人生の後半戦をコーチングで勝負すると決めるまでの私的記録
どうも、ライフコーチの中澤信幸です。
と今では、何のためらいもなくコーチを名乗っていますが、一度は「コーチング辞めたっ!」という時期がありました。
少し長文になりますが、私がコーチングと出会い、志し、断念し、再開した経緯を記録しておきます。
思い出してみれば、一念発起して本格的なコーチングを学んだのが2012年。順調に、認定コーチの資格まで取得しました。それなのに、あえなくコーチングを中断。7年後の2019年、一念発起して出直し、ライフコーチング業を再開。どうしてこんなことになったのでしょうか。
コーチングとの出会いはウサギの本から
そもそも、私が初めて「コーチング」を知ったのは、2002年のことです。サッカーのワールドカップが、日韓共同開催で行われた年でした。
その頃、私は牧師をするようになって、2年め、3年めという時期でした。仕事のやり方や、人との関わり方に関心を持って、さまざまなビジネス書を読み漁っていました。
そんなときに本屋さんで一冊の本を手にします。その本がコーチングの本でした。
著者の名前は、伊藤守さんでした。日本のビジネスシーンに、コーチングを本格的に紹介した、コーチングの第一人者です。
当時の私は、まだ、そんなことは知りません。ただ、その名前だけは、はっきりと記憶に刻まれます。というのも、私の個人的な知り合いに、もう一人の伊藤守さんがいるからです。すごく身勝手な親近感をもって、伊藤さんを記憶し、ついでにコーチングのほうも心に残ることになりました。
ウサギの本に書いてあったこと
伊藤守さんの本は、「もしもウサギにコーチがいたら」でした。細かな内容は、もちろん覚えていません。でも、設定は覚えています。あのウサギとカメの話で、カメに負けてしまったウサギに、もしもコーチがいたら…
この本のおかげで、コーチングはとても大きな助けになるものなんだ、結果を変えることができるものなんだ、と理解することができました。
そんなわけで、コーチングといえば、「伊藤守」と「ウサギ」と私の中にインプットされたのでした。
牧師さんたちにも、コーチが必要?
それから、3-4年ほど経った頃でしょうか。私が所属する教会のグループの中で、コーチングの必要性が取り上げられるようになります。牧師を指導、育成するには、コーチングが良いのではないか、という提案があったのです。
だいたいの牧師さんは、人に指図されたり、教えられたりするのが、さほど好きではありません。自分がやっていることに誇りを持っているし、頑張っている自負もあるからです。だから、上からの目線で、一方的に指導されると、「こちらの事情を何もわかってないくせに」と反発するわけです。
そんな牧師さんたちには、それぞれが主体性を持って自分の現場に取り組むことを励ますコーチングが最適じゃないか、ということになりました。
アメリカンをインスタントに
具体的なきっかけは、アメリカの牧師さんたちの間でコーチングが非常によい効果を発揮している、というレポートでした。それなら、向こうで機能しているシステムを、日本の現場に合わせて取り込めばいい、ということになりました。
残念ながら、この取り組みはうまくいきませんでした。アメリカンなシステムをインスタントに取り入れても、コーヒーじゃないんだから、うまくいきっこなかったのです。
一番の課題は、いいコーチを育てることができなかったことでした。アメリカのコーチングのマニュアルはありましたが、その根底にある考え方みたいなものまで、すっかり自分のものにしてしまえるようなコーチが育たなかったのです。
私をコーチにすればいいのに
この時、私はひそかに期待をしていました。「あなたがコーチになってくれないか」と声がかかることを。
残念ながら、そういうことはありませんでした。それもそのはずです。私はまだ駆け出しの牧師で、経験もわずかでした。指導されることはあっても、他の牧師のコーチになることを要請される立場ではありませんでした。
でも、私はコーチをやりたかったし、適性があると思っていました。コーチは牧師経験の長いとか短いとか、関係ないはずだ、とも思っていました。
要請されないなら、自分でなってしまえ
自分にコーチングが向いている、と思ったので、自力でコーチングを学び、身につける方法を探すようになりました。
