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24/9/7山括弧塾 入不二基義「現実性の問題Ⅱ 円環モデル入門編」講義メモ

現実性の問題ⅠからⅡへの変化点(相違点)

 現実性の問題Ⅰでの円環モデルにおいては、可能性の場(円環右半分)から潜在性への場(円環左半分)への移行にギャップ=裂け目は明記されておらず※、ギャップ=裂け目は(切れ目の入った円環=閉じた円環ではなく、螺旋状の円環である事を示す)潜在性→顕在化への移行の間に存在すると明記されていた※※。(しかし可能性から潜在性への移行が「転回」という言葉によって明記されていた様に※※※、ギャップという意味は既に込められていた様に思える。即ち、現実性の問題Ⅱにおいては、Ⅰにおいて十分に語られていなかった可能性と潜在性の間にあるギャップ=裂け目について語られようとしている。

※始発点への移行―は、可能性の「開け」→「豊穣化」→「潰れ」と同じ様には滑らかに辿れるものではない。『現実性の問題Ⅰ p46 8行目~』
※※「円環一巡の「最後の一歩には」容易に跨ぎ越す事の出来ないギャップ残り続ける」『現実性の問題Ⅰ p46 6行目~』
※※※「可能」から「潜在」への転回である。『現実性の問題Ⅰ p36 9行目~』

 現実性の問題Ⅱにおいて可能性→潜在性(円環モデル右半円→左半円)の移行における転回ないしギャップ=裂け目は以下の様に表される。
・可能性に対する潜在性の「産出論的先行性」
(即ち可能性→潜在性が産出されるのではなく、潜在性→可能性が産出されるという産出論的な「転回」である。或いは、右半円(可能性)の認識論的なものに対する、左半円(潜在性)の存在論的なものの先行性である。)

 この可能性に対する潜在性の産出論的先行性は色や数のアナロジーとして提示される。
可能性を開くという事は否定を介して新たな区別を産出させてゆく、という事でもある。
AではなくてB、BではなくてC、CではなくてD、DではなくてE...
このようにして可能的な事態(区別)が無際限に産出されてゆく(A∨B∨C∨D∨E...)。一方、潜在性はその様な区別が一切ないベタである。寧ろ、その様なあらゆる可能性が一つに潰れているような場であり、だからこそ、そこからあらゆる事実が顕在化(産出)する事が出来る。
従って、可能性の豊穣化によって潜在性へと移行する事が出来ないのは明らかだろう。何故なら、可能性の豊穣化=無限の区別を行っても、決して一になる事はない。寧ろ、可能性を開くという事は、一なるものに無限に区別を引くという事に等しいのだから。

 この可能性に対する潜在性の産出論的先行性は色や数のアナロジーとして提示される。

 色の可能性の場における黒とは他の色(赤、青、黄...等)と区別された限りの色の一つ(特定有限色としての黒)である。そして、可能性の豊穣化とは、際限なく色の区別をつけていくという事であり、実際、このような操作(区別)は無際限に行う事が出来るだろう。
黒∨白∨赤∨橙∨青∨紺∨...
一方、色の潜在性の場における黒とは、あらゆる無限の色が混じり合った潜在無限色としての「黒」であり、色の潜在性の場においては黒一色しかないベタである。(色における可能性が黒という一色に潰れている)

 あるいは数のアナロジーで言うならば、自然数(可算無限)に対する実数(非可算無限)の先行性に相当する。
自然数(n+1)は点であり、そのような点は無限に可算する事が出来る(可算無限)。
しかし、点は広がりを持たない故に点なのであり、各々の点は互いに区別されている。従って際限なく点を可算していっても決して線には至らない。
一方、実数は一つの線であり、ベタである。故にそれ以上、可算する事は出来ない無限である(非可算無限)。従って一つの線(実数)から、そこから任意に一つの点(自然数)を選ぶ(産出させる)事は出来るが、自然数(点)から実数(線)を産出させる事は出来ない。
この無限に区別された点(自然数=可算無限)に対するベタな一つの線(実数=非可算無限)の産出論的な先行性が、可能性に対する潜在性の産出論的先行性に相当する(即ち円環モデルの右半円に対する左半円の先行性に相当する)。

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