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信号で心臓止まりかけ5秒前 #4

昔大好きだったあの人を、街で見かけたことってありますか?

「今」距離の近い人だったら、躊躇なく声をかけることができるけれど、友人でも誰でも、距離が近くない人だったら知らないふりをすることが増えました。
昔はすぐに声をかけて挨拶だけはしていたと思う。

いつだったか、女友達と入ったお店のカウンターに、嫌な思い出しかない過去の人が働いていて、瞬間「ゾッ」として、友人の陰に隠れてさっさとお店をでたことがありました。
もう何十年も前のことなのに、何だこの拒否感。
遡ること20代、私は大失恋後に立ち直ろうと必死ながらも、いい感じの人ができて、しかししかし・・彼は執拗に私の「元彼」の話を聞きたがった。
私は、話しているうちにあまりに嬉しそだったらしい。・・・ということでキレられ、しかも ぶちのキレ。
しかも私はその彼の名前を、無意識にひかるくんと間違えてしまってさらにブチギレられて。人生初くらい胸ぐら掴まれて死ぬかと思った。
おっそろしい目にあったという思い出の人。
確実に私が悪い思い出。 「返し縫いの恋 #2 」のページの人。

そんなふうに、見かけて逃げちゃう人もいる。
見かけても過ぎ去った時にご一緒したひとで、感情が「無」の人もいる。
苦しさも何も感じずに済む人もいて 久しぶりで嬉しくて元気になる人もいる。
どうして人は、「心臓が止まりそうになる人」も存在するのだろう。
過ごした時間は 未来にも続くのでしょうか?


***
結婚してすぐに私は妊娠しました。
夫と車に乗り、お腹をさすりながら助手席に座っていたある日、横断歩道の信号で車が停車。

すると、前を歩く人の中に、少し早歩きで通り過ぎる人。
心臓は、もしかしたら一回止まったかもしれない。
夫は知らない。私は目だけ必死であの人を追いかけたけれど、あっという間に信号が変わり車は進みました。

よく歩いたその横断歩道。
その向こうにある彼の家。あぁ 懐かしいな。

私の頭の中に、途端に広がる映像。懐かしい時間。
思い出すと心地がいい。やめられない。

大きな輪っかと大きな輪っかが遠くに離れていく。
「縁」って不思議です。あれだけ近くにいた人だったのに、途切れたらすごく遠くに行く。
縁は風船のようにふわふわと漂っていて、人と出会うたびにその縁が膨らんだり、触れたり、離れたりする。シャボン玉のようなイメージです。

私とひかるくんの縁の輪っかは、今はもう遠くに離れて行って、いつかおばあちゃんになった頃には「あの人誰だったっけ?」とか「いましたねぇ、そんなお方が。」なんて、笑いながら思い出すのかな?それとも、ずっとこうやって思い出してはちょっと幸せで、でも苦しい。これがずっと続くのかな?

私の目の中の瞳孔が開いたことも、心臓の音が外に漏れそうなほど大きくなったことも、もちろん 隣で運転する夫は知る由もなく、お腹の中のベイビーも気が付かない。何もなかったように車はまた発車しました。

そうやって、縁がふわっと遠くへ行くのを感じた信号で心臓止まりかけ5秒前

止まりかけたけれど、止まってはいないし、日々は毎日過ぎて行き、無事に子どもが誕生しました。
後から聞いたら、その頃ひかるくんもパパになったとか。

そして翌年、その頃お腹にいた子が一歳の誕生日の日の頃、また私のお腹の中に新しい命が授かっていることがわかり、そこからはただひたすらに育児に専念期を過ごしました。ひかるくんを思い出すこともなくなった。

ひかるくんとの思い出の時間は、いつしか良い思い出の上に、最後の気持ちが離れていく悲しい感情をのせて、瓶の蓋をキュッと閉めてる感じで、心の奥底にしまいました。


 

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