その頃は、まだコーチを養成する機関はとても限られていて、確か1つか2つしかなかったと思います。そして、どちらもビジネスパーソンに対するコーチングを柱にしていました。たぶん、企業が社員研修の一環としてトレーニングプログラムに参加させ、社内でコーチ役を果たさせよう、ということだったのでしょう。受講料も総額にすると100万近かったと記憶しています。
とても私が個人的に、気軽に参加して、スキルを身につけられるものではありませんでした。結果的に数冊の本を読む程度の学びでした。
いよいよ、コーチ養成プログラムに参加
時は流れて、2012年になります。この年、いよいよコーチの養成プログラムに参加することになります。
コーチングのことは、頭のどこかで、興味を持ち続けていました。すぐれたコミュニケーションスキルであることにとどまらず、関わり方の背後にある考え方も魅力的でした。
つまり、人は内発的な動機付けをすでに持っていて、どう行動すればよいのかを見出して、決断することができる、という考え方です。やらされ感のある関わりではなく、主体的にやろうとする人を育てることかができるようになりたい、と願っていました。
ちょうどこの時期、スケジュール的にも、資金的にも、コーチ養成プログラムに参加できる条件が整いました。それで、思い切ってコーチ21(現在のコーチ・エィ)のプログラムに参加申し込みをしました。それまでの人生で、一番高い買い物をした経験でもありました。
電話で参加するクラス
コーチ21の講座は、基本的に通信クラスでした。朝と夜に設けられているクラスに、電話をかけて参加します。確か、申し込みをすると、ヘッドホン式の電話機が送られてきた気がします。今だったら、インターネット経由のオンラインクラスなのでしょう。週に何回か、一回1時間、4週間のクラスに出席し続けました。期間としては、およそ1年ほどでした。
クラスには、いろんな人が参加していました。 会社の研修で参加している人もあれば、個人でコーチを志している人もいました。 医療関係の方や、スポーツ関係の方も多かったように思います。 あの頃に受講した人たちは、もう7年も前になりますから、今では経験を積んだ立派なコーチになっていることでしょう。
晴れて認定コーチ資格を取得
私自身も、養成講座を受けながら、基本的なコーチングのスキルを身につけることができました。その結果、(財)生涯学習開発財団認定コーチの資格を取得することができました。この資格は、あくまでもコーチとしてのスタートラインに立つ資格に過ぎません。それでもあるとないとでは大違い。コーチと名乗って良いのだ、という大きな自信になりました。
せっかくコーチになったのに
ずっと温めてきた思いが実り、ようやくコーチ養成のプログラムを受けることができ、念願のコーチの資格を取得することもできました。しかし、残念なことに、コーチとしての歩みを順調に発展させることはできませんでした。
コーチになっただけで満足
ひとつめの理由は、私自身の中にコーチングをやり遂げる意志が育っていなかったことです。
基礎的なクラスを終えた後は、アドバンスのクラスです。その学びは、もっと深いもので、スキルを磨き上げてレベルアップするためのものでした。私は始めるのは得意ですが、完成させるのは得意ではありません。アドバンスのクラスを終える頃には、 長く続いた学びがマンネリ化し、はやく終わらないかな、という気持ちになっていました。
さらに上の資格を目指すこともできたのですが、そのために続けなければいけない勉強や、具体的なコーチングの取り組みなどが、煩わしく思えてしまいました。 独学で自分なりにレベルアップすればいい、という言い訳が心に芽生えます。これによって、続けないことが正当化されました。
結局、コーチングに本格的に取り組んでいく、これを人生の大切な柱にして行く、という意志も、覚悟も、私の中にまだ育っていなかったのでした。
コーチングを受けたい人を探さなくては
もうひとつの理由は、まだ私のまわりにコーチングを必要とする人があまり多く見当たらなかったことです。
学ぶべきプログラムを全部学び終え、コーチとしては、あとは実践で多くの経験を積むことが求められました。
しかし実際には、コーチングの提供は、ごく身近な人の範囲にとどまっていました。それも「私のスキル向上のために付き合ってください」と依頼して、セッションを受けてもらった人ばかりです。
資格を取ってコーチになることと、コーチングをしてくれと依頼されるプロになることとは全く別物でした。コーチになったからといって、次々に依頼者が行列になるなんてことはありません。自分でクライアントを見つけ出さなければいけません。
