ナンニモシタクナイ

と頭が言う。だれしもがこんなふうに思う時期があったのではないだろうか。そのうち社会に出てそんなことも言っていられなくなると、次第に慣れ、もしくはその声を無視して生きられるようになるのか。
もしかすると十代や二十代前半に、ナンニモシタクナイに支配されていたのは、社会に出ることや将来への不安が大き過ぎて思考停止したかったのかもしれないし、ひょっとするとホルモンのバランスが不安定な時期は、やる気のコントロールができずに、ナンニモシタクナイと振り切って空回りを繰り返していたのかもしれないと…再び六十代のホルモンバランスが不安定な時期を迎えて思うのである。

そう。再びナンニモシタクナイ支配の時が来ているのである。
ピークを過ぎる頃になると、このnoteに書きたくなるのが常で、いつもより早く目が覚めて、書きたいと思ったので、近頃ではややスムーズなノロノロで起き上がることができたのである。
どうして「ある」口調なのかは分からない。だって、頭に浮かぶそのままに打っているだけだから。

この「頭に浮かんだままと大体同じ速度でキーボードを打てる」ことは本当にありがたいと何度も思う。仕事仲間がタイピング練習アプリとともに薦めてくれてくれて本当によかったと今でも感謝している。

ああ、彼女に会わなければいけない。そう、今回支配されているのは、宇宙から届くエネルギーが変わって、季節が変わり、ちっちゃいあまりにちっちゃい人間わたしよわたしがその変化に左右されているのだろうと思う。それに加え、長い旅行に出かける不安も大きいのだ。久しぶりに日本に帰る楽しみとも思うが、不安にも翻弄されている。

誰に会って。どんなお土産を渡すのかに、身の丈以上の感謝をしようとして、無収入の分際で見栄を張ろうとして…そうここ、こんなループに入っているのだ。今まで作ったお金を使うのだと何度自分に言い聞かせても、働きもしないでと自分を責め、常になにかしていないと申し訳ない思いで動き続け、そして遂にはそれすらできないナンニモシタクナイ期に突入してしまったのである。贅沢な悩みと思うか?苦しいぞ。ナンニモシタクナイも放って置くと、その先に見え隠れするのは4だからだ。

わたしは運がいい。こうやって思っていることを書いて、思っている速度で出せて、誰かが見てくれるかもしれない可能性があるからだ。
彼女に会いたい。そして、ナンニモシタクナイと上手につきあいたい。だって、振り回されているだけでは、思春期の時からなにもできてないことになるもの。
ここまで読んでくださってありがとうございます。どうかステキな一日を。

いいなと思ったら応援しよう!