教室マルトリートメント
エデュケーショナルマルトリートメント(エデュマル:大人が子どもに対して教育のつもりで行う、子どもの発達や健康にとって不適切な行為(健康教室 Information Plaza 東山書房 2019年11月)に関連して、こんな書籍が出版されるとのことです。
著書の川上康則先生にはまだお会いしたことがなく、4月末出版とのことで、出版が待たれます。
エデュマルの中でも、学校という場ではやはり、先生と子どもだけの密室(学級王国というちょっともう古くなった言葉もありますね)になりがちな教室では、マルトリートメントが起きてしまう可能性が高いと思います。
先日も、私の note を読んで下さった先生方が、すぐに「教員による『やりすぎ教育』について、zoom で話し合いの会を持ってくださいました。
自分の危うさや、隣のクラスから漏れ聞こえてくる危うさ、学校全体に感じる危うさなど、それぞれに思い当たることがあってのことだと思います。
ここにも、熱心な姿勢が、危ない行為、してはならない行為に変換していく罠があるように思います。
「やりすぎ教育」や「教育虐待」の概念は、まだまだ印象・イメージにとどまっていて、私の概念整理がなかなか伝わらない(そもそも、言葉のインパクトに引きづられて、ネーミングだけが独り歩きしていく)のは、もっと私が頑張らなければならないところなのですが、まずは「あ!」っと引っかかって下さる方が増えれば、そこからいつの間にか、みんながあたりまえに知っている概念になっていく、と思っています。
下図は、社会の中で起きているマルトリートメント(四角い部分)を拡大したもので、この図を拡大すると、さらにその下の図になります。
(図がぼやけていてすみません、技術があれば~)
さて、「教室マルトリートメント」という川上先生のキーワードは、
これまで私が使ってきた図に当てはめると、
上記のオレンジの部分に当たるのかな~と推察しています。
(書籍の発売は4月末とのことですので、推察なのですが。
面積が比率を反映していない図なので、実際はもっと広いイメージ)
みんなの関心の集まる具体的でとてもインパクトの強い部分です。
それは、家庭における親による「教育虐待」に対比されるインパクトの強さを持つでしょう。これから、これまでに苦しめられてきた子どもたち(と既に育った大人たち)の側からの声が上がってくることもあるのではないでしょうか。
子どもたちに対してなされる
さまざまなマルトリートメント(子どもの発達や健康にとって不適切な行為)の中に、
社会的な価値観を背景として、
認識されにくい社会的マルトリートメントがあまねく存在していて、
そういう社会文化の中で、広義のエデュマル
(これは、社会が子どもに教え込むことに価値を置きすぎるために、子どもたちにいろいろなことを押し付けやりすぎてしまう現象や、逆に良い子でない子を排除するような現象など、多くはあたりまえとされている、教育の名の下に行われるマルトリートメント)がなされて、
そのエデュマルは、
・社会的なエデュマル、と
・家庭における教育虐待、に分けられ、
さらに社会的なエデュマルの中に
・学校教育の中で起きるエデュマルと
・それ以外の教育場面で起きるエデュマルがある。
ということになります。う~ん、複雑ですね。何重にもなった構造です。
そこにさらに、学校教育の中で起きるエデュマルの中に、
「教室マルトリートメント」が存在している。
ということかと。
ともあれ、ここで私が強調しておきたいのは、
いくらひとりの教員や親が対応を変えることが出来たとしても、
(具体的な対応と具体的な防止ができたとしても)
そこで留飲を下げただけでは、次の罠にはまる連鎖はとまらず、
全体の構造を見ない限り、マルトリートメントの予防は難しい。
ということです。
これを私は長年、講演の中で、「ゴキブリ30匹の法則」と呼んできました。
(ゴキブリ無理、な方、ごめんなさい)
一匹出てきたゴキブリを退治しても、
隠れているゴキブリ(やその卵)が29匹いて、
それが次々と繁殖していくから、
なかなか完全駆除には至らない、というものです。
① 一匹ずつを退治しつつ、
② ゴキブリが繁殖する原因を取り除き、環境を変えていかなければなりません。
もちろん、そこに現れている問題に気が付いて、その問題を解決していく、
あるいは問題が起きてこないようにするという ① の段階が「必要」で、まずはそこからです。
が、
それをしつつ、もう一方で、
社会全体の価値観をリフレクションして予防していく
という動きが起きなければならないのです。
これには少々時間がかかります。
文化や価値観を変えていくのですから
解熱剤のような即効薬ではなく、漢方薬が必要だと思っています
(戦争や革命のような荒療治も価値観を変えますが、そこで起きる歪みや犠牲が大きすぎると思います)。
そこで、『やりすぎ教育』には根っこから価値観を変えていく方策をできる限り具体的に書いたのですが、
どうしたらいいか具体的な策がない、というご指摘はやはりありました。
(それを、みんなで考えるプロセスなく、こうするといいよ、正解だよ、と誰かが解決策を与えるというあり方自体が問題だということなのですけれど、なかなかそこは伝わりにくいところのようです)
ミクロの視点からマクロの視点まで、
「それぞれの立場で」問題に取り組む人たちが協力し合って動くことで、
問題は解決に近づいていくでしょう。
いろいろな議論がさまざまなところから沸き起こり、
皆で考えて皆で検討していく流れの中で、
良い方向に状況が動いていくように、
私も引き続き発信していきたいと思います。
#教育虐待 #やりすぎ教育 #エデュケーショナル・マルトリートメント
#教室マルトリートメント #一般社団法人ジェイス #マルトリ予防
#エデュマル