コーチングの必要性を訴え、あなたにとって良いものですよと売り込み、クライアントを見つけるのは、とても大変なことでした。コーチをつけたいと思っている人が、すでにたくさんいるのであれば、そんな苦労もなかったのですが。 当時はまだ、お金を払ってコーチをつけよう、という人は珍しかったのです。
それで、私の中では、このことは片手間にはできないな、という感覚がありました。もっと本気で取り組まなければいけない。けれども、それができませんでした。
せっかく取った資格が失効
そうこうしているうちに、認定コーチ資格の更新の時期が来ます。 ここで選択を迫られました。コーチの資格を維持していくためには、研修プログラムに参加し、自分自身もコーチをつけて、レベルアップしていくことが求められます。果たして自分はそれを続けていくのだろうか。それとも、資格を失ってしまうのか。
その時の私は、コーチングの資格を継続していく決断ができませんでした。それだけの労力と犠牲を払う覚悟が出来なかったのです。結果的に、資格は失効してしまいます。
その後は、コーチングをする機会も、極端に減っていきました。
それでも、コーチング再び…
こうして、資格までとったものの、ほとんどクライアントを持つこともなく、終わってしまうかに思えたコーチング業でした。
ところが、2019年、コーチング業を本格的に再開することにしました。初めてコーチングを知ってから17年、資格を取得してから7年ぶり、私自身が47歳になる年にです。
なぜこんなに時間が経ってから?どうしてあきらめかけたのに?私が、あきらめかけたコーチング業を再開する理由は3つあります。
理由1 やっぱりコーチングが好き
一度はあきらめてしまっていたコーチングでした。しかし、その限られた経験でも、私にとってコーチングは、 自分の特性を活かせる、とてもやりがいのあるものでした。
コーチングは、カウンセリングとは違います。直面している悩みや課題を解決するというよりは、目標を掲げて実現していく取り組みです。 クライアント自身が、それに取り組みたいと願っています。コーチである私自身がすべきことは、その思いにじっくり耳を傾けることです。必要なフィードバックをしながら、背中を押して取り組みを励まします。
私にとって、コーチングはとても性に合っていました。手取り足取り、指導をしなくてよいので、気が楽です。クライアントの歩みに寄り添うことは、とても嬉しいことでした。一つ一つの目標の実現に一緒に取り組むのは、やりがいのあることでした。どのクライアントも、「コーチがいてくれて助かった」と言ってくれました。自分の関わりがクライアントの歩みに貢献できたならば、光栄なことです。
頑張っている人を応援する、そんなコーチングがとても好きです。やりがいを感じます。いつまででも、何人に対してでも、ずっとこれをしていたい、と思います。
やっぱりコーチングがしたい。いつかまた本腰を入れて、コーチングの提供を始めるんだ、と思っていました。でも、そう言っているだけでは、その日が来ないことも知っています。林先生ではありませんが、「いつやるの?」という問いかけに、「今でしょ。いい加減、思い切って再開しなかったら、いつまでもやらないよ」という思いが、抑えきれなくなってきました。
やっぱりコーチングが好きだ、これがひとつ目の理由でした。
理由2 コーチングが求められているという実感
この数年、今までブログを書いてきたのとは、少し違う情報発信に取り組んできました。
ひとつは、「あさのば」という平日の朝に毎日更新している短いポッドキャスト番組です。およそ2年半にわたって600回近く配信を続けることができました。毎日の番組であるにも関わらず、欠かさずに聞いてくださっている、関わりの深いリスナーさんたちが増えています。
もう一ひとつは、サーバント・リーダーシップに関する本を書いたことです。多くの人に協力していただいて、 「人を幸せにする生き方」という本ができあがりました。Amazonでの販売開始からおよそ1年半、既に6500人以上の人が読んでくれました。私の伝えたかったことを読んでくれた人たちです。
こういう情報発信の広がりによって、出会う人々や、連絡をいただく人も格段に増えました。関わりも広がりました。今までは、自分の教会の人や周りの人、基本的に私のことを知っている人が、ブログを読んでいるのだろうなと思っていました。しかし、今では、今までには届かなかった層の人たちに、情報を届けているのだという実感が出てきました。
