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生まれた町の歴史でQOLが上がる人



歴史を知識で知るのは人智の基本

受験生の「歴史」と、大人の「歴史」の意味は当然だが異なる。
知識は思考の栄養なので大事だが、暗記したことを得意げに話すおっさんではありたくない。マルクス・アウエリアス・アントニヌス・・・

歴史の資料は好きだが、暗記が苦手で地理を選択した高校時代。
山脈や平野、大河や気候や人種など、地理も歴史と関係していることや、地域の方言や文化が世界と歴史に繋がっていることを後で知る能力の程度。

偏った歴史認識の嫌なとこ

ここ10年来、YouTubeやSNSでもっともらしい歴史の話が氾濫する。今年の正月、後期高齢者の親父が親族団欒の席でいろんな話をし、ほとんど「Youtube」を根拠としていた。息子たちの責務として「人に話す時にYoutubeで言ってた、は弱い」とできるだけ諭した。不服そうだった。来年の正月はどうなってるだろうか。私もそうなりそうで怖い。

これとは別に、大人になって「本当の歴史は学校では教えない」「アメリカがー、中国がー、イルミナティがー」とかの「真実」に目覚めた人たちの知識や歴史認識は、その人の「黒歴史」になってしまうかもしれない(ウマイコトイッタ!)。

別に偏ってもいいのだが、いけないのは他の歴史認識を許容できない、排他的態度に堕すこと。これは知性の敗北。
論破なんかしなくて良い。
まずは話を聴け。

恥ずかしながら?私は大学時代に朝日新聞を読み、週刊朝日を愛読し、本多勝一に被れ、週刊金曜日に興味を持つ社会問題に敏感な左寄りの若者だった。

逆に20代後半では明治維新から戦前戦後の本を読みまくり、戦争やミナマタなどの語り部の声を聞き、レポートを書いた。「坂の上の雲」を読み、パール判事の言葉に涙し、知覧や靖国神社には節目に参った。ゴリゴリの保守だ。
チャーチルの言葉の通りで後年ホッとする。

しかし、立場によって話す角度が変わること、いろんな人たちと議論したり諭されたりで振り幅ひろい物の見方があることを知れた。素直だったのもよかったのだろう。ありがたい。

偏った歴史や理論に影響されるのは悪い人ではない。ちょっとだけ私のように頭の中が整理、統合できないだけ。素直だ。成績も偏差値50くらいの圧倒的中間層。賢くはないが、馬鹿ではない、と信じている。類友で同質の情報が共有される。俺たちしか知らないという陰謀論者になる。歴史認識に対して排他的になり、主語が「我々日本人」と大きくなる。中年の危機だ。

そんな中年の危機に怯える御仁に私は、あなたの生まれた町の歴史を探究することをお勧めする。テストにも出ない。お寺に行けば家系図と出会うこともある。なければあなたの代までの家系図を作ることも深い。

あなたのまちのこと、どのくらい知ってる?

あなたがどこに住もうが、その地域には歴史がある。その歴史や背景をどのくらい知ってるか?自分の一番近いところを知らないのは自身の理解も間違える。
自分のことを知らないで他の人間批判をするようなおっさんになりたくない。

私が生まれた町は神埼郡神埼町(現神埼市)、かんざき、と読む。
「埼」であって「崎」ではない。その理由を市民はほとんど知らないだろう。
私も知らない。

江戸時代には長崎街道の宿場町で活気のある町だったが、現在はシャッター商店街で、良い就職先が市役所くらい、という日本中にゴロゴロある町だ。
私はそれでもこの町を愛する。

佐賀と神埼 ノスタルジーでもロマンチシズムでもなく

佐賀(佐嘉郡さかのこおり)
「肥前国風土記」によれば肥前(佐賀)と肥後(熊本)で、佐賀も火の国と呼ばれていたらしい。今は熊本だけを火の国と呼ぶが、昔は違ったらしい。

なんで佐賀なのか?肥前風土記に二つ書いてあった。

⑴栄えた国説
日本武尊がこの地を訪れて楠の木が栄えていたから、栄(サカ)えの国と呼んだと伝わることから、という説。佐賀県の木は楠だ。

⑵賢い国説
佐嘉川上流に荒ぶる神がいて、土蜘蛛の大山田女(おおやまだめ)と狹山田女(さやまだめ)の告げた方法で祭祀を行うと神が和らいだ。そこで二人を賢し女(さかしめ)であると呼び、国名にしたのが訛って佐嘉になった。

そこに神埼郡(かむさきのこおり)があった。加无佐木と呼ばれたらしい。
肥前風土記を要約すると、「当郡に交通妨害をする神がいたが、景行天皇に鎮圧された」とのこと。八岐大蛇的な大蛇の言い伝えは、氾濫する河川の形が暴れ回る大蛇のようだから、らしい。

この町に生を受けても授業で習ったりしない。地元の図書館で調べた。それが本当に歴史的事実ではなかろうともうっすら思う。それでも、受験で問われない調べ学習は楽しい。

考える。

こどもクラブなどもゲームやクリスマス会などはあるが伝承的なことはない。親世代でがこういう伝承的な話に興味がないだけでなくアレルギーさえ感じる場合もあるし、主催者も面倒を嫌がる。「エビデンス」が希薄だからね。

家庭でも同居・非同居もあり年寄りから昔話を聞くことがない。

なんなら今の高齢者も戦後生まれで現代教育を受けているので、田舎といえども地域の歴史は知らない。昭和の新興住宅地、今は高齢者集落で60年生活していると、生まれた場所もダムの底とかあるかも知れない。

親は不確かなことは教えたくもないし信じてもいない。
そして方言さえも失われていく。

地域の歴史を知る時の課題と未来

地域の歴史を知ることでアイデンティティーも補完されていく感覚がある。
中年の危機を感じる人はまず、自分の身近なことを知ればいい。

課題が一つ。

町の長老的・語り部的な人に教えを乞う際、その方の断定的な口調に辟易してはだめ。否定してはいけない。非科学的だとか話が繋がらないとか考えてはいけない。
特に語り部の方は何度も同じ話をされるので、エピソードトークのような勘所があって鼻についてもそんな顔をしてはいけない。

「この方はこう教わったのだな」と考えるようにしよう。
多様性という言葉を思い出せ。

地域の歴史や自分の歴史を学ぶことで未来に繋がっていく何かを後世に残すことができるかもしれない。




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