Noby

海外と日本を行き来するビジネスマン。アートと音楽と読書と映画とゴルフと仕事と自由が好き。これまで住んだのは大阪と京都と埼玉と東京とアメリカとシンガポール。

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最近の記事

悲しみを守る

悲しみを守るというのは、悲しみが、後悔や恨みのような物語に汚されないように、守ってあげること。というのが僕の今の解釈です。 悲しみなんてネガティブなものをなんで守らないといけないのか、と思われるかもしれないけど、悲しみは、かつてそこにあった美しいものへのゲートウェイになっているから、それ自体が汚されないように守ってあげないと、かつての美しかったものを大切に思っていた自分が浮かばれなくなる。 かつてそこにあった美しいものが、誰かによって踏みにじられたとしても、その踏みにじら

    • もらい事故

      もらい事故に遭った。 物理的な事故ではない。 尊いと思った時間があった。 失われた今となっても、 それはたしかに存在したのだと思う。 その時間をともに作った人が、 それを躊躇なくドブに捨てたことが とにかく悲しかった。 尊かった時間を破壊することへの躊躇 がなかっただけでなく、 自分以外の人間を壊してしまう かもしれないことへの躊躇もなかった。 自分を納得させようにも、 理解のできる理屈もなかった。 それがもらい事故だと理解してからは、 自分の問題ではないと頭ではわか

      • 北米駐在員のルサンチマン

        先日シリコンバレーの日本人駐在員と話したときに、日米の給与格差の話になった。日本人ボスの給料(駐在員手当を含む)よりも、米国人マネージャーの給料のほうが高いのはもう当たり前として、まだ2,3年目の若手の給料さえ、日本人ボスの給料を上回ると嘆いていた。(円安の影響もあるだろうが。) 日本の給料水準が30年前から上がらず、国際的に見て格安なことは広く知られるようになった。しかし、生活水準に絞って眺めてみると、違う絵も見えてくる。 国際的に取引される物品の価格は、大なり小なり同

        • The Only Living Boy in New York

          映画「さよなら、僕のマンハッタン」のレビューです。某レビューサイトにも載せたのですが、他の方のレビューとの乖離があまりに大きくて、自分の感性が人とは大きくずれてるんだなと再認識しました。  映画「さよなら、僕のマンハッタン」は、3つの意味で素晴らしかった。自己ベストに近い作品だが、世間の評価との乖離があまりに大きくて驚いた。  殆どの作品で親の世代というのは風景または背景として扱われる。ある時は子供を愛し応援する存在として、またある時は子供を抑圧し又は関心を示さず傷つける存

          消費と生産の衝突

          消費と生産の衝突について考えている。 例えば脱炭素を目指すと、アルミの消費は増やし、生産は減らす、という方向になる。自動車の省燃費化のためには軽くて強いアルミが必要だが、アルミは精錬時に鉄や銅の何倍もの二酸化炭素を出す。だから消費は増やしたいけど生産は減らしたい、というあり得ない結論になる。 ここで問題を更にややこしくしているのは、アルミの生産地と消費地が異なるということだ。例えば最大の生産地は中国だが、消費地は主に先進国である(中国も大消費地だが)ということだ。 そも

          消費と生産の衝突

          旅と飲み物

          アメリカで冷たいミルクを注文しようとして、アイス・ミルクと言ってしまい、ウェイターを困らせてしまったことがある。優しいウェイターは悩んだ挙げ句、冷たいミルクの横に氷の入ったグラスを置いてくれた。 僕ら日本人はホット・アイスを温かい・冷たいの意味に使っているけど、アイスはicedだから、本当は氷を入れるという意味だとその時初めて気づいた。 ジュースという言葉も同じで、冷たくて甘い飲み物が欲しいときに、What kind of juice do you have?とCAさんに

