初めてのセッション
私には人生の師匠がいる。
私の模範だ。
師匠の所にお世話になる前、身の回りで様々なことがあり、自分としてもいつの間にか疲弊していたのだと今は思う。
社会の辛辣さ、疲弊感、自己保身。
そんなものもたくさん見てしまって、苦しいことも多かったけれど、それでも必死になって毎日笑っていた。
そんなことも楽しめていた自分が今はとても誇らしい。
誰かのために苦労をすることは、当時から自分にとっては喜びだった。
会社でのこと。
部署やチームなんて関係なく、色んな所の面倒を引き受けていたら、いつの間にか他部署のメンバーの上司になっていたりもした。笑
楽しかった。
深夜まで働くことも厭わなかった。
サービスだから良いでしょ?上限までは残業代つけますけどね。やることやらない方が嫌です。と笑ってた。
仕事は楽しかった。
(今は風潮もあり、随分改善されてきたようです。悪しからず。)
でも、皆が倒れていく様はどうしようも無く哀しかった。
何とか手を差し伸べるけれど、そもそも自分のタスクだけでもギリギリ、どうにもならないことはあった。
当然、私だって完璧ではない。
上司には大変お世話になった。
周りにも助けられた。
自分が当時よくわからないことだらけで苦しんだからこそ、Newメンバーには特に気をかけた。
それぞれの仕事がスムーズに進むように、なるべく気を回した。
それでもメンバーは入れ替わり、立ち替わり、そして顔色や雰囲気の悪くなるプロジェクトに疲れてもいた。
皆必死だった。
そして自分を守り出す。
自分だってそりゃあ時にはそうしたい時もあった。
でも、それをやり始めたら終わる。どこかでそう思って、一生懸命耐え抜いた。
最後には、いつの間にか最古参メンバーの1人となっていた。
やり切った。とにかくやり切った。
特に逼迫した時、歳の離れた幹部上司達数名が必死になって早朝まで資料を作り上げる様なんて微笑ましかった。
私も当時若手だったが、役職上か、何故だか場違いな気もするそこに参加して、資料をまとめていた。
モニター一つを囲んで、いつもはキレッキレの頼りになる上司達が、どうする?と唸りながら急に黙りこくって息を合わせたように自然に皆寝始めた時には、もう、どうしようかと思った。笑
重要会議の当日の朝だった。
面白かった。楽しかった。
意を決して、
…皆さん、起きてください。
と言ったのが私の1番の功績だったかもしれない。笑
最後の最後に、
これでいこう!とようやく固まった内容。詳細まで詰め切った。
そして、
後は若者、頼む!
と言われた時は、
やっぱりな!ふざけんなよ!
と思いつつ、笑って資料を整えてシャワーだけして、少し休憩をとって、そして会議に持っていった。
無事に終わった。
その日も遅くまで働いた。
さすがの連日連夜に見かねた上司が今日は帰れと言ってくれた。
ありがとうございます。まとめをやったら帰ります。
と言って、その後、何でか結局名前を呼ばれて会議に参加してた。
あれ?帰って良かったはずでは??笑
と思いながら参加した。
会議中、議事録を取っていたはずのモニターの画面が気づけばめちゃくちゃになっていた。
〜〜
kkkkkkkkkkkkkkkk
kkkkkkkkkkkkkkkk
忘れないkの羅列!!
どんなに眠くても会議で寝たことはなかったのに。。。。
やっちまった。
目が覚めた時には会議は終わっていた。
何も言わないで上司がすべてかわってくれていたようだ。
大丈夫。もう今日は帰ってくれて良いから。
と言ってくれた上司達の顔が忘れられない。
何日まともに寝ていなかったんだろう。
その時あたりが忙しさのピークだった。
楽しかった。本当にそう思う。
けれど、社会に出て、色んな働き方を見て、結婚や人生、生き方やその先について考えさせられた。
若いうちはこれで良い。そう思っていた。
祖父の言葉が耳に残っていた。
「若いうちの苦労や経験は、金を払ってでも買いなさい。」
祖父は社会的にも立派な人だった。
時折挫けそうな時、この言葉がふと思い出されて、これで良い。大丈夫。よしっ!と自分に言い聞かせたこともあった。
そんなつもりで入った会社でもあった。
けれど、果たして、いつまでこれがもつか?
いつまで続くか?
お金?名誉?地位?格好良さ。
確かに大切だ。
でもこの切り売りは何だ?
こうまでして得るものか?
心は?
皆、笑おうよ。
確かにそう言う会社に入った。
でも、社会で良いとされる会社だ。
何だこれは?
