なんだこの国って思いますよね 自分のこととして思える人がほとんどいないんですよね
NHKスペシャル「法医学者の告白」からです。死因を探るために解剖をするのが法医学者です。しかし、以前海堂尊の「死因不明社会」を読んだ時にも感じましたが、そもそも日本では解剖される数が圧倒的に少ない。法医学者の数が少なすぎるし、人々の意識も低い。改善の機運がさらに低くなってきている。これでは、冤罪や犯罪の見逃しが増えてくると警告していました。印象的だったのは、日本の法医学に絶望してハワイに渡ってアメリカで活躍する法医学者を通して、日米の違いを検証しているところでした。なんでこんなに違いがあるんだろう、とこうした検証を見るたびに思います。そして、なぜ日本では問題が明らかにもかかわらず、改善されないのだろうかと。
ただ、こうした社会の足元に共通する問題ではないかと思えてきます。インフラの保守、教育の荒廃、医療・介護の問題と時代の変遷に伴い考え方を変えていかなければならないのだけど、全く新しく刷新するということができない分野にどうしても人々の関心が向かない。何となく今まで通りで、何とかなっているならそれでいいじゃん、それよりも新しい問題が次々起こってきてそちらに対処しているだけで精一杯、というのが現実ではないでしょうか。私が一番知っている教育の現場でも、新たに求められる情報教育や消費者教育に埋もれて、そもそも何をどう教育していけばいいのかを考える余裕すらなく、数十年前の知識と経験で対処しようとしているのが現実。私も「なんだこの国の教育は」って何度も思いました。私自身が情報教育やICTを推進してきた立場であってもです。
一つ言えるのは、仕組みなり予算を見える化するということと、現場の問題を現場できちんと共有して話し合うこと、情報を共有化することだと思います。組織が大きくなればなるほど、官僚化(前例主義、権威主義、秘密主義…)が進みます。そうした中では、どうしてもこうした問題が起きがち。官僚の権威は前例と集団の匿名性です。個人の責任をはっきりさせることなく、前例や集団の論理で新たな試みや本質的な問題点を隠ぺいしていきます。対抗手段は、透明性と共有です。決定までの過程を公開するとともに、問題点を共有すること。
私の決まり文句「生徒の前で同じ議論するか!」で、負けたことはありません。
尤も、「先生だめですよ」って、生徒によく注意されますけど。でもこれは腹がたちません。生徒自身と共有しているからです。