僕の夢物語3 名人の系譜(全編)
第1話 プロローグ 大山十五世夢に現る
退職の日の夢に大山康晴十五世名人が現れた
「君は将棋指しになれ!
私が夢をかなえてやろう!」
変にリアルな夢であり、目覚めても大山十五世の幻影は消えなかった。
将棋のプロになるには、奨励会に入会し、厳しい昇級昇段争いを勝ち抜き、3段リーグを制してやっと4段になれるものである。
最近は、特例によるプロ試験などもあるが、簡単なものではない。安易にプロ棋士になれないのは、多少なりとも将棋に関心のある者には良く分かっていることである。
もっとも、プロとはどの世界でも簡単になれるものではない。
僕は子供のころから将棋が好きだった。
学生時代には友人とよく将棋を指していた。
就職しても昼休みに娯楽室に集まり、毎日のようにへぼ将棋を繰り返していた。
私が一番強かったのは30代の頃だろうか。
強いといっても2段か3段程度である。
そんな私が、将棋指しになるなど夢のまた夢である。
「おかしな夢だ」と僕は独り言ち、コップの水を一気に飲み干すと夢を振り払うように玄関を出て新聞を取りに向かう。
何気なく新聞を見ていると近く将棋の南海王将戦が開催されるという記事があった。
この棋戦で優勝すれば、全国アマチュア将棋名人戦に参加できるようである。
副賞として、優勝者は角落ちではあるが名人との記念対局もできるらしい。
私などが参加するような大会ではないのは言うまでもない。
ところが、昨夜来から頭の片隅に巣くう大山十五世の幻影が参加せよとうるさく僕の脳裏に働きかけてくる。
僕は苦笑を禁じ得ず、今の僕のレベルで参加しても仕方ないと新聞を置いて朝食をとることにした。
朝食をすまして、さて今日から退職後の時間をどう使おうかあれこれ考えていた時、突然、稲妻に撃たれたような衝撃を感じた。
落雷の衝撃の後は夢現の状態に、昨夜来からの夢の影響なのか、将棋指しへの渇望に似た感情が扇情され、一瞬何者かに突き動かされるような衝動感と心音が聞き取れるほどの胸の鼓動が鳴り続いた。
10分ほど経ったであろうか、一瞬にして静寂が訪れた。
大山十五世の幻影はすっかり消え、憑き物が落ちたように頭は冴え、スッキリと覚醒した。
「そうだ。久しぶりに将棋ゲームでもしてみよう。」
夢から覚めた僕は、なぜか無性に将棋を指したくて仕方なかった。
10年ほど前はよくパソコンで将棋ゲームを楽しんでいた。
ゲームソフトも強くなりすっかり勝てなくなってきたので、段々に興味を失い、何時しかゲームをすることもなくなっていた。
久しぶりに始めた将棋ゲーム
はじめはレベルの低いところから対局を始めた。
対局を始めて驚いた。
今まで思いつきもしない好手がどんどん浮かび、全く勝てなくなっていたレベルの対局も簡単に勝ち切ることができた。
特に受けの好手が次々に浮かんできた。
面白いように勝てるものだから、時間を忘れ対局するうち、気が付けば、夜になっていた。
昼飯も食べず、何局対局したのか記憶にない。
驚くほどに熱中していた。
どうなっているのだろう。
私の棋力では思いもよらないほどの読みや指し手が次々と浮かんできたし、何より、将棋を指すことが楽しくて仕方なかった。
将棋を指したい欲求は抑えられず、夕食をかっ込み、再び将棋ゲームに熱中した。
驚くことに、一局ごとに明らかに棋力が向上しているのが実感できた。
さらには、詰め将棋など、これまで5手詰7手詰が精いっぱいのところであったのが、長手順の詰将棋も正解手順を繰り返した。
本当に、夢に現れた大山十五世名人の頭脳を受け継いだのだろうか。
そんなことは有り得ないことだろうけれど、わけのわからない棋力の上達に戸惑いながらも、この分では、南海王将戦も、案外にいいところまで勝ち上がっていけるかもしれないなどと夢想した。
大山15世の存在は別にしても、退職後の時間を埋めるには、将棋をするのもいいかもしれないと気軽な気持ちで将棋を再開することに食指が動いてきた。
結果として、大山十五世の幻影の言う通り、南海王将戦に出ることになった。
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