もらい事故

もらい事故に遭った。
物理的な事故ではない。

尊いと思った時間があった。
失われた今となっても、
それはたしかに存在したのだと思う。

その時間をともに作った人が、
それを躊躇なくドブに捨てたことが
とにかく悲しかった。

尊かった時間を破壊することへの躊躇
がなかっただけでなく、
自分以外の人間を壊してしまう
かもしれないことへの躊躇もなかった。

自分を納得させようにも、
理解のできる理屈もなかった。
それがもらい事故だと理解してからは、
自分の問題ではないと頭ではわかった。
でも美しかったものが失われ、
泥を塗られたことへの悲しみは、
ずっと残るのだと思う。

この文章は昨年の夏の終わりに書いて下書きで残していたものだが、記録として公開しておこう。

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