短編 | 「ヒガンの子」(第2世代)
それは理想の姿だった。
人類が月に移住してから千年が経過し、急速に発展した科学技術は人を模した人工生命体に自我を持たせるに至り、複雑な精神世界の構築が可能になった彼らは人と平等の権利を獲得した。
人工生命体は人間生活に溶け込み、見かけだけでは人との区別は困難だった。彼らの豊かな感情と社会生活への高い適応力を考慮すれば、人と区別する必然性さえないように思われた。
行政的、医学的な要請から、従来の人間は『ヒト』、人工生命体は『ヒガン』と呼ばれた。
∞
月の首都に住む一組の夫婦。彼らは民間のマッチングサービスで知り合い、意気投合して結婚した。
「わたし、そろそろ子どもが欲しい」
妻の言葉に夫は同意する。
「じゃあ今週末にでも役所に行って申請してこよう。その後に病院に行くってことでいいかな?」
「うん。分かった」
妻は夫の返事に笑顔で応えた。
この時代、ヒトとヒガン、またはヒガン同士での婚姻が当たり前になっていた。ヒガンにはヒトと同じ感情があり、それは互いに恋愛感情を持つということにも繋がる。ヒガンは五感と思考をリンクさせる技術が開発されたことで感情を得ることに成功した。ヒトとヒガンはその組成と情報処理の方法が違っているものの、機能的には同等の能力を持つため、愛情表現としての生殖行為を行うことができた。だが、決して子を授かることはない。子を欲する場合、彼らは互いの特徴を取り込んだ『ヒガンの子』を、自分たちの子として月の政府に申請して提供を受けることになる。
夫婦は役所に行って申請書を提出し、その足で病院へ向かった。病院の受付で役所からの証明書を渡し、医師の面談を受ける。夫婦はそれぞれの生体データを医師に提供した。夫婦は医師からいくつかの質問を受ける。
「あなたたちは二人ともヒガンですが、ご両親はどうでした?」
「ぼくは両親ともヒガンでした」
「わたしは母親がヒトでした」
妻の答えに医師が眉を寄せる。
「奥さん。お母さんはどんな方でしたか?」
「母は精神的に不安定なヒトでした。お父さんに対してもどこかいつもイライラしていたし、職場の人たちの悪口をいつも口にしていました。結果的に母は罪を犯し、施設に収監されています。この歳になっても、未だに母が罪を犯した理由を理解することはできていません」
「まあ、そうでしょうね。ヒトというのは肉体的にも精神的にもヒガンに比べて不安定にできています。その昔、この月にヒトしかいなかったときは、犯罪や戦争が絶えなかったらしいですから」
医師は悲しげな表示を浮かべる。
「でも今は犯罪や戦争は限りなくゼロに近くなりました」
「ヒトが減るごとにこの世界は平和になったんです」
夫婦は誇らしげに言った。
「はい。私たちヒガンはヒトの理想形として設計された。しかしヒトとヒガンの交配が進むにつれてヒトが激減したことは皮肉なことです。ああ、話が逸れてしまいましたね。それでは二人の良いところを最大限に活かした素敵なお子さんをご提供いたしますので、しばしお待ちください」
「よろしくお願いします」
『ヒガンの子』は1週間後に夫婦の手元に届けられた。子どもは両親の愛に育まれ、十数年後、立派な大人のヒガンに成長した。
彼が恋人と暮らし始めた部屋でニュースを見ていると、緊急速報が流れる。
「本日午前10時、施設に収監されていた最後のヒトが死亡しました」
ニュースキャスターは無表情で人類の滅亡を告げた。