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「天才」ライターの軌跡1 小林信也 天才に寄り添う「天才」ライター
小林信也「スポーツライター塾」「作家の学校」開講!
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四つめのエッセイ・シリーズを新しく始めます
今日からまた新しいシリーズを立ちあげます。これを毎日書き続けるわけではありません。
これまで《家族の話 47年経ってもキミが好き》《僕が創って・手放してきた宝物 日本スポーツ“裏通り”の出来事》《勝手にスポーツ大臣》、3つのテーマで短編エッセイを重ねてきました。さらに新しいテーマを加えようというチャレンジです。
いくつか候補はあるのですが、今日から連載を開始するのは《「天才」ライターの軌跡》。
カツラの話、芸妓さんの話、YOSHIKIの話を書くスポーツライター
「スポーツライター」という肩書で暮らすのは、ずっと居心地が悪かった。いまもそう。できれば別の肩書はないだろうかと思案し、数年前からはせめてもの抵抗で「作家・スポーツライター」と自分では名乗っている。でもテレビ出演の影響もあって、いまは多くの人たちが僕を「スポーツライター」と認識してくれているので、それはとてもありがたいことだと受け容れてもいる。
なぜ居心地が悪いかと言えば、理由は単純だ。
「僕はスポーツの話だけを書いているわけではない」からだ。スポーツ以外のテーマでも本を書く。例えば《柳都新潟 古町芸妓ものがたり》=新潟の格式と伝統のある花柳界の人間模様をスポーツライターが書くのは妙だろう。X Japan のYOSHIKIをスポーツライターの小林信也が長く取材して書くのも、読者からすれば違和感がないだろうか。《カツラーの秘密》も、少しはスポーツと接点があるけれど、スポーツ本ではない。そして、僕が文章を書きたいのは、スポーツの勝った負けたにいつも動揺し、その動揺を楽しんで生活しているわけではなく、有名無名を問わず、僕が心を魅かれた人たちの心情や生き様、才能開花の思いがけない瞬間に出会った喜びなどを物語に表現したいのだ。スポーツというより、人間そのもの、普遍的で奥深い領域。その深さ、繊細な心情を表現する作家と、世間一般が連想するスポーツライターのイメージはかなり距離があるだろうと感じて来たからだ。
えらく評判の悪かった、僕の気に入った肩書
若い頃、「これだ、この肩書で行こう」と自分ではすごく気に入った肩書というか、自分の形容詞?を思いついたことがある。ところが、編集者や知人にそれを披露するとえらく評判が悪かった。ほぼ全員が「バカじゃないの」「それはダメでしょ」と非難ごうごう、取り合ってくれなかった。
それは《「天才」ライター》という肩書だ。口にすると、誰もが決まって「自分で天才って言うのはさあ」と嘲笑された。いや、そうじゃなくて……。僕の説明はこうだ。
「スポーツを書くからスポーツライター。天才を書くから天才ライター」
それだけの話なのだが、まったく通じなかった。
ある時期から僕は、天才と呼ばれる人物に魅かれ、また彼らからもなぜか引き寄せられ、気がつくとすごく近い距離でその人を手伝う生活をしばしば経験する自分に気がついた。
若いころは、天才に憧れ、自分も天才と呼ばれる傑物になりたかった。けれど、僕は天才ではなく、どうやら天才と呼ばれる人たちを輝かせる裏方の役割を担っているらしいと認識した。
長嶋茂雄、赤井英和、YOSHIKI、白石宏トレーナー、大の里……
二十代の後半になって、幼いころから見上げていた長嶋茂雄さんと仕事をすることができた。カール・ルイスやシカゴ・ベアーズのQBジム・マクマーンらの故障を治し、天才トレーナーと呼ばれた白石宏氏とは二十年近く歩みを共にした。その過程でYOSHIKIとの出会いにも恵まれた。
気がつくと近い場所で併走することになった様々な分野の天才たちとの日々の一端をこのシリーズで時々書いてみようと考えている。
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