頭も良い、仕事も出来る。
でも、何だこれは?
労働時間に対する不満ではなく、人を人と思わないような扱いに疑問をもった。
ビジネスが出来るとは、人を蹴落とすことか?
相手を潰すことか?
自分を守ることか?
自分はこんなに出来るぞとアピールすることか?
確かに、イケイケでバリバリで、格好良いのかもしれない。
でも、苦手だった。。
人に間違いを指摘するならさ、こっそり教えてあげたいじゃない?
失敗は責めずにさ、どうしたら良くなるか話してあげれば良いじゃない?
どうしようもない哀しみは心の奥底にしまって明るく、明るく、元気に精一杯努めた。
でも、切り裂くような同僚や上司や仲間達の一言が怖かった。
否定される言葉が多くて痛かった。
そう言う周りを見るのも辛かった。
時間がないから、忙しいから、
苦しそうなら、自分が苦しくても助けるのが当たり前ではないのか?
なあ、同僚達よ。
皆、大変なのは分かるよ。
でもさ、仲良くやろうよ。。
どうして、皆自分だけを守ろうとするんだ??
チームだろ?
分からない。
分からない。
もう限界だー。きついなー。
と思いはじめていた頃、一年程経って途中で上司がかわった。ヘルプで入って来てくれた。
その人とはとても気があった。
よく一緒に深夜まで働いた。付き合ってももらった。
その上の上司もかわった。
はじめてのプロジェクトで一緒に働いた方だった。
その人ともとてもやり易かった。
あまり表には出さないけれど、男気を分かってくれる人だった。
根回しや気配りを理解してくれる人だった。
上長に男気をかましてしまった私のせいで、一緒に怒られてもくれた。
すみません。
もちろん良い面ばかりではなかったが、私にとってはやり易かった。
他部署にも後輩が増えた。
先輩も。
いつの間にか自然と助けてくれる人が増えていった。
そうではなかった人は、自然と消えていった。離れていった。
男気をかまして以来、一時期、まるで目の敵のように叱られまくった上長も、最後には一緒に頑張った仲間と言ってくれた。途中からはよく目もかけてくれるようになった。嬉しかった。
(詳細は伏せるが、あるタスクについて、これは僕の責任です。としてしまった。すると、じゃあ俺が安心出来るようにお前がその言葉通り全部しっかりやれ。ということになった。上長としては、人のせいにしておけ。ということだったようだ。)
色んな人の寂しさを見た。
本当はこうなんだよな。
こっちが好きなんだよね。
そう思うことがたくさんあった。
中には、本当に人を蹴落とす人もいたよ。
でも、皆、この社会の色に染まろうと必死だった。
そんな人間模様をどこかで達観してみていた自分がいた。
結婚や自分の生き方についても真剣に考えた。
このまま結婚して、子どもが出来て、孫が出来て、そして、その後は?
家族に対しての責任をもてるか?
養っていけるか?
大切に出来るか?
思い通りにならない子孫、そこに人生をかけてどこかで失意にくれる。
そんな親族や周りを見てきた。
(そう言う話をよく聞かされた。周りの相談を受けることが多かったのです。)
子どもや家族は大好きだった。
それゆえに余計考えてしまった。
自分の人生って何だっけ?
遮二無二働いて、必死になって、そしてせいぜい年数千万。
その対価は?
家庭は置いてけぼり、それで子どもから愛されるか?
それでも家族を大切に出来るか?
別の働き方、稼ぎ方も知っている。
勉強もした。
それこそ、もっと楽に、お金を手に入れようと思えば簡単に手に入る道もまた別にあった。
でも、それで?良いのか?俺は?
自問自答していた。
(お金の大切さは身をもって知っています。悪しからず。)
当時の彼女、家庭を安心して任せられるような女性か?
共働きで、両立出来るか?
金、地位、名誉、会社名、家柄、見た目。
周りばかり、ブランド品か?
結婚がゴールなのか?
いつからそうなった?
俺に点数つけて、満足か?
会社の上司は無責任にさっさと結婚しろよと言う。
遊んどけよとも。。
なあ、心は?
人間、いないのかな。
もちろん、いつもいつもこんなこと考えていたわけではない。
まあ、いいか。笑
何とかなるかあ!
どーせやるなら!