そういう方々の話を聞いていると、取り組みの支えを必要としている、寄り添ってくれる人を求めている、一人で行き詰まりを感じている、という様子が分かってきました。そういう人にこそコーチングを受けて欲しい、と願うようになりました。
以前であれば、コーチングを提案するのに、こちらのしたいことを相手に押し付けるような感覚がありました。 うまいこと話しを持って行って、自分のコーチングの土俵に乗せてしまおうというような思いです。そのことに非常に躊躇がありました。
しかし多くの人との出会いの中で、この人たちの現実にコーチングがあったら、本当に歩みが変わる、是非この人たちがコーチングを受けて欲しい、それがその人のためになる、と思うようになりました。私がコーチングをしたいからではなく、このコーチングを本当に必要としている人がいるから、ということを実感したのです。
私が新しく関わりを持つようになった人たちが私のコーチングを必要としている、このことを実感したのが二つ目の理由です。
理由3 20年、30年、続けられる自分の軸としたい
そして、3つめの理由です。 それは私の年齢というか、ライフステージに関係しています。
私はこの夏に誕生日を迎えて48歳になりました。 人生の後半戦が始まっています。
この時期に、教会外で責任をもっていることを全部おまかせすることになりました。もう、広いキリスト教界の働きの最前線に出ることはないでしょう。
今の教会で責任を持つ立場も60歳までと決まっています。ということはもうあと10年ちょっとです。 今まであっという間であったように、この10年ちょっともあっという間に過ぎていくことでしょう。
今の教会での責任、役割を終えたとき、いったい私はどうするのでしょうか。もちろん南の島のビーチに寝っ転がって、優雅に過ごそうなんて考えてはいません。何歳になっても、できることで貢献し、誰かの役に立ち、自分なりの取り組みを続けたいものです。
それで、年を重ねた自分でも一生涯続けられることとして、コーチング的な関わりがふさわしい、と考えるようになりました。
年を重ねていけば、新しいことに挑戦したり、新しい技術を習得することは難しくなります。でも、コーチングに関して言えば、年齢を重ねるごとにスキルに磨きがかかり、円熟したコーチングを提供できるはずです。
私にとって、コーチングは生涯にわたって取り組むことができる、大切な軸の一つであると考えるようになりました。
そうであれば、コーチングを学びなおしたり、スキルの向上に努めるのは、早い方がいいでしょう。60代より50代、50代より40代のほうが、より効果的に身につくはずです、
思い切って、この機会を逃さず、2年、3年かけてコーチとしての土台をしっかりと築きなそうと決意しました。
これが3つ目の理由で、人生の取り組みの軸にするため、でした。
50歳を前にしたおっちゃんの挑戦
そんな3つの理由で、2019年、私はコーチング業の再開に踏み出しました。
一番の懸念は、もう若くもない、いい年をしたおっちゃんが、ちゃんともう一度コーチになれるのかってことです。
これから、さびついてしまったスキルを磨き直して、自分のクライアントを見つけていけるだろうか。正直に言うと、なかなか大変なことです。実現があやしいと思われる要素も、たくさんあります。
でも、挑戦します。
何ごとも、最初からあきらめないでチャレンジしてみれば、思いがけずにいいことだってあるかもしれません。
牧師になって20年、コーチングを知って17年。
だてに歩みを積み重ねてきたわけではありません。
一人の人が人生の中で経験するだろうおおよそのことは、見たり、聞いたり、関わったりしてきました。結果として、えっ、そんなことが?と驚くようなこともなくなりました。どんな話でも、落ち着いて受け止めることができます。
短気で、飽きっぽく、ムラの多かった性格も、ずいぶん丸くなって穏やかになりました。
残念ながら、スキルは錆び付いていますが、深みのようなものは増しています。
勢いのある、華々しいことを次々とできる気はしませんが、毎日淡々と静かな喜びをもってコーチングを続けることはできるでしょう。
何よりも、私自身が、どう成長して、どんなにステキなじっちゃんになれるか、楽しみです。
あと5年ぐらいしたら、「人生の後半戦をコーチングを武器にして戦っている話」を書こうと思います。