The Only Living Boy in New York
映画「さよなら、僕のマンハッタン」のレビューです。某レビューサイトにも載せたのですが、他の方のレビューとの乖離があまりに大きくて、自分の感性が人とは大きくずれてるんだなと再認識しました。
映画「さよなら、僕のマンハッタン」は、3つの意味で素晴らしかった。自己ベストに近い作品だが、世間の評価との乖離があまりに大きくて驚いた。
殆どの作品で親の世代というのは風景または背景として扱われる。ある時は子供を愛し応援する存在として、またある時は子供を抑圧し又は関心を示さず傷つける存在として描かれる。この作品が素晴らしいのは、親の世代を背景として描き始め、観客が油断したところで、親の世代の青春にぐっと引き寄せる。しかもその青春は過去のものではなく現在進行形のものなのである。1つ目の素晴らしさは、無視されがちな親の青い感情に焦点をあてたことであり、世代をまたがるマトリョーシカのような物語の構造の面白さである。
また、世間では婚外の恋愛というだけですぐに不倫というラベルを貼り、そこで思考停止してしまうが、実際には本人だけが知るやむにやまれぬ事情というのは往々にして存在する。この作品でも、不純不潔と思われた登場人物のやりきれない思いに焦点が当たり、観客は表層しか見ていなかったこと、そして固定観念が的はずれであったことに気付かされる。これが2つ目の素晴らしさ。
そして最後は、映像や音楽のスタイリッシュさであり、文学的な台詞である。上述のように観客の期待を裏切りつつも、このスタイリッシュさで一般受けも獲得できるのではないかと思ったが、他の方のレビューを見る限り、一般受けは悪いようである。例えば、本能に正直な主人公の行動は理解しがたいものとして映るようであるが、世の中の道徳なんて糞まみれだと思っている私からすると、なんの違和感もなく入ってくる。
このように、世の中の常識に違和感を感じている人にとっては、共感できる作品なのではないか。本当は、常識にどっぷり浸かっている人に何かを感じてほしいところではあるが。、それはうまく行かなかったようだ。
この文章のタイトルはこの映画の原題で、この映画もまた、数多くの酷い邦題の犠牲者である。