          旅と飲み物

          暦と季節

          旧暦の季節感は生活感より一ヶ月ほど早く、新暦は旧暦よりさらに一ヶ月ほど早いので、年賀状に新春と書くとき、それは僕らの季節感からは2ヶ月ほど早いということになる。 では旧暦ですら生活の実感よりも1ヶ月も早いのはどうしてだろう。 ある本では、旧暦の季節は中国の中原を基準にしているから日本の気候との差があると記し、別の本では、寒さのピークを春の始まりとするのが古代中国の思想と書く。これ以上寒くならないことで春の兆しを感じるという。 中国の中原の季節が日本より一ヶ月も早いことは

          暦と季節

          旧暦で暮らす

          日本人が繊細な季節感を失ってしまったのは、旧暦の行事を無理やり新暦に当てはめてしまったのも一因だと思っている。だから桃の節句には桃が咲いていないし、七草粥の日にはまだ天然の七草が採れない。それなのに伝統だからと強引に季節を祝ってしまう無神経さ。 僕が旧暦を身近に感じたのはシンガポールに暮らしていた頃。あの国では中華系の人が7割以上を締めているので、旧正月は中国正月と呼ばれ、一年で一番のイベントになる。ただ、シンガポールは常夏の国なので、正月と言っても半袖短パンなので季節感は

          旧暦で暮らす

          日本と細部

          例えば日系と欧米系のホテル・チェーンを比べると、日系のホテルはどこか垢抜けない。それは高級ホテルかどうかではなく、同じ価格帯のホテルを比べてもその差がある。おそらく建設費は大差ないのに結果が違うのは、日系チェーンが2つのことを軽視しているからだと思う。 一つはカラースキームやデザインの力を軽視していること。真っ白にしてみたり、奇抜な色にしてみたり、素人発想のものが多く、何色を使えば、そして何色と組み合わせれば、どんなイメージになるか、というプロの目を入れることを怠っている。

          日本と細部

          語られない違い

          邦楽しか聞かない友達に、洋楽でいいのがあったら教えてねと言われ、自分の好きなアーティストを何組か紹介した。ダンサブルなものというお題だったので、the 1975やらFoster the PeopleやらChvrchesやらGrimesやらBillie Eilishやら他にも色々。でも全然彼女には響かなかったみたいで、反応が薄かった。 ここから先は推測だけど、邦楽好きで洋楽が響かない人は、曲を聞くときの中心が歌なんじゃないかと思う。僕が音楽を聞くときの中心はドラムだったりギタ

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          クソ合戦

          個人レベルの話ならば、自分の非を決して認めない人や、人の非ばかり声高に言う人や、自分の自慢話ばかりする人がクソなことくらい誰でもわかるのに、国レベルの話になると、それが分からない人が多いのは何故なんだろう。しかも、国の話を自分と同化して感情的になるのはなぜ? 自分の人生がクソだから国にロマンを託す的な?

          クソ合戦

          過剰なもの

          日本のファッション(のメインストリーム)はかっこ悪い。服はなにかフワフワしていたり、ゴテゴテついていたり。髪はクリクリしていたり、モサモサしていたり、とにかく手数が多くて過剰でかっこ悪い。 昔は中国・香港・台湾の旅行者が日本にいると、なにか垢抜けないものを感じたけど、今はその逆。香港はもちろんのこと中国の人たちも、欧米の感覚に近くて、スッキリきれいに見える。 女性はもともと柔らかく見えるのだから、服や髪型までフワフワせずに、欧米人女性みたいにスッキリ男前な格好をした方が、

          過剰なもの

          絞らない

          このnoteを何に使うのかを決めあぐねている。 テーマを絞ったほうが読む側には分かりやすいのだけど、日々色々な関心事があるので、どれにも絞れない。あえて書けばこんな感じ。  ・ 仕事(国際ビジネス)  ・ 音楽(オルタナティブ、ポストロック)  ・ アート(現代絵画・空間、近世美術)  ・ 世界と日本  ・ 旅  ・ 生活の中の自然  ・ 本(小説、ビジネス)  ・ 映画(小さな話)  ・ ゴルフ なので、タグ付けしながら、色んなテーマについて書いていこうと思う。その方が

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