、ウクライナが抱えるシリアスな問題や、グロ ーバル資本主義に対して社会連帯的解決を求めているのは確かです。
社会主義者は、人々の当面の生活改善のための人々の闘いと結合しながら、社会をどう再建すべきかで決定的なアイデアを持っていることを示していかなければなりません。もしそれを上手くやることができれば、抵抗闘争を苦しめている代表制の危機を克服し、オリガルヒと右派に代わる真の代替案を人々に提供することができると思います。

Q. プーチンと陣営主義左派(Campist left)が自らの政治的目的のために誇張してきたことの一つに、ウクライナにおける極右の登場があります。ウクライナにおける極右の実態はどういうものでしょうか?それはどのように発展してきたのか、どんな勢力があり、政治体制や軍部にどれほどの影響力を持っているのでしょうか。

これは非常に重要で、率直に言って怖い質問です。なぜなら、ウクライナの政治は極めて不安定な状態にあり、左だけでなく右にも行きかねないというのが実情だからです。右翼の役割と重要性が誇張されているという指摘には同意しますが、現実の要因であり脅威であることも確かなのです。

もちろん極右については、分離主義者、プーチン、そして西側諸国の奇妙な支持者たちによって誇張されてきました。彼らはナチスのシンボルを身につけた者たちを指さして、ウクライナをファシストの政府・国家、あるいは少なくともファシストが支配している国家として描いてきました。しかし先にも述べましたが、これはまったく事実と異なっていて、右翼政党への支持は劇的に減少しているのです。

そして、ネオナチと呼ばれているアゾフ大隊内部の大多数の人たちでさえ、彼らが身に着けているシンボルとナチスの関連性を認識していないというのが実態です。彼らはステパン・バンデラの歴史を知らないし、彼をウクライナの自由のために闘ったヒーローの一人と考えているのです。しかし、中にはバンデラのナチスとの過去の関係を強く意識している者もいます。特に右翼政党やアゾフ大隊の指導者にはファシストがいるのは確かです。そのため、私は彼らをウクライナ内部の脅威として深く懸念しています。

ですから、右翼の脅威を否定するのは間違いでしょう。右翼政党は小さいながらも重要な力を持っていますし、アゾフ大隊も、軍全体の中では小さな存在ですが同様です。アゾフ大隊はかなり強力です。サマーキャンプを開催して仲間を募っています。そして彼らの軍がマリウポル防衛戦の英雄として賞賛されることで、支持を獲得するでしょう。これらの右翼勢力は多民族国家ウクライナの未来に対する脅威です。彼らは、ロシア語話者を差別するひどい言語法を推し進めようとしています。これは間違っているだけでなく、ロシア分離主義者の言い分を助長することになります。

もちろん、ウクライナには脱植民地化、脱ロシア化が必要です。しかし、大部分の領土においてロシア語が主要言語であることに変わりはないのです。そして、はっきりさせておきたいのは、ロシア語話者が一般的に虐げられているとは言えないということです。しかし、ウクライナ語話者はそうだったのです。

例えば、私が学校に通っていた頃、ウクライナ語を話すといじめられたものです。しかし解決策は、ウクライナの脱植民地化の過程で植民地主義者の真似をして、ロシア人やロシア語話者を弾圧することではありません。新しい形の差別ではなく、平等な言語権が必要なのです。これは、この国を再建する過程で緊急の課題となるでしょう。

私は、国境を回復し、ロシアの占領を終わらせるための闘いでウクライナの勝利に賛成する者です。しかしそのためには、オリガルヒとその政治家たちが作り上げ、武器としてきた文化対立を和解させるための全過程が人々に開かれていることが必要です。なぜそうすべきかと言えば、ロシアの侵攻がウクライナのナショナリズムの健全な部分を掻き立てたからです。とりわけプーチンが戦争の口実に「あなたの国は国ですらなかった」というレトリックを使った時がそうでした。ですから健全なナショナリズムは必要です。しかし私たちはそれが排外主義や民族主義に発展するのを防がなければなりません。

私たちは、自分たちが国家であることを証明しようとして、歴史を掘り起こし、古くて問題のあるシンボルを持ち出すという欲望を乗り越える必要があります。その代わりに、ウクライナの再建を、すべての少数民族が自分たちの言語、学校教育、文化に対して平等な権利を持つ、多民族・多宗教国家を再建する歴史的機会にすべきだとだと思います。それこそ、オリガルヒとその政治家、そして右翼の支配に挑戦することを含む左翼と労働者階級の組織の仕事です。連帯の政治が勝利する必要があります。さもなければ、私たちが狂信者とファシストの国であるというプーチンの卑猥な嘘を確認してしまう危険性を抱えこむことになります。

Q. そうすると、戦争の結果がどうなるかが問題になってきます。プーチンは、ウクライナの政権交代という目的から後退を余儀なくされ、ウクライナ西部を破壊しつつ、クリミアへの陸橋としてドンバスを確保し、国を分割しようとしているように見えます。それがウクライナや抵抗闘争、政治経済にどのような影響を与えるでしょうか。

