見出し画像

24/10/5山括弧塾 清水将吾 限界概念論―私の存在から鏡の世界へ 第二回講義メモ

24/10/5山括弧塾 清水将吾 限界概念論―私の存在から鏡の世界へ 第二回講義メモ

第二回の講義における清水氏が主張 
・左右という空間が持つ「向き性」は、現実世界が、可能的な世界(鏡の世界の様に空間の向きだけが反転している世界)との対比によって、こちらの現実世界が持たざるを得ない、空間に内在しつつ偏在している「向き」である。

しかし、現実の世界における向き性は、可能的な世界との対比によって決まるのか?むしろ可能世界(鏡の世界の様に空間の向きだけが反転している世界)における空間の向き性が、この現実世界が端的に有している空間の向き性によって、従属的に決定される事(逆向き)になるのではないのか。(現実性は可能性と相並ぶものではない、否定の否定による肯定が初めの肯定に常に遅れる様に)

また、その様な(現実世界と左右の向きだけが反転している鏡の世界の様な)可能的な世界を考えなくても、現実世界には右巻きの巻貝と左巻きの巻貝、右手と左手の様に、この世界には左右の向きだけが反転している様な物質は存在する。それらの構造は一致しているが、ただ重ね合わせる事が出来ないという点において、空間における左右の向きだけが違うのだといいたくなる。しかし、それは本当に左右の向きが違うのか。2次元空間において重ね合わせる事が出来ないものは、3次元空間において難なく重ね合わせる事が出来る(即ち3次元空間にその様な2次元空間における向きの区別はない)。同様に、私達の3次元空間において重ね合わせる事が出来ないものは、4次元空間において難なく重ね合わせる事が出来るだろう。故に私たちが区別しているような左右の向きは4次元空間において任意に反転させる事によって解消する事が出来る為、3次元空間において我々が区別している様な空間における左右の向きは無いと言えるだろう。(例えばガラス板の表面に書かれた鏡文字を、ガラス板を裏返すという「反転操作」によって通常の文字と一致させる事が出来る様に、4次元空間において左巻の巻貝を反転操作する事により、右巻きの巻貝と重ね合わせる事が出来る。)もちろん4次元空間においては、物質的な構造は同じだが、重ね合わせる事が出来ないようなものが存在するだろう。その時、空間の向きが違うと言いたくなるが、やはり、5次元空間すれば、その様な空間の向きの区別は解消されるのだ。
即ち、空間における左右という向きの区別を解消する為に、新たに1次元上の次元を追加しても、空間に新たな向きの区別が生じ、その様な新たな区別もさらに1次元上の空間の次元において解消されるが、また新たな向きの区別が生じ、この様に無限に反復される事になる。この様に空間の向きの区別は新たな空間の次元を追加し続ける事により、区別の解消/追加を無限反復させる事になる。

同様の事が時間の「向き性」においても同じ事がいえる。我々の時間は1次元であり、時間は向きをもっている。(時間の向き性は、時間に内在しつつ偏在している)
故に、この現実世界と時間の向きだけが異なる、(同じ事実が生じている、時間の向きだけが逆の)可能的な世界も思考可能である。
あるいは、この現実世界において、成立している事実(関係性)はまったく同じでただ時間の向きだけが違うような2つの事実がもし存在するならば、それらの2つの事実は、時間軸において重ね合わせる事が出来ないが、さらに1次元上の時間においては時間の向きを反転させて重ね合わせる事が出きる為、その2つに時間の向きの区別はないという事になる。しかしその2次元時間において1次元時間の方向の区別は解消されても、2次元時間において新たな時間の方向の区別が生じるであろう。
A→B→C│C→B→A(1次元時間における時間の向きだけが違う同一の事実関係)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?