新宿末廣亭の寄席文字、または人気が右肩上がりになりますように
落語に興味はあるけれど、わざわざ寄席に通おうとまでは思わない。そんなあなたにおすすめなのが、毎月の第3日曜日、TBSで放映される「落語研究会」です。
なにより月一回というのがありがたい。これが毎週のこととなると、録画がたまっていくなんてことにもなりかねませんが、月に一度くらいなら話芸に聞き惚れる時間だってひねりだせます。
この番組の良さは余計な演出がいっさい無いところ。キャメラワークも噺家を正面からとらえるだけ。京須偕充さんの解説とお相手をするアナウンサー長岡杏子さんのやりとりも簡にして要を得ている。芸に対する敬意が感じられます。
寄席に足を運んだことなど一度もない野暮天のくせに、前を通りがかるたび、いつかのぞいてみたいと思ってしまうのが新宿末廣亭です。建物の前に幟がはためく光景には心躍るものがあり、新宿という日本一の繁華街にあってもなお、他とは一線を画した空気につつまれ、独特の華やぎを醸し出しています。
目をひくのが墨で書かれた寄席文字。橘右近さんの一番弟子だった左近さんが楽屋の上でしたためているそうです。
以前、橘流寄席文字を継承する別の方の仕事場を見せてもらったことがあるのですが、そのときこんな話をうかがいました。
寄席文字は、天地左右、枡目いっぱいに書くのが特徴でしてね。つまりこれは、枡目を客席に見立てて、客席が隙間なく埋まりますようにと縁起をかついでいる。横線が右肩上がりになっているのも、これからどんどん人気が出ますようにという願いを込めている。起筆と終筆に丸みを持たせているのも、お客さんを内側にとりこみたいという気持ちのあらわれなんですよ。
興味深いのが書法。日本画を描くときの隈取筆をつかうため、筆の幅がそのまま文字の幅になるそうで、じゃあ太字の場合はどうするかというと、何度も重ね書きをするのです。墨のたまりを均しつつ、文字のかたちを整えていく作業は、いわゆる書の世界とはまるっきりちがっていて、どちらかというとデザインの世界に近しい姿勢を感じます。
ちなみに、江戸文字は寄席文字のほかにもいくつかあり、時と場合によって文字の姿形は変わります。
歌舞伎で使われる芝居字「勘亭流」はデフォルメされているぶん、ぱっと見は読みづらいのですが、それもそのはず、これは芝居通に向けたもの。つまり「好きならこれくらい読めねえとな!」という挑発が含まれている。
相撲字「根岸流」は、力士と力士が正面からぶつかりあう様子を直線的で勢いのある線で表現し、千社札や半纏などの千社文字「籠字」は、遠目でもわかるように肉太で読みやすく書くのが基本です。
活字や写植、デジタルフォントは、近代的で合理的な価値観のもと、印刷の一般化や読書文化の大衆化にともない、使用環境が整備され、産業規模にまで発展しました。そうした観点からすると、近世の江戸文字は傍流のようにもみえますが、しかし、そこにも歴とした世界観があり、理にかなった筋道があります。寄席文字は、落語という芸のありようを文字のかたちで表現すると同時に、江戸文化の粋を現代に伝える試みでもあるのです。