福井県フォトクラブ合宿 3日目 敦賀ムゼウム 中盤〜⑤
次に訪れたのが、「敦賀ムゼウム」。私の知らない施設だった。ムゼウムとはポーランド語で資料館という意味。
ここ、敦賀港は明治から昭和初期、シベリア鉄道を経由してヨーロッパ各都市と日本を結ぶ国際港だったとのこと。これは前にNHKのブラタモリの敦賀の回を見るまで全く知らなかったんだけど、敦賀は早くから世界に近い港。
そして、この敦賀港に、まず、1920年代、ロシア革命の動乱によってシベリアに居たポーランドの孤児たちがやって来る。資料館ではその頃の写真や新聞記事が展示されていると共に美談だけでなく、その当時の敦賀の人が見た孤児たちの様子がたくさん掲示されていてとても興味深かった。駅の近くで外国の人たちがたくさんいて怖かったとか、お風呂屋さんが無料で孤児たちを入れてあげたけどその後の掃除が大変だったとか、割と赤裸々に書かれています。大正10年ごろの敦賀の人たちには、今のように情報も少ないし、仕方ないなあと感じるしそのまま当時の雰囲気を紹介してることに時代のムードを感じることができます。
そして、1940年台に杉原千畝のあの有名な「命のビザ」を発給されたユダヤ難民たちが敦賀の港に降り立ちます。この難民たちが上陸した唯一の港が敦賀港だったそう。こちらもたくさんの展示がありました。このようなことから敦賀港は人道の港と呼ばれるそうです。
2024年11月3日(日)~2025年2月24日(月) この敦賀ムゼウムでは特別展として、「ワルシャワ。灰の中から甦る不死鳥」というポーランドの首都のワルシャワがあの大戦でどのように破壊し尽くされたか、そして、そこからどのように奮起し甦ったのかについて展示され、またその様子が映像によって再現されているます。この様に敦賀の町だからこそできる人道的な企画展を続けられていることは素晴らしいと思います。
私は近隣の舞鶴の出身なので、シベリアと言えば「岸壁の母」の歌で有名な引き揚げ港としての舞鶴港を思い出します。どちらかと言うと敗戦からの抑留からの帰国、そして海軍という暗いイメージの舞鶴港ですが、それと比べると敦賀港はとても開かれていて陽のイメージを感じました。そして、これを機会に私のやってる映画の会の過去作で「杉原千畝 命のビザ」を見てみたいです。
さて、しっかりと人道学習をして、次に訪れたのは、公園内に敦賀港駅舎があって、それが敦賀鉄道資料館。明治15(1882)年、敦賀に日本海側初の線路が敷かれたとのこと!
敦賀港は明治の時代から世界に広がる港だ。ここから旅立った人たちの当時の日記を読んでみたいなあ。
懐かしい実家のある舞鶴の文字も発見。
今も敦賀から東舞鶴はJRの小浜線が運行している。そして、敦賀から神戸へは、新快速で行けるらしい。私たちはサンダーバードで行ったけど、2時間半ほどで新快速で行けるというのだ!いつか、ゆっくりそんな旅もしてみたいなあ。
(つづく
24.11.3 福井県フォトクラブ合宿〜⑤