最適化しすぎるのも一長一短

ゲームAIに関する記事
http://news.denfaminicogamer.jp/interview/gameai_miyake
で、日本のゲーム産業が海外に大きく遅れているという内容がありました。

その背景にあるのは、現状の作り方に最適化されすぎて新しいものを取り入れるのが遅れたというところにあるようです。


1990年代の日本のゲームはその時代において、それはもう素晴らしい出来で海外のゲームを圧倒していました。
同じ手法では勝てないと感じたアメリカのゲーム会社は3D・AI等の技術を研究、開発を重ねていき、不器用さをテクノロジーの力でカバーしようとしました。新しい技術なのでなかなかクオリティの高い製品を作り出せないものの、知識・ノウハウはどんどん溜まっていきます。

そのような状況ですが、まだまだ日本のゲーム会社は安定したクオリティを誇る、職人芸のようなゲームを作る方が儲かるので、これから伸びるであろうがクオリティが劣る新しい手法を研究はあまり進みませんでした。

最新技術というのはすぐに古い技術を塗り替えられるわけではなく、明らかに効率が悪くとも最適化された古い技術は、発展途上の新しい技術よりも短期的には良い結果が得られます。

電卓が発明された時に、電卓を打つよりも熟練者がそろばんで計算する方が早いようなものですね。


そのような状態が何年か続いてきた後に2000年頃から、いよいよ、今までの手法では作ることができないレベルのゲームが海外で出始めるようになります。

AI・3D・高度なプログラミング技術を使ったゲームで今までのように人力で作るにはリソース的に無理なゲームです。


この辺りから日本のゲームはガラパゴス化していったと書かれています。
使い続けている技術をうまく使えすぎるため、新しい技術に乗り換えるのが遅くなるということですね。

今ある技術を個人が修練をしてうまく使えるようになるというのは、大事なことで個人の価値を高める上で必要なことですが、社会や、コミュニティ全体のレベルアップには繋がりにくいのだろうなと感じました。

この辺りは、素晴らしい剣技を持った侍が率いる軍隊が、それなりの腕しかない銃を持った軍隊に戦いを挑んだとしても勝てないような感じでしょうか?


チームの成果をあげる上で重要なのは、個人の技術習熟度をあげるより、技術自体を高めること、手法に縛られずどうすれば少ない労力で大きな結果を得られるかを考えること。



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