家系図を作ってみた
1)どうして家系図を作ろうと思ったのか
家族というとものは何なのかをよく考えている。思い返すと、写真を展示する際も家族をテーマとすることが多く、家族仲が良いわけではないのに(良くないからこそ?)、何か作品を作る、となったときにどこかで家族のことを考えてしまう。
家系図を自分で作ることが出来るというのをSNSか何かで知った。簡単に説明された本やnoteもあったりして、読んでみたりもした。
戸籍というのは150年しか保存されないらしく、随時過ぎたものは捨てられていく。なので家系図を作り出すには早い方がいいらしい。
私は誰かの遺産を引き継ぐ予定もないし、そもそも結婚して苗字も変わり、きょうだいも妹しかおらず、その妹も苗字が変わった。「家」という意味では消滅寸前だが、先祖がどんな名前だったのか、どのくらいきょうだいがいたのかなどを、単純に知りたいと思った。
家系図といえば自分の苗字のルーツをたどっていくのがセオリーだと思うのだが、私は祖母(母方の祖母)の言っていたあることが気にかかっていた。
私が中学か高校生くらい頃、夏休みに祖母の家へ遊びに行った私はお盆の時期によくある戦争番組を横目でみながら、ギリギリ戦争体験者の祖母に当時の話を聞いていた。祖母は9人きょうだいの末っ子だったこともあり、親戚や家族に甘やかされて育ったようだった。戦時中も優先的にお米を食べさせてもらったり、あんまり苦労した記憶がなかったそうだ。一番上のお兄さんとは20近く歳が離れており、戦死したらしい。きょうだいのなかで一番優秀だった人で、惜しい人を亡くしたと祖母は言っていた。
私が脳内で勝手にイケメンに変換された祖母のお兄さんのことをぼんやりと思い浮かべていたら、突然祖母がぽつりと『私は島崎藤村の子孫なのよ』と言い出した。その時島崎藤村のことは名前と文豪であるということしか知らず(今もよく知らない)、ふーんすごいね、くらいしか言ってない気がするが、その後も何かふとした時に『私は島崎藤村の子孫なのか...』と思うようになっていた。
家系図を作ろうと思い至った大きな理由として、この祖母の証言しかない不確かな噂(島崎藤村の子孫)を検証したいという思いもあったのだった。
2)戸籍謄本の取り寄せ方
まずは、本やnoteで読んだ通り、戸籍を郵送で取り寄せる方法で地道に作っていくことにした。母方の祖父母のいる地域である愛知県の某市に郵送の手配をしたところ電話がかかってきて、広域交付というのが始まって、近くの役所で全国の戸籍が取り寄せられるようになり、郵送での取り寄せは不要になったとのこと。
どうやら家系図作りのnoteや書籍は広域交付が始まる前に書かれたもので、情報が古かったらしい。(ちなみにそのことを夫に言ったら、え?そうだが?と何故か知っていて、早く言ってくれよ(八つ当たり)となった)
そこで最寄りの役所に行くと、本庁舎でしか広域交付はやってないと言われる。本庁舎は自宅から電車で行かないと厳しい位置になるので、交通費...というところと、基本受付が平日の12時まで(!)というのを言われ、その日から仕事に行く前、役所の始まる8:30に凸する生活を始めた。
最初は戸籍を取り寄せられるだけ取り寄せたいなと思っていたのだが、めちゃくちゃ金がかかることが分かってくる。自分〜祖母の3世代を全て取り寄せるだけで6000円ほどかかった。戸籍をそんなに移動させてない人ならそんなに多くならないのかもしれないが、基本的には『生まれた時の戸籍』『結婚した時の戸籍』『除籍した後の戸籍(死別や離婚など)』で3部ほど必要になる。1部750〜1000円ほどかかってくるので、結構1人取り寄せるのにまあまあな金額になってしまうのだ。
でもここで私が取り寄せなければ消えてしまう戸籍がここにあるーーー。その思いだけで私は何度も役所へと通った。
広域交付で注意しなければならないのが、自分が先祖と直系の家系であることを証明しなければいけない点である。例えば、いきなり曽祖父の戸籍をください、ということはできない。まずは自分の戸籍を取り寄せる→すると父までは名前が載っている。そこから父の戸籍を取り寄せる→祖父までの名前が載っている→曽祖父へ、といったように間を飛ばしての請求が基本できない。祖父・祖母の代までは名前や家族構成もぼんやり知っているので、最初のうちは少し退屈な書類を取り寄せることになる。
