教師の育て方 大学の教師教育×学校の教師教育
武田信子・多賀一郎 著
『教師の育て方 大学の教師教育×学校の教師教育』
6月17 日発売予定です。
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ポピュラーな密林からもどうぞ。
タイトルは「育て方」になっていますが、
こういうふうに育てればいい教師が育つよ、
というハウツー本ではないです。
そういう本が欲しい方には、すみません。
まずは【目次】を紹介します。
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はじめに
序章 スタートはここから
第1章 教師教育は「誰が」担うのか
第2章 教師教育は「何を」すべきなのか
第3章 これからの教師モデルとは
第4章 教師教育者の専門性開発
第5章 教員養成が危機的な状況にある
終章 子どもたちの変化からこれからの教師教育を考える
おわりに
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そもそも教師教育とは何か、とか、
教師教育者とは誰か、とか、
そこから?というようなところでつまづいてしまうこの分野。
でも現実には、教員免許取得のために、教員養成課程で、
学生に「教える役割の人」がいるわけです。
教員研修で、教員たちに「指導?学びの場を作る?役割の人」がいるわけです。
だから、議論が必要です。
まずは、普通の人たちが、自分事として関心を持ち、話し始めることが必要なのだと思います。
なぜなら、どんな立場の人であっても、
学校教育と無縁という人は、日本にはほとんどいないのですから、
その人が自分の立場で、
「先生になるための教育」「先生が学ぶための教育」を身近に感じて、
考え始めてくれるといいなあと思って書きました。
学校教員や大学教授はもとより、
自分の子どもを学校に行かせている(あるいは、子どもが学校に行っていない)保護者の方とか、
人材育成に関わっておられる方とか、
若手の職人を育てる方とか、
他分野の専門職の育成に関わっておられる方とか。
幅広く読んでいただけるといいなあと思っています。
誰にしも関係があることのはずですから。
(カナダのオンタリオ州の教職員組織では、教員養成に関する会議に「地域
の大人」枠がありました。最初びっくりしましたが、自分たちの地域の子
どもたちのことですから、当然ですね)
そもそも教員養成って、今、どんなふうになされていると思いますか?
自分が免許を取ろうとしたときはどうでしたか?
素朴にそんな関心から読んでいただきたいのです。
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・・・さてここからは、本の内容紹介ではなくて、できるまでの裏話です。
教員養成に携わることが決まったとき、20代最後だった私は、
大学に内地留学しておられた学校の先生にうかがいました。
教育心理学の授業は、現場で役立ちましたか?
って。
まあ役立ったかな、あってよかったと思うよ。
というお答えでした。
ちょっとほっとして、だから、
私は、まあ、の度合いをもうちょっと高めたい、
と思いました。いえ、本当は心の中では、
学生が卒業後に「とっても役立った」と言える授業を作りたい、
と思いました。そうして、大学教員になりました。
専門は教育心理学でした。が、
大学の教壇に立つ練習をしたことはありませんでした。
学校現場にプロとして立ったこともありませんでした。
それなのに、私は
「教育実習の指導」をする授業まで担当するように言われました。
教員志望学生に教える立場になりました。
それって無謀でしょう?と思いましたが、
周りを見渡すと、みんなそうしているのです。
詐欺でもなんでも、やるしかありません。
学生時代には、塾の先生や家庭教師のバイトをしていて、超有名大学の合格へ導いていましたし、
教職課程で学び、教育実習もしていました。
だから、全くの素人、というわけではありませんでした。
でも、受験の学力をつけることと教員養成は違います。
むしろ逆方向と言ってもいいかもしれません。
それに、小中高校と大学の授業も根本的に違います。
担任もなく、週に一回90分、よく知らない学生相手に授業するのが、大学の授業です(よく知るためには、授業内外の努力が必要です)。
いくつかの授業は比較的早く楽しくできるようになりました。
でも、担当授業も学生もどんどん変化していきます。
ある程度、どんな条件でも自分の思う授業ができるようになるまでには、
そのプロセスで、思い出すだに苦い記憶がたくさんありました。
「教師教育は複雑で困難な仕事」 Byフレット・コルトハーヘン
なのです。
就職して数年経ち、
アメリカの心理教育のためのグループワークのテキスト8冊が翻訳されているのをみつけ、自分の授業に応用できるものは、自由度の高い選択授業で片っ端からやってみました。
『Creative Human Relations 人間関係トレーニング全集 全8巻』(星野欣生他著 1996年 プレスタイム)
元々20代前半に、日本心理臨床学会大会で、
「精神神経科思春期病棟における研修に関する研究~自由さという観点から~」という共同発表をしていました。
実践は、現場で自分がモデルと決めた先生の背中から学ぶことが一番と思っていました。
ですから、参加しながら学ぶことができる機会を作っては、ファシリテーターを務めていました。まだ、日本では、誰も、ファシリテーションとか、ワークショップデザインなどという言葉を使っていない頃でした。
(そのため、2006年にオランダでイエナプランの教員研修に出たときには、
あれ?私が10年位前に大学の授業にとりいれていたあの本に出ていたワー クだ、とか、これ知ってる、アメリカからだ、とか思いました)
教育心理学や教育相談の理論を「知識として伝えるのではなく」、
授業の中で実践して示せなければならないと思っていたので、
矛盾した授業をやってしまったときは、その後、何日もうなされました。
モデルとなる授業は見たことも聞いたこともありませんでしたから、
自分で作るしかなかったのです。
当時の学生たちに本当に申し訳なくて、今でも謝りたいと思い出します。
そのようなプロセスを経て、
授業の多くが、学生たちから評価されるものになりました。
(でも、いつまでたっても、年度の条件によって、そうでない授業ができて しまうのでした。特に一年間、海外に行くたびに、帰国後の授業は、学生たちが私のやり方に慣れていないために、ずれができてなかなか授業がうまくいきませんでした)
だんだん授業が安定してきた2010年前後だったでしょうか。
学生たちが教員になりやすい時代に入って、
志望者のほぼ全員が少し踏ん張れば教員になれるようになってきていました。これが全国で起きてきていました。
さて、単位を集めただけの学生が教員になっていく状況は、いいのか。
本当に教師になる可能性が高いのならば、
大学で育てておかなければならないのではないか。
イニシャルショックを学生の問題にしていていいのか。
そこで、教育学界の重鎮、誰もが知るO先生のご自宅にうかがったとき、
意を決して、うかがいました。
大学の授業で学生を先生に育てることはできるのでしょうか?
