アメリカの教育から何を学ぶか Waiting for Superman と Most Likely to Succeed
'NingNing 'Neinei Shirakawa'(白川寧々)さんが、私の記事にコメントしてくださいました。公開投稿なので、シェアさせていただきますね。
この投稿、
ちょっと問題ありじゃない?って書いておられるんですけど、
うんうん、こういうふうに、
あなたはこういうけどさ、こういう見方もあるんじゃない?
というやり取り(対話)が成立するコメントなわけです。
うれしい。
コメント欄で彼女が紹介して下さったアメリカ映画
Waiting for Superman は、
アメリカの、
学力向上に対して子どもたちを応援するよりもむしろ阻害する制度や
「落ちこぼれ量産工場」や「学力低下の落とし穴」などが
どのようになっているのかを、
一握りの将来を約束された子どもたちを取材しつつ、吟味し、
教育システムとその難解に思える問題点を丹念に分析しながら、
公教育を徹底的に見直していくドキュメンタリー とのことです。
(まだ私は見れていません)
amazonで字幕版(レンタルで300円)もありますね。
つまり、Most Likely to Succeed のHigh Tech Highに入れない子どもたち、
抽選に当たることを待ちながら、意気消沈していく子どもたちはどうするのか、という問題を抜きにして、この話は議論できないと私は思うのです。
もちろん、貧困層からエリートになっていく人たちが社会を変えようとするというのは確かだけれど、それがすべて社会のためになることをする人たちになるかっていうと、それも微妙だし(ということは、『やりすぎ教育』(ポプラ新書)に『ガンジーの教育論』を紹介する中で書きました)、
その数は圧倒的に少ない。そしてそれがシャンパン効果のようになるかというと、それもなかなか難しいこと。
抽選から漏れた人たちが刑務所に行く確率の方が高いのではないかなあと思うのですよね。
Most Likely to Succeed を単なる一つの映画としてほほうと見るのはいいのです。知るのはいいのです。
でもこれを、日本の教育の行く先だ、というふうに理想化して紹介したり、受け止めたりしていていいのか、ということなんです。
スーパーマンやウルトラマンは面白いし、スカッとするから、
その上映中に茶々を入れたくはないけれど、
その世界の中でスッキリしても、
それを現実に持ってきたときのことも考えておかないといけないと。
ウルトラマンが、人間のエゴのために生みだされた怪獣を、
人間の正義のために追い払おうと暴れた後の街は、
相当ひどいことになっているんですよね。
スーパーマンは現実には現れないし。
クリティカルである、ということと、非難する、とか、妨害する、とか、否定する、ということは違うんです。まずはそこから腹落ちしてもらえるといいなあ。
終わった後の議論が必要ではないか、と私は思うわけです。
2つの映画をセットで上映して考えることが必要!!!!!!
※追記です。
白川さんからコメントいただきました!
Most Likelyは割と世界中に発するメッセージとして強いとは思いますけど、それで「アメリカすごい!」とか思われてもたまらないし逆にアメリカだめやん、てことでもなく大国は大変なんだよ!!日本ローカルの大変さはじゃあどうしてくの?ってメッセージを付与した勧め方をしなきゃ意味ないですよね。ていうか、「あの国の教育はいい、わるい」とか平面的な思考ではなく、自分の目の前の問題への向き合い方のヒントとして受け取れる人、めちゃくちゃ少なくないですか?そっちの思考パターンを教えるところから始めなきゃダメじゃないですか?しんどいけど。
#やりすぎ教育 #Most Likely to Succeed #Waiting for Superman
#教育改革 #エデュケーショナル・マルトリートメント #アメリカの教育
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