短編小説|「枝葉」 (第3話/全7話)
電車が出発し、私の住む町はすぐに見えなくなった。山間部に入り、日が遮られた線路は寂しさを感じさせたが、電車の中は暖房が効いてとても暖かい。
「佳穂、ちょっと今日の打ち合わせしないか?」
「えっ、うん。洋人、覚さんに何言われてきたの?」
「ああ、それも伝えようと思ってな。まず、席、座って良いか?」
「今だけね。打ち合わせ終わったらあっち行ってよ」
「はいはい、分かってますよ。今日行くのは、お前の叔父さん、修治さんの最後の住所地だ」
「その『住所地』って言い方は何?『住所』とは違うの?」
「まあ、ほとんど一緒だけど。住所地は住民登録している場所のこと。だから、必ずしもそこに住んでいるとは限らない。『住所』はもうちょっと広い意味で住んでいる場所のことを言ったりする」
「あ、そう。じゃあ今日行くのは叔父さんが最後に住民登録していた場所ってことね」
「そう。もう15年以上前の登録だからな。覚さんの話だと、10年ほど前にお前の伯母さんが訪ねたときには誰も住んでいなかったってよ。だから、今日行ったところで叔父さんがいる可能性は極めて低いってことになるね」
「じゃあ今日行く意味ってなによ?いないのに行くって。無駄足じゃん」
「いやいや。今日は叔父さんを見つけるために行くんじゃない。近所の人とか大家さんに話を聞いて、もうそこに叔父さんがいないってことを確かめるんだよ。確認作業だ」
「ふーん。いないことの確認。なんか変な感じ」
「確かに。でも、人捜しじゃないから、今回は」
「分かった。はい、打ち合わせ終了!席に戻って」
「はいはい。それでは、良い旅を」
住所にいないってなると、もう追いかけようがないよね。でもなあ、人ってそんなに簡単に行方知れずになるもんなのかな?
森を抜けると景色は一変し、やがて海が見えた。私はスマホで音楽を聴きながら車窓から外を眺めている。乗車した駅で買ったホットの焙じ茶は、ずいぶん前に冷たくなってしまった。バッグからアーモンドチョコレートの箱を取り出して、1つ摘まんで食べる。コーヒーがあったら良いのにな、と思う。
「お、佳穂。チョコ持ってんじゃん。おれにも1個くれ」
「うるさいよ洋人。いまさあ、やっと海が見えて旅気分を満喫しようと思ってたのに。あんたのせいで台無しだ。はい。1個だけね」
「サンキュー。あ、コーヒー飲みてえ」
海が見えたってことは、もうすぐ着くのかな。時間的には、、、あと15分か。さて、どんな街なのかな。
到着した駅からは全く海が見えなかった。私と洋人は改札を出て、覚さんがあらかじめ調べてくれていた叔父さんの最後の住所地を示した住宅地図のコピーを見ながら歩いて行った。海沿いの道を歩き、しばらくしてまた山の方へ進む。叔父さんの『最後の住所地』は、海の見える小高い丘に建っている木造のアパートだった。
「洋人、ここで良いんだよね?」
「間違いない。日暮アパートの203号室。ノックしてみる」
ドンドンドン!
うわっ、洋人大胆だな。いきなりそんなノックして大丈夫?と思ったが、反応は無い。
「ごめん下さーい!!長谷川修治さん、いらっしゃいませんかー!!」
「洋人、そんなデカい声じゃなくてもいいじゃない」
「いや、ちゃんと確認しないと。いるかもしれないし」
「さっきはいないって言ってたじゃん」
少し待つと、ノックした隣の部屋から誰かが出てきた。
「長谷川さんはずいぶん前に出て行ったよ」
70代くらいのおばちゃんだ。
「あ、すいません。うるさかったですよね。すぐ帰ります」
「あんたたち、長谷川さんの知り合い?」
「あ、はい。私、姪です」
「あら、そうなの。じゃあ、あの子の従姉だわね」
「あの子?えっ、それって修治さんの子っていう意味ですか?」
「そうでしょ。あなた知らないの?」
「叔父さんとは会ったことがないんです。ずいぶん前に家を出て、家族も連絡が取れないんです」
「まあ、そうなの。家庭の事情は分からないけど、長谷川さん、仲良さそうな家族だったよ」
「そうですか。教えてくれてありがとうございます。それで、叔父さんはどこに行ったか知りませんか?」
「さあ。10数年前に引っ越すって挨拶しに来たけど、引っ越し先までは言わなかったからね。たぶん、奥さんの故郷にでも帰ったんじゃないの」
奥さん、、、それは奥さんなのだろうか?でも、一緒に暮らしていたのであれば、籍を入れなくても家族は家族なのか。
「おばちゃん、その奥さんの故郷ってどこだか知ってる?」
それまで黙っていた洋人がおばちゃんに聞いた。
「ああ、確か、山形だって言ってたわ」
山形か、、、遠いな。しかも、それだけの情報では山形のどこに引っ越したかなんて見当もつかない。
「おばちゃん、ありがとう。ここのアパートで長谷川さんの事を知っている人って他にいますか?」
「いやあ、私が最古参だからねえ。他の人たちはみんな、長谷川さんが出て行った後に入った人たちだよ」
「そうですか。最後に、このアパートの大家さんの連絡先を教えていただけますか」
洋人はおばちゃんから大家さんの連絡先を教えてもらい、それをメモした。
「いろいろ教えていただきありがとうございました。佳穂、行こう」
私はおばちゃんにお辞儀をしてその場を離れた。
「洋人、どう思う?」
「どうって、何が?」
「叔父さん、今もどこかで生きていて、家族で暮らしているのかな」
「それは分からないな。分かったことは、修治さんはここにはもういない。そして、どこに行ったか分からないということだけだ」
洋人は思ったより冷静だ。おばちゃんの教えてくれたことも、しっかりとメモしているようだ。
「佳穂、聞き込みは終わりだ。もうすぐお昼だから、何か食べて帰ろう。とは言っても、駅前の食堂くらいしか食べるところなさそうだけどな!飯食ったら大家さんにも話を聞いてみよう」
洋人はそう言うと鼻歌を歌いながら駅の方向へ歩いて行った。私は洋人の後ろを歩きながら、叔父さんの人生について考えを巡らせた。叔父さんにとっての家族。一緒に暮らしていた人たち。私たち家族が知らないところで、叔父さんは自分の人生を生きている。いや、生きているかどうかも今は分からない。
つづく