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家族の話「47年経ってもキミが好き」#6 43回目の結婚記念日 小林信也
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2月22日は何の日?
K子に出会ってこの夏で48年。結婚(入籍)は出会って5年目、昨日2月22日が43回目の結婚記念日だった。
夕方、喫茶店で落ち合った孫娘に「今日は何の日か知っている?」と聞いたら即座に「知ってるよ」と返ってきた。娘の教育が行き届いているのかと思ったら、すぐ次に「猫の日!」と叫んだ。
そうか、「ニャンニャンで猫の日」に僕らは結婚したのか。これも運命だなあ。出会った当初、K子は「私、猫と喋れるの」とうそぶき、野良猫に出会うと呼び止めて会話していた。確かに、K子が鳴きながら腰を沈めると、野良猫はK子に近寄り、二人のけたたましい合唱が始まる。K子の鳴き声は口先だけでなく、低い響きを宿し、通常は人の鳴き真似にない〈艶〉があった。目をつぶると、本当に猫かと思う猫らしさに聞き惚れた。
43回目の結婚記念日の朝食メニュー
さて、このところ朝は7時前に起きて、ポトフを作るのが十日ばかりの習慣になっている。K子が「これは美味しい」と初めて僕の手料理を絶賛し、「毎日ポトフがいい!」と本気で言うので、玉葱、にんじん、じゃがいも(できればインカのめざめ)をまず切って茹で、頃合いを見計らってブロッコリー、トマト、ピーマン、日替わりで椎茸、セロリ、紫キャベツ、大豆などを加える。一度、ビーツを入れてボルシチ風にした。これもいけた。K子の薦めでサワークリームを添えたらいっそう深みが増した。野菜の味が豊かだから味付けはなくていいくらいだが、ブイヨンの顆粒を2袋、薄めに入れる。40分くらいで食べ頃に出来上がる。
毎朝大変かと思うと、そうでないのが不思議だ。
(明日も朝起きて野菜を仕込むぞ)
そう考えると張り合いがあって、なぜか目が覚める。夜も案外、以前より早くベッドに入ろうとする。夜、夕飯の後に仕事をするから、どうしてもおやつに手を伸ばす習慣があったが、「明日も朝、美味しいスープを食べるぞ」と思うと、夜食が我慢できる、そんな好循環が始まっている。
トーストには「何もつけなくていい」とK子が言うので、ずっと軽く焼くだけにしていたが、やはり味気ない。K子がアボカド・ディップにして塗ったら美味しいよ、というので、おまけにクリームチーズも加えたら抜群に上品な美味しさで、スープと絶妙なコンビになった。そしてもちろん、お気に入りの喫茶店《ニンカフェ》で求めた珈琲豆、最近はエチオピア・ガッファ・ゲイシャG3ナチュラル(中浅煎り) を挽き、ペーパードリップで淹れる。これらが全部同時に完成するのが理想だが、時々手順を間違う。まだ修行が足りない。
ライティング・ハイの悦び
約1時間で朝食の準備から食事までを済ませると、急に原稿を書きたくなる。自室(書斎)に入り、パソコンの前に座った途端に完全なる集中状態にワープする。瞬時に文章があふれ出し、アッという間にその日書く予定の原稿が出来上がりに向かう。この速さは若いころにはなかった。心地よい、考えずに文章が湧いてくる、楽しいなあ、ありがたいなあ、などとライティング・ハイを味わっていると、突然、K子の声。ズカッと書斎に立ち入り、威勢よく叫ぶ。
「ねえねえねえ、XXXXX……
※誠に恐れ入ります。この後に続く原稿を当初は公開していたのですが、K子さんから削除の要請があり、残念ながら一部公開をお休みさせていただきます。※
僕は当然、最高の集中を無遠慮に破壊され、全身から怒りが湧き上がる。
「じゃあいいです」
K子が立ち去った後も、書斎にはK子の主張が充満し、もう原稿どころではない。43年経ってもK子は〈作家の妻〉のわきまえを身につけようとしない。
(どういう神経なんだ!)
と、僕は心の中で毒づいてみるが、言っても仕方がないと気付き、ため息をついて気を取り直す。そしてすぐまた集中状態に戻るのだ。
「K子のおかげで成長している」と思ってしまう僕
うーむ、思えば僕は立派に成長している。K子の破壊に負けなくなった。
(これって、K子に鍛えられてるってこと?)
そう考えるとなんだか癪にさわって、いつもは言い出す結婚記念日のランチだとかに誘わなかった。するとK子がうどんを食べながら、鬼の首を取ったように囁いた。
「ノブヤ、今日、結婚記念日、忘れてたでしょ」
「忘れてないよ」
「忘れてたよ、お詫びにホワイトデーのプレゼント、よろしく!」
「ホワイトデーって、僕には10年以上バレンタインデーがないんですけど」
「バレンタインデーがなくても、ホワイトデーはある」
爽やかに言い放つK子の一方的な明るさは、売れない作家を育てる妻の矜持なのかもしれない。そうやって、僕らの結婚44年目が始まった。
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