きっかけはなんでもいい。一歩踏み出す勇気が未来を拓く 【週刊新陽 #45】
2日2日、全国高等学校ハンドボール選抜大会北海道予選(新人戦全道大会)の決勝が行われ、新陽高校の女子・男子ハンド部が揃って優勝という快挙を成し遂げました!
結果速報がシェアされると全職員チャットグループも大盛り上がり。いつもの業務連絡より反応早かった・笑(こういうノリの良さも新陽の先生たちの好きなところです)。
今回の大会では、新型コロナウイルスの影響で出場できず、悔しい思いをした学校もあると聞きます。新陽はオンライン授業に切り替えていたことで、試合にも出られて感謝しているとの言葉をくださった保護者の方もいます。逆に言えば、学校ができるのはそこまで。
感染対策を含め生徒たちが主体的に部活動を行ってきたこと、しっかり練習できるよう顧問や指導者の方々がいつも以上に気を配ってくれたことなどを力に変えて、最後は選手が自分たちの力で勝利を掴みました。
本気で挑戦し自ら道を拓いたハンド部のみんな、3月の全国大会も頑張れ!!
2月もオンライン全校集会
ハンド部がアベック優勝した日の1時間目は、オンライン全校集会で『クリスタライズ奨学金』の成果報告と対談を行いました。
新陽には、学校のポリシーに基づく独自の奨学金制度があって『クリスタライズ奨学金』はその一つ。クリスタライズ(Crystalize)には、結晶化させる、具体化する、という意味があり、「本気で挑戦したいことを具現化する人を応援する」奨学金です(今年度1年生が対象)。
7月に行われた審査で奨学生として選ばれた五月女さんが、半年間、ベースのレッスンに取り組んだ成果を報告してくれました。
ベースが上達したこと、ベースの良さを知ったこと、そしてこれからも続けていこうと思っていることに加え、「もっと他にもいろんなことに挑戦したくなった」のだそう。
「踏み出して挑戦してみることで気づくことや学べることがある、と今回つくづく感じた。みんなも、きっかけはなんでもいいのでとにかく踏み出して、経験してみてほしい!」と話してくれました。
オンライン集会だったので演奏を披露してもらえなかったのは残念ですが、いつかぜひ全校生徒の前でライブしてくださいね♪
車椅子インフルエンサーが登壇!
多様な考えや生き方に触れる『人物多様性対談』に出てくれたのは、車椅子インフルエンサーの中嶋涼子さん。
涼子さんとは、私も参加しているインターナショナルサマーキャンプMSTERIO(ミステリオ)で出会いました。「ちがいをたのしもう」を合言葉に活動する車イスチャレンジユニットBEYOND GIRLSの一人として、キャンパー(子どもたち)に元気と勇気をくれたのがとても印象的で、その後もMSTERIO関連のイベントで何度か再会。
涼子さんのキャリアも、現在の活動も、そして生きる姿勢そのものが生徒たちに響くのではないかと思って登壇をオファーしたところ、「ぜひ!高校生に話したい!」と言ってくれました。
テレビ出演やSNS発信、講演会など様々な場所で活躍され多忙を極める中、とうとう対談が実現。
画面に登場してもらうやいなや「クリスタライズ奨学生が、いま、きっかけはなんでもいいからとにかく踏み出して経験!とおっしゃっていましたよね。まさに私も同じことを伝えたかったので感動して聞いていました。きっかけになれば、と思って今日はお話しさせていただきます。」と、講演が始まりました。
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涼子さんの職業は「車椅子インフルエンサー」。
インフルエンサーとは、影響を与える人のこと。車椅子や障害者のイメージはちょっとネガティブで遠い存在かもしれない。それを、発信を通して身近に感じてもらうようになったり、ポジティブなイメージを伝染させたりしたいと、涼子さんは3年前から「車椅子インフルエンサー」を名乗っています。
発信の方法は、YouTube配信や講演会、メディア出演など。まだまだ知られていない障害者のリアルや、涼子さんが挑戦している姿から「車椅子でも実は色々できる」ということを知ってもらい、健康な人との距離が縮まったらいいな、と考えているそうです。
子どもの頃は体が大きく活発で、とにかく運動が大好きな女の子。でも小学校3年生の時、いつもどおり友だちと鉄棒で遊んでいた涼子さんは、降りた瞬間に突然足が動かなくなりました。そのまま病院に運ばれ入院。病院を転々としましたが、どんなに調べても原因が分からず1年半後に退院。車椅子生活が始まりました。