と。そうしたら、先生は、即座に、
無理だね。
とおっしゃいました。
そうなのか。
大先生の言葉に、私はうなだれました。
でも、その帰路で、ふつふつと、
先生がおっしゃりたいことはわかる。
でももし、大学で育たないなら、教員養成の授業をやっている意味がない
し、何らかの対策を取らなければいけない。工夫しなければならない。
少なくとも、そのまま授業をしていてはいけない。
それなのに、
「育たない」といいながら授業を担当しているとしたら、
大学の教員養成担当者は一体、何をやっていることになるのか?
その責任は?学費を払っている学生たちの負担は?
と考え直しました。
「育てられるようにしなければならない」
「育つはずだ」
「育たないと思う学生は、引き受けてはいけない」
「授業以外のさまざまな学びの機会を作ることも含めて大学教員にできることをしなければならない」
そう思いました。
こればっかりは、O先生でも譲るわけにはいかない、と思いました。
その後、大学に、学生によるベストプロフェッサー賞の制度ができました。そして退職まで、この賞を毎年いただくことができました。
それでも自分としては「上手くいかない」という思いで随分苦しかったのですが、賞はその辛さを和らげてくれました(もちろん、賞は目的ではなくて、結果です)。(教員養成をしている教員、教育を教える教員としては、授業がきちんとできるのは当然のはずです)
さて、もし、先生がご存命であるなら、
この本を読んで何とおっしゃるかなあと思います。
きっと私が思いつかないような大所高所からのコメントを下さるのだろうなと思います。
だから、教育学界にその先生の薫陶を受けた先生方が大勢いらっしゃる中、この本を出すのは、とても勇気のいることです。
でも、いいじゃないか、と言い聞かせています。
私は正解を書こうとしたわけではなく、
問題提起を書いたのだから。
みんなで議論を始めるためのきっかけを作るのが、この本の役割だから。
批判されるほど、読まれればいい。どんどん言い返してもらえばいい。
「そこに揺れや動きが出ればいい」
今の子どもたちや学校の現状を考えると、
教育の高邁な理想や理論と現場をつなぐ問題提起が必要だと思うのです。
私は、私たちが置かれている困難な社会状況の原因の一つに、
学校教育、そしてそれを作っている教師教育がある
と考えています。
そうすると、
武田さん。なんでも教育のせいにするなよ。教育にそんな力はないよ。
としばしば言われるのですが、
でも、現在の学校教育の困難さの一端は、教師教育にある。
更にその一端を担っていた自分には、責任がある。
と「私は」考えるのです。
そして、
大学の教職課程のカリキュラムや運営、
学会のテーマ・関心や、
文科省や教育政策に
これまで十分に働きかけることのできなかった自分に、
変化を生み出すことができなかった自分に、
忸怩たる思いを持っています。
特に、教員養成の質保証というときには、
教師教育者の質保証を考えなければならない、
と私はずっと訴えてきたのですが、
でも、そうだ、と言ってくれて、
一緒に動いてくれる人を私は見つけることができませんでした。
また、教員養成には
「人権」の発想がなければならない。
と私はずっと考えていました。
でも、教職課程の授業で「人権」を単なる絵に描いた餅ではなく「実践的に」学生たちが扱えるように教えるようにということは、しばしば抜け落ちていました。
そんなこんなで一昨年、大学を早めに退職し、フリーな立場になって、
もう言いたいように言おう、書きたいように書こう
そう思って、書くことができた本と言えるように思います。
・・・一人では書けませんでした。
この本の出版を企図してから、実に6年半の年月が経っています。
多賀先生が見事にまとめて下さって、ほぼ完成に近づいていたのに、
私の怠慢で、真ん中に5年位のブランクがあるのです。
多賀先生は辛抱強く、私が書きだすのを待ってくださいました。
私が、
書き過ぎじゃないでしょうか?
と言い出すと、いや、いいんですよ、と後押しして下さいました。
そんな二人の対話を聞いた、編集の加藤愛さんは、
面白いです、実に面白いです。
と関心を持って、最終的にまとめ上げて下さいました。
加藤さんの踏ん張りと温かい言葉が、私の「えいや」を支えてくれました。
長くなりました。
いろいろな思いを込めて書いたこの本を
さまざまな立場の読者が、違う視点からどのように読んで下さるのか、
楽しみにしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
わがままなお願いですが、SNS や amazon、学会誌などに書評を書いて、シェアいただければ幸いです。
#教師教育 #教員養成 #学校教育 #エデュケーショナル・マルトリートメント #エデュマル #マルトリートメントの予防
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