みうらじゅん「マイ遺品展」と大山崎山荘美術館
私はまた朝早くに出過ぎてしまって、阪急大山崎から美術館までの一番早い無料送迎バスに乗れて大山崎山荘美術館にに着いてしまった。初めて門が閉まってみんなが並んでいるのを見たよ。
恭しく門は開かれ、山道を上がり大山崎美術館前へと到着。
この日は友人たちと一緒に観ることを約束していて、みんなが来るまでの間に売店でAmazonでいつも買おうかと悩んでいた新書の「マイ仏教 みうらじゅん」を購入してみうらじゅんスタンプも押して私だけのマイ本にした。
それにしてもみうらじゅんの言うところの「マイ」っていい言葉だな。どんなでかい物でも「マイ」って言うだけで矮小化もプライベート化もできてしまうのでどう語ってもその人の自由じゃん。って思わせる便利な言葉だよね。
さて、その「マイ」遺品展。
長らく通ってるけどこんなにふざけた展覧会をココ、大山崎山荘で見たことがない。多分学芸員に大のみうらじゅんファンがいるんだろう。それもこの展覧会は開館25周年記念というからそれも驚きw その器の素晴らしいお陰か民藝に興味のない「みうらじゅんファン」と共に、ちゃんとした展示として見るおば様達もいて微笑ましい雰囲気が漂っている。
高校生の頃、「宝島」読者だった時に出会ったみうらじゅん。その後もずっとファンとは気づかずに彼を追いかけてきたような気がする。podcastでのラジオは断続的に続いてずっと聴いていたし、(今は大竹まこと番組の週替わりのコーナーぐらいになったけど)何かゲストで彼が出るときは大体をチェックしていたので、何が今彼の「マイ」ブームなのかも把握していたつもり。
それが大山崎山荘みたいな私の大好きな場所でその一端を見ることになろうとは!それもみうらじゅんは、この「マイ遺品」が大山崎山荘に飾られる第一級品の民藝とよく似合っているのだ!その昭和感が!と大真面目に照れもなく言っていて、その自信と自己肯定力と自分好き力があってこそのみうらじゅんだなとしみじみ思った。
地下のいつものモネやルノワールの絵はそのままでいつも通り展示されていて、それがものすごく場違いで真面目か!って恥ずかし見えてくるぐらいだった。
個人的にはスクラップが見事でいつまでも見てられた。あれをずっと何十年もやり続けてるのはすごいことだし、ずっとラジオでパーソナリティ達には見せながら語っていたスクラップがこういう物だったのかと現認することができてなんとも感慨深くて大笑いしてしまった。(後で展覧会についてほぼ日で読んだところ、これはあのエロスクラップとは違って最近スクラップされた無意識スクラップとのことだ)
コレクションとは彼の呼ばない「マイ」ブーム。飽きてからもお金をかけて集める「マイ」ブーム。それが「マイ」遺品に転換されるとは本当に面白い。
子供の頃の「仏像日記」も面白く、ちゃんと写真や切り抜きを貼って編集していて彼は子供の頃からの文章の説明と図解の人だなあと思った。去年、奈良に行きだして、見仏記を読み返しだしてから「私はみうらじゅんファンなんだ!」と自分の「マイ」みうらじゅんに気づいて、そしてこの「マイ」遺品展にみんなと楽しく見れて本当に嬉しく思ってしまった。
彼が展覧会の動画で言っていたように、本当に人類の記憶からなくなってからニュー柳田國男にみうらじゅんを見つけてもらいたい。その時の解説になるのは全ていとうせいこうで彼らの再発見は戦後の高度成長期後の、安穏な誰もが大人にならなかった時代の象徴となるだろうw
その後の飲み会で友人に言ってたように、猿の惑星の最後で遺跡を発掘して、ここが地球だったとは!となった時の出土品がみうらじゅんのマイ遺品で、そのロゼッタストーンとなるのがいとうせいこうなのだ!
マイ遺品の展示内容についての解説は、ほぼ日刊イトイ新聞の紹介連載ページが一番わかってる〜と思う。
そしてはっと気がつくとこの日私は16年前に買ったほぼ日Tシャツをセーターの中に着て出かけていて、そして図らずもその日の夜が2年ぶりの「新TV見物記」放送日だったのだ!これは多分何かに導かれてその日「マイ遺品展」を享受することになったことと関係があるはずだ。そう思うと心の中に過去現在未来を表している蔵王権現の姿が浮かんだのであった。。。
22.2.18
↑これはいいな!!!