「車椅子の自分を見て皆はどう思うだろう?」と不安でいっぱいでしたが、友だちは普通に接してくれるどころか、むしろ学校の人気者。でも涼子さん本人は「自分だけ車椅子に乗っていることがいや。かっこ悪い。」と感じるようになりました。
街中に出ると視線を感じる。今になって思えば、周りはそんなに気にしていなかったのかもしれませんが、以前の自分が車椅子の人を見て「かわいそう。かっこ悪いな。」と思っていたこともあり、だんだん引きこもりがちになってしまいます。
人に会いたくない、会わない方がラクと思っていたところに、運命の出来事が。映画『タイタニック』との出会いでした。
大ヒットしていた映画で、最初は誘われて仕方なく観に行っただけ。それがとても感動し、もう一度観たくて「外に出たい。」と自分から思った初めての経験でした。
そうして何度か観に行った時、映画館の人に「手伝ってください」と言ったら「責任を追いかねるので手は貸せません。車椅子の人は家にいればいい。」と言われたこともあったそうです。それでも観たいというパワーの方が強く、結局11回も(!)タイタニックを観に行ったそうです。そのうち人の視線も気にならなくなり、段差があるときなど助けを求められるようにまでなりました。
涼子さんは、夢を見つけました。
「自分はタイタニックによって前向きに生きられるようになった。自分も映画に携わって、人にパワー与える側の人間になりたい。」
いつかアメリカで映画を勉強したいと考えるようになった頃、ならば一度アメリカを見てみようと家族で行った人生初のハワイ旅行が、もう一つの運命の出来事となりました。
ハワイでは、「Hi !」という挨拶のあと「なんで車椅子乗ってるの?」「手伝おうか?」と声をかけられることが多く、心に壁がないと感じたそうです。また、海にもスロープがあったり、映画館では車椅子スペースが分散されていたり、歩けた時と同じように選択肢があることが、なんて居心地いいんだろうと思いました。
そして「心と環境のバリアフリーのアメリカで映画の勉強がしたい!」と留学を決意。
心のバリアフリー(ハート面)=気を遣われない
環境のバリアフリー(ハード面)=健常者と同じように行動できる
中高時代とにかく英語だけは頑張って、カリフォルニア州の大学へ進学。車椅子ユーザーだけでなくいろいろな障害がある人や、年齢も国籍も、とにかく多様な人がいるキャンパスで、自分が障害者であることを忘れて過ごし、「インクルーシブ社会ってこれだ」と思っていました。
インクルーシブ社会とは?
障害だけでなく、性別、年齢、国籍、宗教、文化などの多様性(ダイバーシティ)を認め合い、共に暮らしていく社会
大学と映画の専門学校を卒業し、8年間のアメリカ生活を終えて帰国すると、タイタニックを作った映画制作・配給会社のFOXに入社し編集マンに。夢が叶いました。でも・・・1ミリも楽しくなかったのです。
日本社会で初めて働き、障害者のマイノリティ感を改めて感じる日々。
アメリカではどのトイレにも車椅子が入れる個室があったのに、日本では多目的トイレがどこにあるか探すのが大変。また、通勤ラッシュの駅のホームや車内では「じゃまだよ。」と怒られる。毎日へとへとでした。
アメリカでは平気だったのに、日本で生きづらいのはなんでだろう?自分自身は何も変わってないのに。もしかして、障害を作り出しているのは社会なのではないか。
そう思った涼子さんは、「日本の社会の、人の心にある壁を壊していくバリアブレーカーになりたい。一人でスロープを作ったりエレベーターをつけたりすることはできないけど、話すことで人の心のバリアを壊すことならできるかもしれない。」と、インフルエンサーになることを決意し、突然会社を辞めました。
それから3年、涼子さんは東京パラリンピックの閉会式の舞台に立っていました。
閉会式でパフォーマンスしている時、本当に楽しかったそうです。人と違うことが嫌だと思っていた自分が心から違いを楽しめていると感じていました。
いろいろな出会いがあったおかげで人生がどんどん楽しくなっていったと話す涼子さんが、一番伝えたかったこと。
「一歩踏み出すことで人生は変わります。きっかけはなんでもいい。私はタイタニックだった。一度しかない人生、できないことを数えるよりできることを見つけて、『今』を、『違い』を、全力で楽しんで。興味があることがあったら勇気を出して挑戦してください!」
心が変われば社会は変わる
お話に引き込まれ、あっという間に30分が経っていました。最後に、どうしても私が聞いてみたかった質問を2つだけさせてもらいました。
-- 日本での居心地の悪さを感じアメリカに戻るという選択肢もあったはず。それでも日本の社会を変えるために行動しようと思ったのはなぜですか?