そんな言葉が口癖の自分だった。
でも、東京に来て、都会の寂しさを痛感した。
子どもの頃も、時折遊びに来ていた。
親戚に連れられて、ワクワクしながら初めて空港から出て、外に出た時の第一声を覚えている。
空気わるー。うえっ。
でも、見たことのない景色にワクワクした。都会には都会の楽しみがあった。
大学生になって、本格的に東京に来た。
ティッシュ配りのお兄さんに、受け取らなくてごめんね。
と頭を下げないで素通りしていく人たちを見る。
つめてーな。
エレベーターで開くを押してくれているのに、お礼も言わない人たち。
何でだ?
押しのけて我先にと電車に駆け込む。
いや、分かるけどさ、周りの人、痛そうじゃない。。
次第にそんな都会に慣れてしまっていく自分。
歩くスピードもすっかり変わってしまった。せかせか、せかせかと。
今までの自分がどこかに消える。
人は?心は?
何なのここは?
奥底の叫びなんて聞こえなくなっていた。
とっても普通にしてた。
時折思い出す感覚。
アスファルトばかりだ。。
土、踏みてーな。
酒呑んで騒いで、女、女ってさあ。なあ、女性は道具なんか?
ヤリたい。それがすべてか?
……そうしなきゃいけないのか?
俺がおかしいのか?
浮気してないの?遠距離でしょ?
って言われた。
人によっては、お相手にはされてると思うよ?
だって。
いやー、、した方が自分としては辛いんだよね。。
べつに聖人君子決め込むつもりではないけれど、出来るだけ誠実でいたいじゃない。。
俺がおかしいのかなあ?
虚しいな、ああ、哀しいな。
お前らそんな奴だったっけか?
久しぶりに会う友達のかわりようも寂しかった。
都会はビルばっかり。
海、見てーな。
あーあ、狭い。
息が詰まる。
それでも私は都会で輝いた。
成績優秀賞、金ピカの盾。
ニコニコした親の顔。
嬉しそうな祖父母。
満足気な友達、彼女。
楽しかったなあ。
楽しかった。勉強も好きだった。
心からそう思う。
でも、やっぱりどこかで心はいつも泣いてたんだよ。
苦しかった。寂しかった。
格好つけることも嫌いじゃなかった。
会社でだって、それなりだったさ。
でも、そういうことばかりに重きをおく生活に疲れてしまっていたのだろう。
師匠のことは親伝いに聞いた。
当時は親族の関係でもいろんなことが立て続けに起こっていた。
そのゴタゴタ関係で、お友達経由でこういう人と縁が出来たのよという話だった。
師匠が、どんなことをやっているか、どんな内容なのか見せてもらえた。
とても嘘や作り話には思えない内容がそこにあった。
これ、、だ?
そんな感覚。漠然と。
同時に安堵した。
何だかよくわからないこともあったが、いくばくかその方のおかげで安心している親の顔を見て安堵した。
当時、どんどんやつれていく親を見てはいられなかった。
悩んでいる自覚なんて自分でもなかった。
たぶん、今まで私に関わってきた誰に聞いても、今ここに書いたこういう内容、嘘つけよお前。笑
と言われると思う。
社会のこと、人のこと、家族のこと、周りのこと、守りたかった。
人のためになることは好きだった。
助けたかった。
必死だった。
妹はいわゆる霊媒体質。
当時はそんなこと知る由もないが。
予兆はあった。大学生になって一人暮らしになって、余計に拍車がかかった。
一体どうした?
まともじゃない。そんなことがたくさんあった。
よく相談された。親からも。
どうにもならなかった。せめても他人には迷惑はかけなかったのがすくいだ。
弟も親ともめていた。
結婚や新しいステップで双方の軋轢は広がっていくばかりだった。どちらの言い分も正しかった。
でも、どちらもひどく子どもに思えた。
ない時間を割いてよく仲裁に入った。
兄はある程度で無頓着。結婚なんて事後報告みたいなもんだろって。優しい兄ではあった。でも、高い所から遠くを見るように冷静に家族を見てた。
義務は果たすよ。
そんな一言が哀しかった。
どこからどう見てもピカピカの家族だったと思う。
一体いつからこうなった?
一体いつからこんなことに?あの時のように仲良くいようよ。
なあ、皆どうしたの?
すべて、何とかしようとした。
何とかしたかった。
会社のこと、社会のこと、友達のこと、家族のこと、人のこと、誰かのこと、どうして皆哀しそうな顔して生きるんだ?
本当にそうやっていたいのか?
俺、どうしよう。
どうしたら助けられる?どうしたら良い?
俺も、もう限界かも。。
なんとなく、薦められるままに師匠の所の門を叩いた。
と言っても、荘厳な神社仏閣というわけではない。
最寄りまで、出迎えてくれるとのこと、緊張した。
はじめまして〇〇です。
はじめまして。
お世話になります。
どうぞー。乗って乗って。
失礼します。
はあい。
どうぞどうぞ。よろしくね。
はい。よろしくお願いします。
あの、お話は色々と聞いています。
うん。
思ったより、普通のおばちゃんでしょ?
