僕の夢物語3 名人の系譜4 第4話 プロ棋士へ一歩前進
僕の棋王戦挑戦者決定トーナメントへの進出は、将棋の専門誌や将棋専門チャンネルで盛んに取り上げられた。
棋王戦本選に初めてアマチュアが勝ち上がったということに加え、棋王戦の挑戦者決定トーナメントでベスト8以上になるとプロ棋士編入試験の受験資格を得ることができるためである。
更に、そのアマチュアが谷山十七世名人と同世代の全く実績のない高齢者で有り、わずか10か月足らずで、棋王戦挑戦者決定トーナメントへ進出したことも驚きをもって取り上げられた。
2014年4月に「プロ編入試験」が制度化され、それまで奨励会出身者以外ではプロになれなかったものが、奨励会を経ずとも、条件を満たせばプロ棋士になれることになった。
理屈の上では、誰でも実力さえあればプロ棋士になれるチャンスができたのである。
もっともそのハードルは相当に高く、これまで特例でプロ棋士になった者はわずか3人に過ぎない。
基本的に、天才といわれる子どもたちが、精進に精進を重ねて、互いに鬩ぎあい、切磋琢磨しながら狭き門を通りぬけた者だけがプロ棋士を名乗れる世界なのである。
還暦を過ぎたアマチュアが、プロ棋士になるなど常識的には到底考えられないことである。
大山十五世や羽山名人など一部の例外を除いて、40歳を過ぎれば、最早第一線での活躍は望むべくもない過酷な世界なのである。
斯くして秋の訪れの中、注目の棋王戦挑戦者決定トーナメントが始まった。
予選から勝ち上がった僕を含め8人と順位戦A級、B1級とタイトル保持者、合わせて32人が藤棋聖への挑戦権をかけてのトーナメントを戦うことになった。
僕は2回戦からの登場で、初戦は順位戦A級の高道九段となった。
高道九段は、寡黙な棋士で、棋風は重厚、沈着を旨とする居飛車の本格派である。
ところが意外なことに私生活ではアイドルが好きで、その世界では夙に有名であるらしい。人は見かけによらない。
対局は予想通り、高道九段の居飛車、僕の四間飛車の対向型になった。高道地道流といわれるだけあり、奇異を凝らすこともなく、自陣を固め、重厚な戦形を築いていく。
定石形は、中盤まで続き、その後も優劣不明で終盤まで進んだ。ここで初めて高道九段に疑問手が出た。その疑問手を好手にしようと果敢に攻めてくる高道九段の無理筋の攻めを受け切り、僕は初戦を勝利した。
いよいよ、プロ棋士編入試験の資格が得られるベストエイトへ王手をかけた。
相手は、羽山名人が勝ち上がっての対局になった。
羽山名人とは、つい先日、アマチュア将棋名人戦を優勝した記念対局を行ったところである。
記念対局は角落ちのハンディ戦であったが、何とか羽山名人に勝利することができた。今度は五分の平手戦である。
プロ棋士への第一歩である棋戦ベストエイトに向けての対局は、振り駒の結果、私が先手になり、四間飛車対居飛車の闘いになった。
流石に名人、大切な対局では力を発揮するもので、序盤から優位に進め、終盤では羽山名人勝勢の状況になっていた。あと数手で投了止む無しの状況まで追い込まれたが、ここで乾坤一擲の大逆転の受けの勝負手が繰り出された。
そこで時間に追われた名人が最後の最後に間違えた。それでも、形勢はまだまだ互角。どちらが勝つかわからない展開であった。
ここでまた、大山十五世を彷彿させるような受けの好手が繰り出された。
ついに、僕は、大逆転で名人を振り切り勝利した。
普段は感情を顕わにしない羽山名人もよっぽど悔しかったのか、肩を震わす姿が何度も全国ニュースで流されることになった。
晴れて、僕は、ベストエイト進出とプロ棋士編入試験の資格を得ることになった。