
“天才”ライターの軌跡17 クレージー・ジョンに教えられた核心 小林信也
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フリスビー界の人気フリースタイラー
僕が「天才と過ごした日々」の中、忘れることのできないひとりが “クレージー”ジョン・ブルックスだ。
クレージーはフリスビー界のスター。フリースタイラーとして70年代後半から活躍。バドライトのスポンサーを受け、全米各地でデモンストレーションを行っていた。
天衣無縫な行動、底抜けの明るさ、立体感あふれるパフォーマンス。僕にとってクレージーは当初、手の届かない遠い存在だった。USオープンに出場した際も、こちらは予選落ち、向こうは決勝を彩るトップスター。決勝の会場となるオープン・フィールドに、大きな音響と共にバドライトのロゴ入りバンで乗り付ける。観衆が注目する中、観音開きのリアゲートが開いて、中からブス犬君を連れたクレージーとメンバーが登場する。演技が始まる前から、会場は彼らへの期待で高まり、盛り上がった。
そしてもちろん、三人のパフォーマンスは洗練され、抑揚があり、見る者を昂奮させた。
クレージーが自費で来日、僕が主催するジャパンオープンに参加してくれた
そのクレージーと急速に近い友人関係になったのは、僕が主催した《ジャパンオープン・ディスクゴルフ・トーナメント》にクレージーがアメリカから自費で参加したのがきっかけだ。賞金総額400万円、これを獲るためにクレージーはやって来た。まさか彼が来るとは思っていなかった。フリースタイラーとばかり思っていたからだ。考えてみれば、クレージーは150㍍以上飛ばす遠投力があり、フリースタイルで鍛えた正確なコントロール・ショットは群を抜いている。ディスクゴルファーとしての可能性を一番知っていたのがクレージー自身だったのだろう。
初来日の大会で優勝はできなかったが、4人のファイナリストのひとりとして、国営昭和記念公園に集まった観客を惹きつけ、最終ホールを迎えるころには大群衆が選手たちを応援していた。その立役者は間違いなくクレージーだった。
絶対に失敗しない、天才パフォーマー“クレージー”への信頼
大会の前後の取材対応やデモンストレーションでもクレージーは心強いパートナーだった。取材者や観衆を瞬時に惹きつける。まったくフリスビーに興味がない、ただその場に居合わせただけのご老人、大人、子どもたち、老若男女を問わず、時には通りすがりのワンちゃんや野良猫でさえも、クレージーに呼び止められて立ち止まった。
こうして、クレージーはいつのまにか僕の中に住みついた。気がつくと、大会のたびに来日する契約選手となり、大会が終わってもしばらく日本にとどまって普及活動に貢献してくれた。
二人でいろんな場所に行った。いろんな所で、いろんなパフォーマンスを演じた。
テレビ東京に呼ばれて、「バスケットボールのフープに反対側からフリスビーを投げ入れてくれ」というオーダーを受けた。観客席にはスタジオ収録を観覧に来ていた大勢の十代がいた。
チャンスは一度、失敗は許されない。
バスケットコートの縦の長さは通常28㍍。フープは約3㍍の高さがあるから普通にバックハンドスローで投げたのでは網に入りにくい。頭の上から、フリスビーを縦に構え、逆さに飛ばすアップサイドダウン・スローを採用する。僕だって、フープの着いたバックボードに当てるくらいは8割の確率でできる。けれど、あの輪のすぐ上にフリスビーを命中させ、輪の中に一発で落とす芸当は簡単じゃない。
クレージーは、無茶な注文にも一切、動じなかった。
スタジオに招かれたクレージーは、愛想をふりまき、笑顔を絶やさず、そして挑戦の直前には一転して緊張した面持ちに変わり、出演者、観衆、スタッフが固唾をのんで見つめる中、美しい弧を描いてフリスビーを浮遊させた。数秒後、心地よい衝撃音とともに狙った場所にフリスビーを当て、そのまま輪の中に落とした。
NHKテレビの朝生ワイドで10㍍以上のパットに挑戦
NHKテレビ朝のワイド番組の生放送もあった。たしか茨城の公園の池のほとりだった。ディスクゴルフのターゲットにパットを決める指令。これも失敗は許されない。
テレビは案外、距離が遠く映るから、「5㍍くらいでいいんじゃないの」と僕は言った。クレージーは絶対に譲らない。「ここから投げる」と彼が決めたのは、10㍍以上も離れた場所。その難しさがわかっていないディレクターはクレージーの選択を歓迎した。やきもきしているのは僕だけだった。
いざ本番。ディレクターの合図でクレージーが投げた。確かに、10㍍以上だからこそ味わえる空中を飛ぶ時間の長さを経て、ディスクがチャリンと鎖に当たり、見事にバスケットに入った。瞬間のカタルシスをいまも忘れられない。天才だ、間違いなく天才だ。それがあのラスベガスでもパフォーマンスを展開したクレージー・ジョンの真価だった。以来、僕はクレージーの失敗を想定するのをやめた。
クレージーに教えられた、一線を超える創造の核心
ある時、パフォーマンスの前に僕が言った。「まだ今回は観客も少ないし、8割程度でいいよ」。すると、クレージーが目を剥いて怒った。
「ノブヤ、オレたちに8割なんてない。常に100パーセント、200パーセントのテンションでなきゃ、やれないのがオレたちなんだ」
その言葉は胸に突き刺さった。それが天才の世界。一線を超えるパフォーマンスの定石。それは僕自身の鉄則にもなった。文章を書く時。100パーセントを超えるテンションからしか文章は生まれない……。
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