映画「ワンダーウォール」

「俺たちの青春は確かにそこに存在した。」

築100年を超える年季の入ったアパート、ゴミともガラクタとも呼ぶことが出来る好きなモノで埋まり尽くした部屋の中、同年代の人間が集まるからこそ生じる不規則な生活リズム。

傍から見れば日常的な生活を送るうえで真っ先に捨てられるようなものたち。しかし、社会的に猶予を与えられた大学生達にとって、それらは全部が全部必要不可欠なものだった。

青春は人によって違う。仲間達と必死にボールを追いかけた部活動や、暇を持て余すように逃げ込んだ深夜のコンビニ、その時の生活の基準になるような大恋愛、誰の目にも映らないような場所でやり続けた勉強。

「それまでの練習とか、みんなで帰り道食べたアイスとか、そういうのは青春じゃないって訳?」(東京03「20年後の告白」より)人が過去を振り返った時に、真っ先に思い浮かべる情景。それが青春だと思う。

「青春」という言葉のきらめきから、青春とは人に堂々と胸を張って語ることが出来る物だと誤解されやすい。しかし、青春とは人に語るでもなく、当時にプラス・マイナスどちらでも気持ちを揺さぶられた情景や時期のことだと思う。

そんな、一般的な感性を持ち合わせた人間が考える不要なモノが詰まった近衛寮。そこの住民にとって一生忘れられない記憶を作る近衛寮を巡る物語。

築100年を超え、安全面の考慮から建て替え・撤去を求める大学側と、補修を繰り返すことにより、寮を存続させることを望む自治側。この寮の存続を巡る論争が、住人1人1人の目線から語られる。

この過去数10年続けられてきた大学側と自治側の論争のさ中、突如大学側から一方的な退去勧告が自治側に送られてくる。

この通告に対して大学側に抗議をしに行くも、今まで最前で講義を主張し続けてきたリーダー格の三船が突如、抗議を投げ出してしまう。

今回ばかりはもう大学側に従うしか道は無いのだろうか。そんな諦めの風潮が漂う中で、新しく大学の事務室に勤め始めた女性が近衛寮に訪れる。

あらすじはここまで。

近衛寮には自由な生活の側面、絶対的なルールが存在した。・敬語は絶対に禁止 ・新規の提案は話し合いの上での協議 ・トイレは男女で区切らずに好きな場所を使用する等、近衛寮生らしい生活を送る上でのルールは絶対的に守らなければならなかった。

この守るべきルールや、毎日の寝床も決まってないようなほぼ無秩序の寮の生活は、そこの住民にとっては心地の良い生活であり、一生に一度の大学生活の思い出の大部分を担う「青春」だった。

この寮に、社会が人間に求める生産性だとか社会性だとか、そんなものは確実に存在しない。だからこそ、大学側は安全面の考慮にこじつけて撤去を進める。

もし自分が大学側の人間だったら、撤去に全面的に賛成をするだろう。100年続く歴史がどうあれ。

だけど、無駄なモノから生まれる幸せだとか充実感とかって、生きる上で絶対に必要な事柄だと自分は思う。

何をするでもなく友達と集まるだけの時間とか、惰性に負けて午後丸々無駄にする昼寝とか、調子に乗ってお酒に飲まれ、二日酔いで全く動けない次の日とか、やるべきことから逃げ込んだ結果の公園で1人で飲むビールだとか。

効率よく成果を求める生き方には確実に不必要な事柄達。ただ、その一時の生理的な欲求に負けた故での行動は、絶対にこれから厳しくなった時に支えとなる事柄なんだと思う。何にどう役立ち、どんな効果を産むのかなんてことは説明できない。

そんな無駄とも捉えられる青春の場所を、利益第一主義の考えで失くそうとしてしまうことはやっぱり寂しい。何の関係もない人間としても。

この映画は、某大学での実話を元にした作品である。この寮を巡る論争は現在進行形で起こっている。

途中経過としても大学側が圧倒的に有利だろう。最早自治側に勝算は無い。だからこそ、生活の中の無駄な時間に価値を感じる一人の人間として、この寮が存続されることを願っている。





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