実感。自分の「正義」の怖さ
「せんせ~い。○○くんがカンニングしていまーす」
この状況、出くわしたことありますよね。
クラスメイトが、先生に告げ口をする。
40手前になった私のなかにも、この感覚がある。
今日、
他人のYou tubeの内容を、言葉もそのままブログに丸パクリしている記事を見つけてしまった。
著作権侵害
私は、苛立った。そして、記事の削除申請(通報)をしようかと思った。
でも・・・いや、待てよ。
これは違うかも知れない。
私は、見つけてしまったけれど、この当事者ではない。
被害を被ったわけでもない、第三者の私が他人に口出しする必要、ある?
踏み止まりました。
そこで氣付いた。
自分のなかの正義の怖さ。
日本には、個人の考えや発言に対する自由が保障されている(はず)。
でも、新型ウイルス流行の時は、政府の意見と違う発言をする投稿はずいぶんと削除されいた。友人、知人のSNSアカウントが凍結されることが続いた。
原因は、きっと私のしようとした「通報」だろう。
いまの社会、
WEB上だけでなく、普段の生活にもパトロールの目が光っている。
行き過ぎた近所の人の「ゴミ出しルール監視」、親に叱られている子どもを見つければ「児童虐待の恐れがある」として通報、夏だから肌着と短パンで歩いていたおじさん「町内メールの不審者情報で一斉送信」
そこまでする必要ある?
新型ウイルス流行の時の、ワクチンを打っていない人の噂をする感じも、戦時中の「非国民探し」のような怖さを感じた。
自分が正義(多数派)でいると、悪(少数派)を排除しようとする気持ちがわく。
集団意識は、メディアや教育で操作することが可能。
自分自身の意識を持つって、難しいなぁ。
おおらかでいるって、難しいなぁ。
自分のなかにもある「悪者さがし」の感覚にも向き合って、そんなことを思った日でした。