ホラー映画のように消費される毒親のストーリー
毒親のストーリーが、ホラー映画のように大量消費される。
当事者の複雑な心境が語られ、
第三者によって鑑賞され、好きなようにコメントされ、
新しい次のストーリーが出ると、そちらに話題が移り、
忘れ去られていく。
そうならないように、私たちで、
次のストーリーを食い止めるために
前のストーリーを読まなくてはならない。
なぜストーリーが繰り返されるのか。
この日本で、異常と思われる親の行為がなぜ起き、
そのままになっているのか。
私たち自身の何がそれを促しているのか。
日本人という当事者性を持っている私たちは、
ストーリーを丁寧に扱って、ないがしろにしないと固く誓って、
そのストーリーから学ばねばならない。
滋賀の事件しかり、このストーリーしかり。
滋賀の事件を書いた本が売れに売れた。
それで私たちの社会の何が変わったか。
金属バット殺人事件が起きて50年。
日本の社会は変わらなかった。
最近のいくつもの事件でも、変わるムーブメントが起きていない。
あといくつのストーリーがあれば、動き出すのだろう。
もう充分だ。
毒親を作り出している社会の価値観を自分たちから変えていくという強い決意を持った人を、一人一人リクルートして、
自分たちの周りから少しずつ少しずつ声かけあって気づいていき、
今から50年後には、社会が変わっているようにする。
そのプレイヤーは私たちだ。
※ 写真は室伏淳史氏 2023 8/19 富士川楽座