そんな会話だった。
今でも忘れない。
スピリチュアル、霊能というと、どうにもおどろおどろしいような、不思議な感じの人というか、掴みどころのないような、捉え所のないような、どこ見てるんだ?
そんな感じの人という印象があった。
魔女のような人が出てきたらどうしようかとも思っていた。笑
「普通のおばちゃんでしょ。」
その一言に全てが表れていた。
ニコリと笑って、自分を下げて笑いを誘う。
安心させられた。
その一言に、嫌味も、気を遣う必要もなく、
どこか、はい。良かったです!
と元気に応えてしまえるような、そんな雰囲気でさえあった。
(※10人いれば10人、うん。綺麗だと思うと言うような方です。)
会社はどう?
そんな当たり障りない会話を続けた。
出来るだけ丁寧に、用語も分かりやすいものを選びながら、会社のこと、自身のやっていることやこれまでのことなんかを説明した。
でも、自然に会話が成り立つ。
あれ?この方は経済がよく分からないと言うわけではないのかな?
失礼ながら経済や会計、ITの話なんかにも自然にスムーズな会話が成り立つことに驚いた。
あれ?何だかこの人、想像していた感じと何か違うなあと何となく安心した。
(元々当時のトップ企業の一つにお勤めしていた方でした。現在は、自社でのお仕事も両立されている方です。あの時は勝手な想像を失礼しました。一般人からしたら霊能者って何となく不思議でどこか怖いようなイメージがあったんです。勝手なイメージに流されていましたよ!笑)
そして、お宅にお邪魔させていただいた。
入った瞬間、気持ち良かった。
何だろう、なんとなく、気持ち良かった。
空間、音、匂い。
ああ、良いなあとワクワクした。
そして始まったセッション。
はじめに、霊界の成り立ちや魂について等の説明をうけた。
神や光の存在、波動の高低や繋がる先のこと。
面白かった。不思議で、興味が湧いた。
お手製の教科書もあって、何だか学生気分に戻ったような。
質問もたくさんした。
いくつか何となくそれらしい質問をした後、
少し自分の中での迷ったような感覚があって、一度右下の方を見た。
そして、
聞くことは決まっている感覚はあるのに、考えるような素振りを見せて、そしてフッと前を向いて、師匠の顔を見た。
その顔を見て、何だかとても自然に言葉が出た。
「人って何のために生きるんですか?」
自分でも驚いた。
あれ?俺何でこんなこと聞いているんだろう。と思った。でも、とても真剣だった。
聞かなきゃならないような気がした。
今日はこのために来たんだと思った。
師匠は、笑って応えてくれた。
「修行よ。」
ストン、
と、今までのすべてとこれからの人生に合点と納得が言った。
一言で充分だった。
「そうなんですね。」
そう応えた。
その時の師匠の諦めたような、様々なことを乗り越えた先にあるような、そんなさらりとして、どこか寂しさもあって、それでも前を向いて、嫌な感じはまったくない"良い"笑顔。
鮮明に覚えている。
そんな顔であなたにそれを言われちゃあなあ。
と言った感じ。伝わると嬉しいなあ。
何だか、そんなものが滲み出ていた。
それから、
とりあえずまあ、という感じで仕事のこと、当時の彼女のことを聞いてみた。
あんまり悩みはないつもりだったので、とりあえず普通はこんなこと聞くよな?
と言う感覚で聞いた。
当時の彼女との『縁』について、
そして仕事のことについて、
昇進は慌てないで。
年周りもいいし、来年だね。
だって。(ミーハーですが、当たってたよ!!笑 嬉しかったです。)
そして、最後に御霊上げをしてもらった。
今のあなたにとって、わだかまりになっているものをとるから。
何が観えたかは後でお伝えするから安心してね。
それでは。きつかったら楽にしてていから。
と、場所を少しだけかえてとりあえず正座して目を閉じて始まった。
空気がピーンッッと張り詰めたような、
ドッカーン!!
と言う表現が適切とは言えないが、私にとっては、そのくらいの衝撃だった。
え?そんな感じ??
え?え?
