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温度を上げていく遊びという名の虐待: かつて、TVで高視聴率でしたよね?
虐待する者が、
しつけを理由とすること、教育を理由とすること、「正当な罰」を理由とすること、は少なくありません。
今回の摂津市で起きた三歳児虐待事件では、それらではなく、遊び、を理由にしていることが特徴的です(情報はニュースの範囲です)。
でもこれは、実はこの事例が初めてではありません。
お湯をかける お湯に入れる ことを遊びとするのは、
以前、テレビで笑いをとるためによくなされていました。
「熱湯」は、やけどをするような温度ではなかったようです。
でも「熱湯」に入る番組が視聴者の笑いを取っていたことは事実です。
人が苦しむのを見て、「遊ぶ」 事例は後を絶ちません。
例えば、アブグレイブ刑務所のイラク捕虜虐待を覚えていますか。
アメリカ軍による捕虜虐待です。
同列に並べることには異論があるでしょうが、
日本の不法入国者の収容施設でも、外国の方が亡くなっています。
集団のレイプやいじめや「いじる」行為も、同様の根っこがあると言えるでしょう。
やっている側に、遊び感覚、がある限り、さまざまな「遊び」は継続するでしょう。
幼い子どもたちが発達途上の、遊び、で、
虫や動物に対して、ひどい行為を行うことがあります。
でも、人間は理性や思考で、次第にそれをしないように育ちます。
相手に対する共感性(相手の気持ちを想像して、相手と同じ立場になって、その気持ちを感じ取る力)が育つと、できなくなります。
だから、前線に立つ兵士は、ときに、
最初に、洗脳されたり、共感性をなくす訓練をさせられたり、
薬を投与されたりして、心を殺されます。
さて、今回の「遊び」は、加害者にとって、
どんなふうに「遊び」だったのか。
彼の中で、「遊び」とは、どういうものだったのか。
それはお笑いタレントがテレビで繰り広げていた「遊び」を
笑って見ていた視聴者たちのなかの「遊び」と、
どこが同じでどこが違うのか、
他人事にできない「遊び」だと気づくことが必要だと思います。
この「遊び」についての「研究」「理論」をご存じの方がいらしたら、
教えて下さい。
「遊び」という言葉の多義性を改めて
別の角度から考える必要を感じています。