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若年性乳ガンで失ったもの

ただいま6月22日、深夜1時過ぎ。
都内のビジネスホテルのベッドの中で、スマホをポチポチしております。
「ポチポチ」という表現ですが、これはガラケー時代の名残だと思うんですよね。
スマホにはボタンが殆ど付いてませんから。
なので「スマホをシュッシュッしております」が恐らく正しい表現じゃないかと。

なぜ私が今都内のビジネスホテルに泊まっているかといいますと、22日本日、病院で子宮頸ガン検査があるんですね。
今住んでる家から行くとなると遠くて。
んでもってこの暑さ。
確実に私はどこかでへばります。
だったら病院近くのビジネスホテルに前乗りしよっと思った訳です。

実は今日、元カレに車を出してもらいまして(大喧嘩したけど仲直りしました)。
せっかく東京に行くんだしと、元カレが普段お世話になってるお仕事仲間の方にご挨拶させていただきました。

紹介の言葉が「元カノです」という、謎のシチュエーション。
皆さんめちゃくちゃ良い人で、気さくにネタにしてくださいました。
元カレから色んな話を聞いているので、ご挨拶ができて本当によかったです。
ちなみに元カレはその後、お仕事で九州へ向かいました。

そんなこんながありまして。
今日も暑くて暑くて、すっかりバテました。
体が怠いわ胃がムカムカするわ、疲れて眠いわで。
だから早く寝ようと思った訳です。

だがしかし、ここでのーこの無駄な能力が発動します。
『めちゃくちゃ疲れて眠くても少し目を閉じって横になったら元気になる』能力を持ってるんですね。
せっかく寝ようと思ったのに、疲れや眠気がマシになってしまい、結局スマホをシュッシュッュしてる訳です。

せっかくだしと、昨日書こうと思ってたネガティブな記事をシュッシュッュして書こうかなと思った訳です。
デモが届くという素敵なことがあったばかりで、ネガティブな気持ちでもないんですけどね。寧ろハッピー。

ごゆるりとお読みくださいませ。



2012年、当時23歳未婚で若年性乳ガンになり失ったもの。
それはありとあらゆるプラスの可能性。

天寿を全うできる可能性。
何の懸念もなしに一年後も生きているという可能性。
何の懸念もなしに恋愛・結婚・出産ができる可能性。

常に不安と死に対する恐怖がつきまとう。
普段は意識して考えないようにしている。
結局は死ぬまでこれらと付き合っていくのだから、考えない方が得である。

それに乳ガンになってから、度々パニック発作を起こすようになった。
だからこそ余計なことを考えてはいけない。

それでも、少しでも体調に異変があればそれが死に結びついてしまう。
休めば大丈夫だと分かっていても、動悸が止まらず過呼吸を起こす。

自分で必死に「大丈夫大丈夫」と言い聞かせ、鼻から息を吸い、しばらく止め、ゆっくりと全部吐き出す。
精神安定剤にも頼る。もはや気休めだが。

23歳からずっとこんな日々が続いている。
何も考えず、こんな恐怖は抱えずに生きていられたらいいのにと切に願う。

今後の人生についても考える。
最近別れた元カレは「乳ガンを受け入れてくれる人もいるよ」と簡単に言う。

まぁ確かに、元カレは受け入れてくれた人なので説得力はある。

でもそれは、元カレには私が死んだ時の覚悟ができていることを知っていたので。
私が先に死んでもいいと言ってくれたのは大きい。
だからお付き合いができていた。

だけど多分、逆の立場になってたら元カレも私みたいな考えになると思うのよな。

この先出会う人に「私が先に死ぬかもしれないけどいい?」って聞いて「うん」と答えてくれる人、そういないと思うの。

こんなこと考えずに恋愛ができたらいいのに。


こんなふうに過ごしているうちに、私という人間のベースが重たく形成されてしまった。
思考とかがもう重い重い。自覚ある。
だから少しでも軽く見えるようにと、それらしく振る舞ってみせる。

でも重いものを軽く見せ続けるのって結構キツくて。
普段手にする重いものって何かなって考えてもお米しか出てこないので、5kgのお米で例えていきましょう。
言うて5kgってそんなに重くないんですよね。
10kgにしましょう、うん。

