別れの寂しさとか、悲しみとか。
恋人と別れたり、親しい人が職場を離れたり、誰かが亡くなったり、
別れは何度経験しても悲しいし寂しいし心が痛くなる。
この胸の痛みをグッと飲み込んで堪えて、上手く受け流して見えるように振る舞うのが大人なのか。何度も繰り返して、痛みに慣れて麻痺していくことが大人なのか。
どっちも完全に間違ってはいないけど、これが全てでもないように思う。
感情を抑圧するのはよくないし、一人でどうにかしようとするのも辛すぎる。
「大人なんだから自分で落とし前つけなさい」って言われちゃうんなら、ちょっと道が険し過ぎる気がするし、骨が折れそうだ…。
かといって、子供みたいに泣き喚くのも、たまにはいいけどそればっかりじゃいけないよね。
泣いて悲しんでもいいけど、どこかで前を向いて歩いていかなきゃならない。
時間は進むし周りも変わっていく。自分一人がいつまでも留まっているわけには行かない。
誰かが離れて行っても、誰かに置いて行かれても、私だって一人で生きているんじゃない。周りの誰かと一緒に悲しんだり、慰め合ったりすることができる。
一人で消化するには大きすぎる別れはたくさんある。
だから、誰かと共有したり、助けてもらいながら、一人一人の中で少しずつ消化していければいいと思う。
「こんな辛い思いをするなら、出会わなければ良かった」
とか、そんな寂しいことは思いたくないじゃない?
こんなに辛くなるなら、愛さなければ良かったのか、とか。
そんなこと言ったって、人は誰かを愛するでしょう。
ならば、やっぱり、いつその時が来ても悔やまないように精一杯やっていくしかないんだろうね。
…なんてことを、ここ数日再び考えたり、感じたりしている。
涙が出てくるのはね、これは仕方ないよ。
痛みを抱いて、私たちは歩いていく。