
会津八一の文学講座へ〜奈良と会津八一〜①
ある日、facebookの奈良の秘密のグループを見ていたら(誰でも入れます)、会津八一の文学講座が東大寺のホールで開かれるとのお知らせがあった。

奈良のどの寺にもある「会津八一」の歌碑。
私は詩や和歌が苦手なんだけど、ずっと興味のあった会津八一。講演会に申し込んで勉強したい。本を読んでから行こうかと思ったけど、講演を聞いてから推薦されたのを買おう。
こちらの講座、文化庁の後援がついていて、東大寺のミュージアムの横のホールでやるとのことで突発的に申し込んだんだけど、こんな歌弱者が行ってもいいのだろうかw ちょっと行ってみて、今年初の東大寺をぶらりしてこよう。

この日は朝5時半に起きて奈良へ。阪神からワンデイチケットを買って急いで近鉄奈良駅まで。途中、早く行きすぎていたことに気づいて、駅のカフェでお茶してからてくてく歩いて東大寺まで。

それでも少し早くて大仏殿周りをぐるりと散歩してから、南大門横の東大寺ミュージアムと同じ棟の地下の小ホールで9時半より「奈良と会津八一」の講演が始まった。

先生は東京外国語大学名誉教授の村尾誠一先生。日本文学者で専門は中世の新古今和歌集のあたりらしいけど、若い頃から会津八一のファンで本も出しておられる。とても背が高くてお洒落で楽しいおしゃべりの先生だった。

会津八一は明治14年新潟の生まれで、新潟尋常中学在学中!に俳句が「ほととぎす」に掲載され、「東北日報」に俳諧の連載を持ってたらしい!めちゃくちゃ早熟!中学を卒業して上京して正岡子規と面会!早稲田大学に入学し坪内逍遥に英文学を学び、早稲田中学などで英語の教師となる。教師になって初めて奈良へ旅行して短歌を20句作る。その後、早稲田大学の文学部教授となる。英語教師であり、歌人であり書家であり美術史学者であった。法隆寺再建論について法隆寺は創建すぐに焼失してすぐ再建した派として本を出版したりもしている。(その論はその後の若草伽藍により不成立となる)
会津八一は短歌を詠む時に全てをひらがなで表記するのが特徴
東大寺にて
おほらかに もろて の ゆび を ひらかせて
おほき ほとけ は あまたらしたり
村尾先生訳) ゆったりと両手の指をお開きになって、この大きな仏は、世界を覆うようにしていらっしゃる
八一解説)「あまたらし 盧舎那仏即ち大仏は、宇宙に遍満するとも、あるいは宇宙と大きさを同うすともいふべし。これを「あまたらす」といへり。」『自注鹿鳴集』
この根拠に「梵綱経」の訓読本文を引いている。そこが八一の「学匠歌人」らしいところとのこと。
学匠歌人!という言葉を初めて知ってめちゃくちゃかっこいいなと思ったんだけど、他にもこの句には、万葉集の
天の原振りさけ見れば大君の御寿は長く天足らしたり (天智天皇皇后倭姫王)
この歌の意味のままでは使っていなくて万葉集よりも、もっと原典主義らしかった。
このように奈良に関する短歌の解説をしてもらいながら歌を学んだ。奈良に最も多く建てられている歌碑は会津八一らしく、私があんだけよく目にするのもさもあらん、って感じだった。八一は自分の短歌を自分で解説し、ファンは謎解き要素も含めて鑑賞し楽しんだのろうか。

他にも、先生が話された面白かった話が、昭和の終わりごろまで奈良国立博物館前、氷川神社の近くで今の釜飯「志津香」の隣に「日吉館」という旅館があって、そこが奈良を研究する人たちのサロンのようになっていたそうで村尾先生も学生の頃によく訪れていたという話だった。旅館の看板も八一の書で中にもたくさんの八一の作品があったらしい。
帰って調べてみると、私が大好きな奈良の仏像や本のブログ「埃まみれの書棚から」にも日吉館のページがあった。
「私と同世代の奈良好きな人で、「日吉館」の名を知らない人はいないでしょう。
「奈良で日吉館を知らないヤツは、モグリだ!!」
と、本気、真顔で云われたものです・・・」
やだ!めちゃくちゃ面白い。。。。!すごいのでぜひ、読んでみてください!!
「・・・ 結構ガタビシで、建物は傾き加減。
2階へあがる階段や廊下は、老朽化のためミシミシと泣き、冬にはすきま風が、容赦なく吹き込む。
部屋はほとんど小部屋で、四畳半に煎餅布団を敷き詰めて5、6人はあたり前の相部屋。
風呂は狭く、男女兼用で時間交代制。
手洗いは水洗ではなく旧式で、結構臭う。
こんな感じで、旅館というよりは、木賃宿、下宿宿といった方があたっていたように思います。
「これが、学者や文人が集った、あの『奈良の宿 日吉館』なのか?」・・・」
この日吉館をサロンにしていった一人が会津八一であり、ここでもこんな歌を作っている。
「奈良の宿にて」
をじか なく ふるき みやこ の さむき よ を
いへ は おもはす いにしえ おもう に
この日吉館と名物女将はここをモデルとした「あおによし」って1年続くNHK連続ドラマになったほど有名だったらしい。
そしてこの日吉旅館が廃業した年に名物女将さんは第17回「吉川英治文化賞」を受賞する。
受賞理由は
「奈良・日吉館の主人として五十有余年の永きにわたり、古文化研究の陰の理解者として献身した。」
とのこと!なんて格好いいんだ!
奈良のことが好きなのに日吉館について全く全く知らなかった。
会津八一のことも名前しか知らなかった。
奈良を愛する文化人についてもっと勉強しなければ。。。と思う。
講演をされた村尾先生も若い頃にこの日吉旅館に泊まった青年の一人だったらしい。そして、この日、会津八一について東大寺で講演をすることに朝からときめいて緊張されていたとのことで、とても若々しくて日吉館に逗留されていた頃の文学青年に戻られたかのようだった。
最後に質疑応答があり、志賀直哉との高畑サロンと日吉館サロンの関係を問われた人がおられた。先生によると、奈良に住まう高畑サロンの志賀直哉一派と奈良に通う会津八一の日吉館サロンとはあまり仲がよろしくなかったそうでこれも面白い話だなと思った。
私は、通いの会津八一が奈良にこれだけ歌碑を残すほどに有名になったきっかけについて先生に聞いてみたかったのだけど、勇気が出なくて質問できなかった。
これはこれからの私の課題として、会津八一の本「自注鹿鳴集」、これはKindleで百八十円!だったので即購入、
そして村尾誠一先生の「会津八一 奈良大和を愛し、古寺巡礼の歌を詠う」を注文したので読みながら理解を深めたいと思っています。
読了したら感想をよせたいと思います!
25.1.13~①
いいなと思ったら応援しよう!