と慌てたけれど、ひとまず落ち着いて御霊上げが終わるのを静かに待った。
はい、終わりましたよー。
お疲れ様。安心してね。出てきた方は上がられましたから。
詳細をお伝えするね。
と、再度場所を戻し、お話を伺った。
なんでもその時は、
漂流した漁師さんが出てきて、岩の上から遠くを眺めて、どうにもならない状況。
家族や村のことを思っている場面が観えたとのこと。
(詳細は割愛する。)
私の過去世、ご縁ある魂の一つと言う形で出てきたらしい。
私はとにかく、そうか、それは良かった。何だかよくわからないけど、その方が助かったということへの安堵と、
何だかスッキリしたような感じで、
目の前の師匠のハツラツとした笑顔に、とにかく良い方向に繋がったんだなと言うことが嬉しかった。
そして最後の方に言われたこと、地球が大変なのよ。今ね、地球が大変なのよ。
その時は、そうなのか。
と思ったけど、それを言われても自分に何が出来るかなあ。下手なことも言えないしなあ。。
と思って、正直返答に困った。
そうなんですか。色々大変なんですね。位にしか返答出来なかった。
(後日談ではあるが、師匠もセッションで人にそういうことを言ったのは初めてで、何で言ったのかはその後精査して分かったとのこと。)
帰りの道中、その日は少し時間に余裕があったからとのことで、家族のことも少し話をしながらご丁寧に送っていただいた。
ご挨拶をして、帰路に就いた。
セッションの内容を思い出して嬉しかった。
とにかく嬉しかった。
修行、修行か!
なんだ、そんなことか。
なんだなんだ。
すべてに説明がついた気がした。
ただそればかりが思い出された。
会社のことも、家族のことも、彼女のことも、友達のことも。
なんだ、なーんだ。
たった一言で私は救われた。
自然と笑顔になって、珍しく、ルンルン気分でニコニコして歩いたことを覚えている。
次の日、当時住んでいた場所の近くの神田明神へお参りに行った。
あなたが行くならまずはここね。
あそこは江戸総鎮守でもあるね。と教わった。
神、
かあ。
今まで何となく手を合わせて頭を下げてはいた。
風習や行事には参加した。
人頼み、神頼みよりもまずは自分がやることやってからだろと思うようになっていた。
小さい頃は真剣だったと思う。
あれ?いつからこうなった?
師匠の言葉や態度、様々見せていただいた内容に嘘は感じられなかった。
何より、実際に会って、話してみて、人柄や対応が素晴らしかった。
疑いたくはないけれど、
大丈夫かな?本当かなあ?
そんな気持ちがあったのも事実だ。
けれど、親族も世話になった。
師匠が対処してくださって観えたもの、その観た内容は到底嘘や作り話には思えなかった。
間近で見てきた家族のこと、親族のこと、身近だからこそ納得いくことばかりだった。
その人の言うことだ。
信じてみよう。そう、素直に思えた。
神様って本当にいるんだ。
そうすると、守ってくれていることも、そこにいることも知らずに。
失礼だよな。
そんな気持ちになって、まずは真剣に詫びた。そして、せめても今までの分もと思って感謝もした。
本当にいるんだと思って真剣に手を合わせた。
「失礼ながら自分にはよく分かりませんが、そこにいて守ってくださっているとのこと。ある方から教えていただきました。今まで知らずにすみませんでした。ありがとうございます。」
そう言って、
大人になってからは初めて、そこに本当にいると思って、神に真剣に向かった。
それから、私の人生は激変していった。
目に見えない所や自分の周りではない所、そう言った所で知らない間に誰かのおかげで自分の今は成り立っている。助けてもらっていることもあるんだ。
よく言われることだ。
でも、人間、具体的に見せてもらわないと中々認知出来ないもので、少しやってはみても、いつの間にかまた忘れている。
どこかで当たり前にしてしまう。
そんな私ではあったけれど、このことをきっかけに変わっていった。
ある時、師匠の祈りを見せていただいた。
綺麗だった。
世界が地球が宇宙が、平和でありますように。
人々が幸せに暮らせますように。
そんな祈りだ。
そんなこと言うと、どこか変な目で見られてしまうのではないかという感覚がある。偽善だと揶揄されるのではないかと。
でも、綺麗だった。
自分の見た感覚に嘘はつきたくなかった。
こうありたい。
そう強く思った。
それから、出来る限り真似をした。
自分の出来る範囲で世の中の役に立ちたいと改めて思った。
偽善だと思われても良い。
少なくとも"この人の前"では何かの役に立ちたい、人の幸せを心から願いたい自分でいて良い。隠さなくて良いんだ。
と言うことがとても嬉しかった。
次第に、それが当たり前になっていった。
もちろん、まだまだ発展途上だ。
そんな自分を、おかげ様で、今はとても好きでいられます。
ありがとうございました。
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