No Life No Sports
注目される生涯スポーツ
今年はオリンピックイヤーでさらに自国開催ということもあり本来であれば国を挙げてスポーツで盛り上がっていただろう。残念な結果となってしまったがそれでもJリーグやプロ野球は段階的に再開し、我々の生活にスポーツの活気が戻りつつある。
プロスポーツに関しては多くの人は見て楽しむ活動であるが、普段の生活に身を向けてみれば自分たちがプレイヤーになっていることも多々あるだろう。人によっては捉え方は違うかもしれないが、ダイエットの為にジムに通いトレーニングする人、健康のために朝早くに家の周りを散歩する人、友人との余暇で休日に登山を楽しむ人、理想の体を求めて家の中で筋トレに励む人、など様々な理由で我々の普段の生活の中にスポーツが存在している。
医者に忠告されて健康のため嫌々やっている人などを除けば皆自主的に自身の生活にスポーツを取り入れている。それだけスポーツ、もう少し大袈裟な言い方をすれば身体を動かすことは生きていく中で必要なことなのだろう。
上記の生活の中での短かなスポーツ、よく言われる言葉では生涯スポーツが注目されている。理由としては、高齢化社会の生涯寿命の重要性やSNSによる自ら活動を発信できる時代など複合的な要因が存在し、年齢層関係なく注目する機会が多いことが考えられる。
生きていく中で誰しもが触れていくような身近な生活の中にあるスポーツを今週は取り上げていきたいと思う。
変化する生涯スポーツの特徴
生涯スポーツと一概に言ってもスポーツの種類は数多く、ウォーキングに焦点を当ててみれば行う場所は人それぞれである。ではどんな傾向があるのか現状を把握して分析してきたいと思う。
昨今の生涯スポーツとして容易に浮かぶのがジムでのトレーニングやジョギングだと考えられる。しかし必ずしも住んでいる場所の側で行えるスポーツが生涯スポーツというわけでもない。30年前に遡ればゴルフやスキーは人気を博したスポーツだ。バブル崩壊前の90年代は景気も良く、スキーに関しては映画の影響などもあり社会現象になるほど盛んに行われていた。
しかし、これらの所謂レジャースポーツは用具などの初期費用、旅費等が費用としてかさみ、時間の掛かるスポーツという特徴のせいか低成長を続けてきた2000年代から利用者及び施設の利益は減少傾向を辿っている。
(レジャー白書)
その一方で成長を遂げているのが序盤で述べた生涯スポーツとして想像し易いスポーツジムやジョギングなどのスポーツだ。データからも2000年以降レジャースポーツとは逆の傾向を表している。
経産省
レジャースポーツとは性格が真逆で費用がジムでは会員費ぐらいでジョギングに関してはお金をかけずに手軽に行えることが現代の社会状況に促していると言えるだろう。
時間の問題も関わってくる。スポーツを行うまでの移動時間もそうだが時期や屋内であれば天候にも左右されないジムやジョギングなどのスポーツはまさに生涯スポーツとして毎日継続的に行い易い分野なのであろう。
さらに低成長や高齢化に伴う社会的不安により娯楽を目的としたスポーツから健康志向を意識したスポーツに切り替わっているとも言える。
生活の中でのスポーツは当たり前だがプロのアスリートではなく一般の生活者が行うことから、経済や社会状況に左右され変化していることがわかる。
都市が提供できるもの
プロスポーツの競技場に限った話ではなく生涯スポーツを行う場合にも必ず場所が必要になる。その場所がスポーツに与える影響は大きいだろう。わかりやすい例がウォーキングやランニング。先ほども述べたようにコストを掛けず気軽に始められることがメリットのため、ほとんどの人が家の周りで行うことが多いのではないだろうか。さらに定期的に行う人は毎回同じルートもしくはルートは変えても同じエリア内で行うことが予想できる。
その際に毎回殺風景を背景にランニングなどを行うのは運動していても味気ない。健康志向のため行っている人や始めようとする人が習慣化したり楽しみを覚えてもらうには少でも負荷を取り除いてあげる要素があった方がいいに決まっている。もちろん走ることや歩くことそれ自体が趣味でどんな場所でも苦にならず続けられるような人もいるだろう。それでも周りの環境がいいに越したことはない。
背景に自然がある皇居ランナーはそこで走ったり歩いたりすること自体が一つの楽しみだしステータスになる。陸続きのような住宅街と比べるとその差は歴然だろう。さらにその姿をSNS上に投稿できる現代では尚更重要なファクターとなる。
全ての場所でスポーツが行える環境を最優先して都市や街を構想していく訳ではないが、交通が優先された道路ではなく十分な歩行者空間のある通りや、緑や水辺が広がる環境が目の前にある豊な空間が周囲にあるだけでスポーツを含めた生活の質が一つ向上するだろう。
そのために都市や街を創っていく我々がその様な空間を提供して行かなくてはいけない。まだ収束しない今回のコロナの一件で解ったように、均質なものを並べた環境では柔軟性に乏しく変化に対応しにくい。もう一度スポーツを行う環境をヒントに都市や街の生活空間を見つめ直してみるのもいいのかもしれない。
<参考>
大衆スポーツ栄枯盛衰
なぜ若者に「健康オタク」が増えているのか
(文責 遠山)
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