もともと日本の社会が生きづらくて逃げるようにアメリカに行ったけど、日本を出たことで気付いたこともあったんです。
たとえば、日本人はシャイなので最初はただ見ているだけのことが多い。でも仲良くなるとすごく気遣ってくれます。丁寧さやおもてなしの精神などは日本の良いところ。離れてみて、日本のことがもっと好きになりました。
それと、自分が生まれ育った国がもっと良くなったらいいな、と思ったのも日本で活動している理由です。逃げるんじゃなくて変えられる人になりたいんです。
-- インフルエンサーとして活動してきて、変わったと感じることはありますか?
ここ数年で街中で車椅子の人を見ることが増えた気がする。つまりそれは車椅子の人が移動しやすくなったということ。私が車椅子生活を始めた頃、駅にはエレベーターや車椅子で使えるトイレがありませんでした。でも今は、駅やデパートには大体ありますよね。環境はだいぶ変わったと感じてます。
あと、人も少しずつ変化してきていて、手伝いましょうかと言ってくれる人も増えた。人も社会も変わるんですよね。だから、もっと変わってほしい。
車椅子の自分を見て、声をかけようか迷って見ているだけ人もいると思うんです。昔は「なんで見てくるの」と思っていたけど、今は、「どう声をかけていいか悩んでいたのかな」と思えるようになりました。
もし車椅子の人や、白杖を持った人などを見かけたら、気軽に声をかけてほしい。もし助けがいらなければ「大丈夫です」と言うし、声をかけてもらえたこと自体が嬉しいんです。そのまま一緒に電車に乗っておしゃべりして、仲良くなるなんてこともあります。
ちょっとキレ気味に「いいです」と言われてしまうこともあるかもしれないけど、それはたまたまその人の機嫌や性格が悪かっただけ。心折れそうになっても諦めないで、また声をかけてほしい。嬉しいと思う人の方が、ぜったいに多いです!
最後に生徒たちへ、メッセージをいただきました。
「車椅子の人や困っている人を見かけたら、勇気を出して声をかけてみて。皆さんの一言で社会は変わるんです。街中にスロープやエレベーターが付くことよりも、人に手伝ってもらって階段を乗り越えられるようになることの方が自分は好き。全部一人でできるようになってしまったら、逆に助け合いもなくなってしまうんじゃないかと思うし。
バリアだらけの社会を人の心で変えていけたら、本当に素敵な社会になる。時々今日の講演を思い出して、一歩踏み出してくれたら嬉しいです!」
【編集後記】
社会モデルと医学モデル(個人モデル)という捉え方があります。「足が動かせないなど"個人の身体的機能"に問題の原因がある」とするのが医学(個人)モデルで、「足が動かせない人が"歩きづらい段差ばかりの環境"に問題がある」と考えるのが社会モデルです。
涼子さんが描いている心のバリアフリーとは、障害のあるなし関係なく共に心地よく暮らせる社会を目指したいという社会モデル的な考え方。『人物多様性』をビジョンに掲げる新陽が目指している社会でもあります。