また広域交付には時間がかかる。例えば祖父母の戸籍を取り寄せる場合、役所にもよるだろうが数時間はかかってくる。そのため、一日で先祖の戸籍を全て取り寄せるというのは厳しくなる。私の場合は5〜10回くらいは役所に通った。(最後の方に担当してくれた職員の方が、『(戸籍謄本を)取れるまで遡りたいのですが...』と言ったら、書類は後記入で先回りして取っておいてくれたため、最後の3人分くらいを一回の役所移動で済んで大変助かった。)
また、担当してくれたとある職員の方が「最近同じ目的の方が多くて、書類の取り寄せに時間がかかるんですよね…」と言っていたが、こんなことをしている奇特な人がほかにもいるのか!?と驚いたりもした。
3)家系図の作り方
以下、簡単な家系図作成までの手順。
①役所(地域にもよって違うだろうが、本庁舎)へ行って広域交付の戸籍取り寄せの書類を記入する
②窓口で『家系図を作りたいので戸籍を遡りたい』と伝えて、まずは自分の戸籍をとる(一言目的を伝えることで、話の早い担当の方に出会える可能性があがる)
③自分→父→祖父→曾祖父…とさかのぼって戸籍謄本を取得していく。
④取り寄せた戸籍謄本を見ながら、家系図を書いていく。
家系図を書いていくと一言で言っても、私は紙に書いたりしていくのは面倒だったので、何か簡単に記せるものはないかと探していたらこんな便利なアプリがあったので利用した。
広告は挟まるものの無料で使えて必要な情報も簡単に記載できるのでおすすめ。これを見せながら役所の人と先祖の名前を確認しようとしたら「こんな便利なものがあるんですね!」と驚かれた。
4)島崎藤村の子孫?
結果、私は父方も母方も六世代前までさかのぼることができた。ひいひいひいひいおじいちゃんだ。父方では誕生日まで知ることができたのは五世代前のひいひいひいおじいちゃんまでで、1828年11月11日生まれの「儀右衛門」という名前の人だった。いかにも江戸時代という感じの名前である。ちなみに1828年には西郷隆盛も生まれているらしく、当たり前のことだが、その時代を生きた先祖がいるから今の自分がいるのか…と何だか灌漑深くなったりした。
さて、島崎藤村の子孫だといった祖母は父方ではなく母方の祖母のため、祖母の先祖をたどったのだが、私の出した結論としては「子孫ではない(だろう)」である。
島崎藤村は1872年3月25日(明治5年2月17日)の生まれで、1943年(昭和18年)8月22日)に亡くなっている。
ということは本当に子孫だった場合は、その近辺の親族に島崎藤村の名前があるはずなのだが、祖母の直系にはその名前は見つけることができなかった。また、島崎藤村全集などに載っていた家系図(藤村の子供など親族の名前)と照らし合わせもしたが、同じ名前の人を見つけることもできなかった。
ただなぜ私が「子孫ではない(だろう)」としているかというと、祖母は岐阜県の中津川市近辺の生まれのようで、島崎藤村の生まれと一致しているのだ。ちなみに祖母本人に子孫だという話をした記憶がないかLINEで聞いたところ「無い」とのことだったのだが(無いのかい)、祖母もいい年なのでおそらく忘れてしまっているだけだろう。生まれの場所が一緒という点と祖母の話をかけ合わせると、まったく無関係の人とも言えないのではないだろうか、と私は考えている。
5)家系図作りは楽しかった
今回は島崎藤村の子孫か?という目的もあったので、父方の先祖だけでなく、母方の祖母の先祖をさかのぼったので、結構な量の戸籍謄本を取り寄せることになった。父方も母方も普通に5人以上のきょうだいがいる代が何代もあって時代を感じたり、若くしてなくなってるきょうだいがいることもわかったり、今じゃあまり見かけない名前の親族がいたこともわかったり(カタカナで「ウメ」とか「ツヤ」とか)、自分の知らない自分に出会うことができたようで楽しいものだった。
お金がいくらかかったのかあんまり考えたくないが(おそらく二万いかないくらい…?)、暇な人は是非取り組んでみてください。