知っていたら救えた。 知っていたら救われていた。
「知っていたら救えた、知っていたら救われた」
という自分の帯の言葉が、本当にそうだなあと思えました☆彡
こちらの発刊記念セミナー、今、終わりました。
事前に申し込んでいないと、アーカイブ配信は見られないようですが、
すごくわかりやすくて、丁寧な配慮がなされていて、見逃せない1時間でした。書籍に書かれている内容なのだけれど、編者のお二人のおだやかな声、ペースで説明されてすうっと頭に入ってきました。
もし、申し込んだけれど、聞き逃したという方がいらしたら、ぜひこの後の2週間の配信は聞いていただけたらと思います。
ちなみに
教育熱心かエデュケーショナル・マルトリートメントかの線引きがいつも話題になりますが、その違いは、
大人と子どもの間に上下関係のない民主的な対話があるかどうか
というのが、いまの私のベストの回答です。
ただ、民主的な対話というのがどういうものであるか、という説明がないと難しいかもしれませんね。
相手のメッセージ(言語であれ非言語であれ)をおだやかに聞き、自分のメッセージもおだやかに伝え、相手の意見や考えや感情を互いに理解しようと努力し、互いに尊重して、両者にとっての最適解を見つけようと努力するプロセスを不断に続けること。
そして、お互いに合意したときに、その合意が互いや全体の利益になると信じることができて、その上でそれを実行し、でも、もしその決定を見直した方がよいと思う時点が後に訪れたら、再び対話のプロセスを始めること。
こういう関係性で子育てや教育をしていたら、エデュケーショナル・マルトリートメントは起きないと思います。
でも、日本では、このような関係性を大人と子どもの間(あるいは社会的強者と弱者の間)で持てていることは少ないのではないかと思います。マルトリートメントが起きても気がつかない土壌があるのです。
そのような状況を私は、社会的マルトリートメントという言葉を用いて説明しています。
社会的マルトリートメントを理解するためにも、そのベースとなる説明がなされていたセミナーでした。ぜひ、お聞きくださるか、本書を読んでいただければと思います。
※ 来年こそは、社会的マルトリートメントをテーマとする書籍を執筆します!!
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