初めはそんなに苦もなく10kgのお米は持てる。
まだまだ体力と気力があるから。
でも時間が経てば腕とかが怠くなる。
降ろしたいけど降ろせない。
しんどくなっても周りに心配をかけさせてしまうし、「代わりに持ちましょうか?」と優しく声をかけてくださる人もいる。
だからずっと「こんなの軽いっすよ」って素振りで10kgのお米を持ち続ける。
死ぬまで延々と。

軽く見せるのも悪いことばかりではない。
それも間違いなく私の素直な言動だし、その方が楽しい。
基本的に重い性格な自分が嫌なのもあるので。

そのままでいいと言ってくれる人もいる。
その言葉はすごく嬉しい。
でもね、多分一緒にいても私という人間がつまらないと思うんだよね。

家庭環境とか人格に対する影響が大きい経験だとか、そういったもので形成された重い自分という土台があって。

その上に色んな軽い自分がいる。
「これ美味しい!」「これ楽しい!」「これ好き!」っていうね。

土台もこれくらい軽かったらいいのになって思う。

今の医療の段階では、一度患ってしまったら死ぬまで付き纏うガンという病気。
それと十年近く向き合ってきて、この先もまだまだ向き合わないといけなくて。

再発したらまた治療が始まったり、或いは緩和ケアを受けることになるかもしれなかったり、大変だなぁと考えたりもする。

結婚や出産で、誰かの人生を預かるということにも躊躇する。

ガンじゃなければなって、何回も何回も思った。
この先も、何回も何回も思うのだろう。

死なんて考えずに生きていられたら、どんなに幸せなんだろうか。

失ってしまった可能性を嘆いたとて、それらが返ってくるものでもない。

だったらもうね、とにかく今を楽しむしかないなと。

今、現在、この時間。
都内のビジネスホテルで深夜に一人、暗い部屋で音楽をかけながら、スマホをシュッシュッュしているこの時を。

コロナ禍というのもあり、密になって騒げる状況ではないけども。
いつやってくるか分からない死の瞬間、一つでも後悔は少ないように。


ということで、書きたいことは書いたので寝ようと思います。

ただね、最近ののーこはあまり余裕はないんですよ。
これから家出てー、職探してー、苦手な人付き合い頑張ってーとか色々あるので。

そんな余裕のない中でも、色んなSNSを通して色んな方と知り合って、色んなお話をさせていただいて、とても楽しく過ごしてるんですよね。

それも皆さまのおかげです。
いつもありがとうございます。

皆さまから楽しさをいただいてる分、私もいつかちゃんとそれをお返しできたらなと思います。


何気なく恒例になりつつありますが、本日のオススメの一曲を。
エレカシ・宮本さんのソロ曲の「ハレルヤ」。
アップテンポで宮本節が炸裂している、めちゃくちゃ元気をもらえる大好きな曲です。

ちなみに宮本さんは文学が大好きで、沢山の本をお読みになります。
エレカシの「歴史」という曲では森鴎外について歌ったりしています。

私が以前観たテレビの取材では、本を読んでいて分からなかったり気になる言葉には線を引いたりするとかなんとか。
記憶があやふやなので誤情報だったらすみません。

なので宮本さんの語彙力だったり表現力だったり、この人の持つ言葉のパワーは凄まじいです。
時には聴く人のパワーを逆に吸いとってしまうこともあります。

ただ、そのディープな宮本節は大体アルバムに収録されていて、タイアップなどで出されるシングル曲はすんなりと聴きやすい歌詞になってると思うんですよね。

この「ハレルヤ」もドラマの主題歌です。
明るく「頑張っていこうぜ!」というメッセージが分かりやすく伝わってきます。

宮本さんの重く暗い曲を作れてしまうところも、明るくハッピーな曲を作れてしまうところも好きです。

個人的にエレカシの「偶成」という曲がめちゃくちゃ好きなので、重く暗い宮本節に興味を持ちましたら、ぜひ「偶成」を聴いていただけたらなと思います。
宮本さんが20代前半に作った曲なのですが、「嘘だろ?」って疑ってしまうほどの大曲になっております。

それでは今回はこの辺で。
今日の子宮頸ガン検査頑張ってきまーす。




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