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ひとつ屋根の下

思っている以上に人生が早送りで進んでる。

同棲とか結婚とか、そういった類のものはまだまだ先にあるものだと思っていた。


この夏、ぼくらはひとつ屋根の下で生活を始めた。


引っ越したその日は、太平洋の海水が沸騰してしまいそうな、少なくとも市民プールの水は干からびるくらいには暑かった。いや暑さを通り越して痛かった。地獄とはなにかを知った気がした。

彼女の知り合いに車を借りて、自分たちだけで引っ越した。ダンボールをせっせと積みこみ、冷蔵庫を二階から階段で下ろし、文字通り汗だくになった。

その日は一日中、暑いと重いが交互に口から出た。自分の意思というより、自動的に暑いと重いという単語を放つロボットに近かった。
途中でランチに寄った格安イタリアンの店内はまさしく天国そのものだった。

真夏の暑さに真正面からぶつかり、見事に粉砕されたぼくらは引っ越し後、ダンボールに埋もれるように倒れ込んだ。

疲労困憊、全身筋肉痛、満身創痍でぼくらの、ひとつ屋根の下の生活は幕を開けた。

翌朝起きると、すぐ隣に彼女がいる。
ひとつ屋根の下での生活がいよいよ始まったこと嬉しさよりもバキバキの体にしんどさを覚え、目を覚ます。
一日で一番最初のおはようを彼女に言う。
台所に立ち、朝ごはんをつくる。
今まで誰に言っているのかわからなかったいただきますを彼女に言う。彼女もぼくに言う。
同じようにしてごちそうさまも。
ぼくが荷ほどきをする傍ら、彼女は洗い物をする。
一仕事終え、畳の上に寝転がる。
特に話すこともなく、ぼくはツイッターのタイムラインを見ようと縦にスクロールし、彼女はマンガのページをめくろうと横にスクロールする。
食材の買い出しに出かけ、帰ってから夜ご飯をつくる。
ぼくは彼女に、彼女はぼくに、いただきますを言う。
おいしいものをおいしいと伝え合う。
それからごちそうさまを言い合う。
順番にシャワーを浴びて、畳の上にふとんを敷く。
一日で一番最後のおやすみを彼女に言う。
寝て起きると、今日もまたすぐ隣に彼女がいる。

一番最初のおはようと一番最後のおやすみを言える。
誰にも届けられなかったいただきますもごちそうさまも、誰かのもとに届く。
おいしい、あつい、おもしろい、たいへん、たのしい、をその場その瞬間一緒に感じられる。

そうやってひとつ屋根の下で一緒に何かをするたびに、ぼくは思う。

何を食べるかより誰と食べるか、どこへ行くかより誰と行くか、どう生きるかより誰と生きるか、だと。




今日読んだ、たった200ページに満たないエッセイにこんな一節があった。

「美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい」

ぼくは今もしかしたら幸せなのかもしれない。

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