変わるものと変わらないものがあるだけ
新型コロナウイルスによって世界が変わり始め、頭の良い人たちが、アフターコロナの世界についてあれこれ議論している蚊帳の外で、ぼくらはポカーンと指を咥えている。
タイムラインをスクロールすれば、「アフターコロナ」「ウィズコロナ」という言葉たちが踊っている。
頭の良い人たちが、それっぽいことを呟くと、ぼくらは躊躇なく受け入れ信じる。強く影響を受け、何かしなければと焦燥感に駆られる。
知っている人の情報はもちろん、知らない人の情報にまでアクセスできるようになってから、良くも悪くも想像以上に人の影響を受けやすい。
その点で言うと、やはり情報を取捨選択すること、見極めることはとても大切である。
頭の良い人たちが言うように、世界は変わるのかもしれない。もうすでに変わりつつあるのかも。でもまるっきり世界が新しくなるなんてことはない。
オンライン飲み会なるものが幾ら流行ったとて、居酒屋がこの世界から消えることはないし、環境が一新されて、環境問題がオールクリアされることもない。
変わるものは変わるけれど、変わらないものは変わらない。
ぼくらの生活もだいたいやってることは変わらない。寝る、食べる、動く。これらも恐らく変わらないだろう。仕事の業務形態や環境の変化や仕事そのものが変わったということはあるだろうけど、生活の根幹は変わらない。寝る、食べる、動く。
周りに感化されて、急いで何かに取り掛かる必要もないし、ひとり取り残されることを恐れて焦って何かを始める必要もない。一朝一夕で何かができるようになる訳でもないし、出来上がったとしてもあっという間に崩れる。人は過去を語りたがり、未来を知りたがり、今を疎かにしがちだ。
こんな時代だからこそ目を向けるべきは、今の自分と今ある生活なんだと思う。今の自分は何に興味があるのか、生活の中で心が動くことは何だろうか、今ある暮らしの中で愛せるものは何だろうか、と思考を巡らせる。
頭の良い人たちは、アフターコロナの世界が向こうから来るとは1ミリも思っていなくて、彼らは自分の手でアフターコロナの世界を創ろうとしている。こういう世界が間もなく来るよ、と言いながら、わたしはこういう世界にしたいです、が本音だ。
もし余裕があれば、アフターコロナの世界について思考し行動すればいい。しかし、余裕がない人にとってアフターコロナの世界を考えれば考えるほど、焦燥感に駆られ押し潰される。
そんな時は、変わらないものに目を向けるといいかもしれない。その後で変わっていくものを面白がるようになれたらいいじゃないか。