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コメント欄に、その言葉はあった。②

それから私の世界は、少しずつ色を失っていった。

朝、目覚めても体が重い。

カーテンを開ける勇気もなく、薄暗い部屋の中でスマートフォンの画面だけを見つめている。


通知音が鳴るたびに、心臓が早くなる。

「また、あんなコメントが...」

恐る恐るコメント欄を開く。


新しい中傷はなかったけれど、あの言葉が今でも目に焼き付いている。


「好きな曲が台無し」


その言葉が、まるで呪いのように私につきまとう。


朝食を取る気力もなく、急いで支度をして家を出る。

いつもより早い電車に乗って、誰もいない教室で一人過ごす方が安心だった。

スマートフォンを見るたびに、あのコメントが頭の中で反響する。

講義中も、カフェでも、電車の中でも。

どこにいても、あの言葉から逃れられない。


「サキちゃん、最近元気ないね」

クラスメイトの優子がそう声をかけてきた。


「ううん、大丈夫...ちょっと疲れてるだけ」

薄く笑顔を作って答える。


でも、その笑顔が引きつっているのが自分でも分かった。

講義中、教授の声が耳に入らない。

ノートを開いても、文字が踊って見える。

机に並べられた教科書やノートが、どこか遠い世界の物のように感じられた。


「あの、サキさん」


講義が終わった後、グループワークの相手だった田中くんが話しかけてきた。


「次の課題、一緒にやりませんか」

優しい声だった。

でも、その声さえも今の私には重荷に感じられた。


「ごめんなさい、ちょっと...」

言い訳をして逃げるように教室を出る。

廊下を歩きながら、自分の心臓の鼓動が聞こえた。

動悸が収まらない。


女子トイレに駆け込んで、個室に閉じこもる。

鏡に映る自分は、見知らぬ人のよう。

セミロングのブラウンの髪は、いつもより暗く見えた。

頬はこけて、目の下にクマができている。


「私、どうなってるんだろう」


声に出した言葉が、冷たいタイルの壁に響く。


家に帰る途中、いつもの駅前のカラオケ店の前で足が止まった。

ネオンサインが夕暮れの中で明滅している。

以前は、ここで一人カラオケの練習をすることもあった。


でも今は、歌う気力すら失せていた。

動画を削除しようかと何度も考えた。


でも、それは自分の存在を否定するような気がして、できなかった。

代わりに、コメント欄を見ることをやめた。


通知をオフにして、スマートフォンを遠ざけた。

それでも、心の中では常に不安が渦を巻いていた。


「私の歌、本当にダメなのかな」


「もう二度と歌えないかもしれない」


夜、一人でベッドに横たわりながら、天井を見つめる。

窓の外から漏れる街灯の光が、影を作っている。

その影が、私の心の闇のように思えた。

胸が締め付けられるような感覚。


呼吸が浅くなる。


布団の中で体が小さく震える。


スマートフォンの画面を開くと、最後にアップロードした動画がまだそこにあった。

再生ボタンに指をかざすが、押す勇気が出ない。

コメント欄には新しい書き込みもある。

でも、それを見る気力もない。


「なんで、こんなことを始めてしまったんだろう」


後悔の念が、じわじわと心を蝕んでいく。

大人しい性格を変えたいと思って始めたことなのに。

SNSで少しでも収入を得られたらいいなと夢見たことが、今は遠い記憶のよう。


夜、一人でいるとき、鏡に映る自分がどんどん小さくなっていくような気がした。


自分の身長も、体重も、

今の私には重すぎる鎧のように感じられた。

食欲も減って、お茶だけで過ごす日も増えた。


母からの電話にも、体調が悪いと嘘をついて切ってしまう。

「サキ、本当に大丈夫なの?」

心配そうな母の声が、受話器越しに響く。


「うん、大丈夫」

でも、その言葉を口にしながら、涙が頬を伝っていた。

大学の課題も、締め切りギリギリになってしまう。

グループワークでも、ますます発言できなくなっている。


「私には向いてないのかも」


その思いが、日に日に強くなっていく。

YouTubeを開くたびに、喉が締め付けられる。

以前は楽しみだった歌の練習も、今は苦しいだけ。

口ずさもうとしても、声が出ない。

まるで誰かに喉を掴まれているような感覚。

そんなある日、偶然見つけた古い手帳の中に、

半年前に書いた言葉があった。


「歌って、自分を変えていきたい」


その文字を見つめながら、胸の奥で何かが熱くなった。

涙が、とめどなく溢れ出した。

窓の外は、もう夜が深くなっていた。

暗い部屋の中で、私は自分の心の闇と向き合っていた。

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