芦辺拓『乱歩殺人事件 悪霊ふたたび』
休筆明けの江戸川乱歩が探偵小説の本舞台「新青年」へ連載を開始した長編「悪霊」、読者の熱狂に迎えられた同作は、しかし、わずか連載三回で中絶してしまう。
奇妙な傷跡の残る死体と密室殺人、謎の紋様が残された紙片、降霊会での不可解な出来事、残された謎の解明に加え、なぜ「悪霊」が未完となったかという、江戸川乱歩を自身巡る謎に迫っていく。
自分が「悪霊」を読んだのは光文社文庫版全集の刊行時なので、20年近く前になる。なんとなく中絶作であることは知ってたように思うが、冒頭の「発表者の附記以上にあっさりと終わってしまい、愕然とした記憶がある。
ではそれでガッカリするばかりだったかと言うと、乱歩と同一視させられる手紙の発表者の語りによって、自分は手紙を書き写してるだけで「私は全く労力を費やしていない。」「作者の収入は全部N某君に」などと並べたてて始まる物語が中絶した結果、「探偵小説の神に見放された」「気力体力共に衰え」という乱歩自身の中絶へのお詫びでオチるニコマ漫画的な流れにおかしみがあって、妙に満足度が高かった思い出がある。(光文社文庫全集では横溝正史への恨み言を綴った自作改題も続けて読める構成なのでさらに面白い)
今にして思えば、引用したような「手紙の内容そのままだから楽チン」という導入は、構成未熟なままに本格長編を書き出した乱歩自身を鼓舞するためのものだったのではという気がして余計にいじらしい。
で、本書。帯の「なぜ「悪霊」未完になったかに迫る超弩級ミステリである。」という惹句を実は割とまじめに受け取ってしまい、自分の知らない乱歩の伝記的事実がなんか出てくるのかと思っていたらそこはやはり探偵小説的な解答であった。
序盤も序盤で投げ出された長編を、延々と乱歩の文体で書き継ぐというのは困難だろうし「あんな誰でも真相を知っている小説の結末を今さら付けるんですか」と新保博久さんに言われた、とあとがきで著者も書いている。
新保の言う「あんな誰でも真相を知っている小説」はまあそれなりにマニア基準だと思うんだけど、自分はそれこそ光文社文庫全集の新保解説でそれを知りました。
つまるところ「〇〇が犯人」のパターンなわけですが、件の文庫解説で紹介されてる横溝正史が都筑道夫との対談で言った昔語り以外で傍証はないのかなあ。
出典にあたらないで書くのもなんですが、乱歩本人が「(作品名)だよ」と言ったから構想が分かった、と正史が述べていて、それで「正史が早々に真相を見抜いたから乱歩がやる気をなくした」という感じで解説ではまとめられているんだけど、当時それを読んで「それって横溝が見抜いたから腐ってやる気なくしたというより、乱歩が自分からバラしたようなもんじゃん」と感じたので…。
その記憶があったから「悪霊」未完には真の理由が―という宣伝文句に妙に食いついてしまったのかも。
中絶作を完成させるというよりは、犯人以外に残された様々な謎への解答を提示しつつ、乱歩自身を作中に取り入れメタ的な構造にすることで「今さら結末を付ける」意味を出していて、楽しんで読めました。
「悪霊」の中絶については、西にアガサ・クリスティーの失踪あれば、東に一九三四年冬の乱歩ありという感じでこれからも擦られていって欲しいです。
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