ほんの3週間前にこの質問をされたなら、「もしプーチンが撤退に同意し、いわゆる共和国を保持するだけなら、ウクライナ人はそれを受け入れるかも知れない」と言ったでしょう。しかし、この戦争の惨劇、ハリコフやマリウポルの破壊、キエフ郊外の惨状、そして膨大な数の人命の喪失、残虐行為、避難民を目撃し、体験した後では、ウクライナ人は妥協しないと思います。

ウクライナ国民は、この悪夢に終止符を打つためにあらゆる手を尽くしてきました。ミンスク問題では和平交渉を試みましたし、プーチンに戦争を仕掛ける口実を与えないために銃撃下でも停戦を守りました。しかし、どれも上手くいきませんでした。いわゆる和平交渉は、結局、プーチンが完全にいわれのない攻撃でこの国に侵攻する道を開くことになったのです。彼らは何年も前からこの計画を立て、人々を脅迫し、出来事について嘘をつき、何千人もの潜伏工作員を国内に潜入させ、ターゲットを特定し、それに無線信号を備え付けていたのです。

今、私たちは何千人もの死者と何百万人もの避難民を抱え、何億ドルにも相当する社会インフラを破壊されています。これだけのことをやられても、国の全領土を侵略者に明け渡すことに同意する人はほとんどいないでしょう。いまウクライナ人は、もし自分たちがこの戦争に勝たなければ、ウクライナはなくなるだろうということに気付いています。占領された部分が残れば、ウクライナ軍に対する反乱が起こるだろうし、新たな戦争が企てられるでしょう。つまり平和はありえないのです。

プーチンはウクライナが独立して存続する権利を認めていないので、私たちは反撃せざるを得ません。北朝鮮と韓国のようなかたちで国土が分割されるのをは認めることはできません。そうなると長い闘いが避けられないでしょうが、ウクライナの人々はそれを実行に移すだろうと思います。

今、多くのことが宙に浮いています。結果がどうなるかは、自国を守り、国を取り戻すための武器を私たちが確保できるかどうか、いわゆる和平交渉で私たちが要求を貫けるかどうか、そしてロシアの政権が崩壊するかどうかにかかっています。しかし、私たちはウクライナの統一と独立を下回るもので妥協するつもりはありません。

Q. 国際的な左翼の間で、戦争に対してどのような立場をとり、どのような要求を掲げるべきかについて大きな議論があります。私たちは何をすべきかでご意見はありますか?

繰り返しになりますが、国際的な連帯を掲げる左翼はウクライナについて考える際に、脱植民地主義の旗印を掲げる必要があります。私たちは歴史的にウクライナに対し帝国的抑圧者であったロシアと戦っているのです。私たちはロシア帝国によって非常に長い間、政治的、経済的、文化的、言語的に支配され、植民地化されてきたのです。

いまだにアメリカ帝国主義だけに対する一次元的な反発で視界が曇ってしまった人たちがいます。しかし、この状況において、アメリカは侵略者ではありません。もちろん侵略者はロシアです。NATOは要因の一つですが、決定的なものではありません。NATOは存在すべきなのか? もちろん、そうではありません。ずっと前に解体されるべきでした。その点では私たちは皆、同意していると思います。

中心的な問題に焦点を当てましょう。ロシア帝国主義とウクライナの解放闘争です。プーチンは何年も前からウクライナを独立した存在として認めていないことを公言してきましたし、最近の声明では「この国はボルシェビキによって作られた」と主張しています。彼はウクライナを取り戻し、ロシアの支配下に置きたいと考えており、2014年以来、軍事的にそれを追求し、完全に不法で捏造された暴力的な分割を実行してきたのです。

国際的な左翼は、被抑圧民族としてのウクライナと、その自決のための闘いに連帯すべきだと思います。この闘いには、自由を勝ち取るために、私たちの戦闘員やボランティアが武器を確保する権利も含まれています。
しかし左翼は、空を閉じようという要求、本質的にはNATOが課す飛行禁止区域(no fly zone)設置の要求を支持してはならないと考えます。それは、アメリカやヨーロッパの戦闘機とロシアの戦闘機との間の空中戦を意味し、核保有国間のより拡大した戦争の危険を冒すことになります。それは、イラクやアフガニスタンなど世界の他の地域でアメリカの介入が何をもたらしたかを見てみれば明らかです。

米国とNATOの戦闘員は、空中戦がウクライナにもたらす被害など気にも留めないでしょう。彼らはロシア軍に全面的な攻撃を行うために、私たちに都市から避難するよう命令するでしょうし、私たちの国をさらに破壊し、その過程で必然的に多くのウクライナ人が殺されることになるでしょう。

戦争終結後には、何らかの平和維持軍、おそらく国連平和維持軍が必要になると思います。しかし現在の国連は、安全保障理事会でそのような部隊に拒否権を発動できるロシアのような権力を含む非民主的な組織であり、その実現は困難でしょう。しかし紛争の再発を防ぐためには、監視の役割を果たせる何らかの国際的な軍隊が必要です。非武装化された世界において将来の苦難を防ぐことができる本当の相互保障の下で、(現在の国連を参照すれば)侵略行為の自動的な停止、拒否権なし、安全保障理事会に常任理事国なしなど、新しい国際安全保障秩序を構築することが課題になると思います。

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