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歌手になる夢を叶えた卒業生が次の夢に挑戦する話 【週刊新陽 #39】

2021年もあと数日。みなさま、どんな1年でしたか?

私はやはり、新陽高校の校長になったことが今年一番の出来事です。新陽の生徒たちはもちろん、中学生や卒業生などたくさんの若者と会える毎日は、本当に充実しています(エネルギーをもらう一方、こちらもエネルギーを使います・笑)。

冬休みが始まる数日前、卒業生の佐藤広大さんが遊びに来てくれました。シンガーソングライターやラジオDJとして活躍する自身について、「新陽に通っていなかったら今こうしてないかもしれない。」と語る広大さん。

高校時代のこと、デビューするまで、そしてこれからの夢についてお話を伺いました。

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新陽での3年間。親友との約束。

- どんな高校生でしたか?

高校時代は遊びに夢中でした。実は新陽は第一志望ではなく、公立に落ちて他に入れるところがなかったんです。でも、知らない中学校から集まった仲間たちと出会って毎日楽しかったです。

放課後はいつも仲間を誘って大通のカラオケに行ってましたね。大人数で割ると一人当たりが安くなるじゃないですか(笑)。一緒に行ってくれた友達には感謝してます。

- その頃から歌手を目指していましたか。

歌うのはずっと好きでした。一緒に遊んでいた親友がいて、彼は幼稚園からずっと一緒で。そいつが僕の歌を褒めてくれて「広大は歌手になれ」って言ってたんです。

でもその親友は高校2年のとき突然亡くなりました。それをきっかけに、本気で音楽の道を志すことを決めました

そして、その親友がもう一つ言い遺したのが「札幌国際大学に行け」だったんですよね。なんでなのかは分からないんですけど・・・。

それで高3から勉強をはじめました。
といっても勉強はぜんぜんできなかったので、授業を受けてちゃんとノートを取るようになったというレベル。秋に札幌国際大学の自己推薦入試を受けたけど、まあ落ちますよね(笑)。

でも親友との約束を果たしたくて、毎日小論文の練習をしました。遊ぶのも我慢して、夜9時頃まで学校に残っていたと思います。先生たちから「広大、帰りなよ」と言われても残らせてもらってました。

12月まで諦めずに続けていたら、先生が学校推薦の話をくれたんです。「胸張って行ってこい!」って背中を押してもらいました。

それで大学に受かって、そこで出会ったのがEXILEのSHOKICHIです。
親友が、親友を繋いでくれたんです。

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▲1年生の時の担任・川端先生と再会。「けっこう真面目に通ってましたよね。停学もなかったし(笑)」と20年前を振り返るお二人。

御恩を楽しむ『恩楽』を届けたい。

- 広大さんの頑張りが周りを動かしたんですね。その経験はご自身の音楽にもつながっていますか?

先生や友達に応援してもらって今がある、と思っています。音楽で恩返ししたい、音楽人生を恩返ししながら楽しもうということで『恩楽(おんがく)』と呼んでいます。

中学の時も自分はどうしようもないヤツで、正直、普通の高校に行ける状況ではなかった。でも、いろいろ動いてくれた先生がいたおかげで高校に進学できて、その時「退学にならないで卒業します」と約束しました。無事、高校を卒業したので会いに行ったら、少し前に亡くなったと知りました。

この先生や親友との出会いそして別れは、僕の音楽の原点となっていると思います。

- 歌手になると決めて、すぐデビューできたのでしょうか?

いえ、ぜんぜん。そういえば最初のステージは新陽の学校祭ですね。

高3の学校祭で『涙そうそう』を歌ったら、すごい反響があって。初めて大勢の前で歌い、自分の歌でその空間を掴むことができた感覚でした。

きっとプロはこの感覚を楽しんでいるんだろうな、と。これが人に歌を届けた原体験になっています。

大学に行ってからは、札幌の小さなライブハウスやクラブで歌いながら時々オーディションを受けました。SHOKICHIとボーカルユニットを結成して、あるときEXILEのオーディションを一緒に受けたのですが落選。その後、SHOKICHIはJ Soul Brothers(二代目)としてデビューが決まって、一人になりました。

自分は音楽で輝ける星の下に生まれていないかもしれない、と思ったので、大学を卒業して一度就職しました。でもやっぱり音楽がやりたくて1年で退職し、「曲も歌う場所も自分で作ろう」と活動を続けました。

その後、三代目J Soul Brothersのオーディションを受け、3次審査に進出。3万人の中の28人に残ってテレビでも取り上げられたことで知名度が一気に上がり、最終的に合格はできませんでしたが音楽活動のチャンスが広がりました。

そんな時、TBSのカメラマンの方が「広大は声が良いからラジオやるといいよ」と言ってくださったんです。すぐにFM NORTH WAVEに行き、どうやったらラジオに出られるか直接聞きました。と言ってもツテも何もないので門前払いされましたが、スタッフの方が、ラジオ番組を作るために何が必要か教えてくれて。

「それをクリアすればラジオできるってことですよね!?」と言って帰ってきて、すぐに協賛を集めて回り、企画書を作って持ち込んだところ、1クール3ヶ月の番組を持たせてもらえることになりました。

「この3ヶ月が大事。3ヶ月いい感じになれば継続させてもらえるかもしれない。」と思って頑張りました。実際、DJとして9年続いています。

その後、インディーズ、メジャーを経て、現在はLDH MUSIC「KOMA DOGG」に所属しています。

- すごい行動力ですね!こわくてなかなか行動に移せない、という人もいると思うんですが?

こわくはないですね。やりたいことを実現するために何が必要かを自分で知りたいんです。

それに、こわいからやらない、失敗したらカッコ悪いからやらないのってもったいないじゃないですか?カッコつけないだけで得するのに。この泥臭さは、諦めなかったから大学に行けたという経験があるからかもしれません。

「変なやつ」って思われてもいいんです。自分だったら、そういう子が来たら楽しんじゃうな(笑)。

一度きりの人生、自分の生きたいように。人に優しく。

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- これからのビジョンを聞かせていただけますか?

来年、ソロになって歌い始めて10年になります。大きな節目だと思うので、最近はこの先10年のことを考えています。

これまで、アーティスト、DJ、タレントとしての佐藤広大と、『あおぞらプロジェクト』というボランティア団体の代表という顔がありましたが、児童デイサービスの分野にも力を注いでいくつもりです。

教育や子どもに関わることに携わりたいとずっと思っていました。実は、小学生の頃の夢は学校の先生だったんですよ。

自分が音楽をやっているなかで、音楽を楽しむきっかけやステージは誰にでもあっていいはずなのに実際には分け隔てがあることへの課題感があって。障がいがある子の中にも、音楽好きや才能を発揮する子はけっこういます。そしてミュージックセラピーや音楽療法もあるように、音楽って力がありますよね。

だから児童デイサービスを立ち上げるビジョンを描いています。

エンターテインメントに特化したプログラムのあるサービスを提供したいと思っていて、未就学児から中高生までを対象にした音楽プログラムなども入れていく予定です。

たとえば今の時代、自分の曲を出すのはそんなに難しくありません。それだけでその人にとっては大事な記念になることがあります。あるいは、何かをきっかけにメジャーデビューや大物アーティストのコーラスなどの可能性だってある。そういう夢を持った子の、音楽・エンタメにつながる就労支援までを児童デイでやりたいという大きな夢があります。

1日通して子どもが主役になるフェスも企画中です。音楽をやっている仲間たちと協力して、障がいがある子もない子もみんなが輝ける歌やダンスの発表の場をつくります。

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▲練習中の女子野球部のみんなと。生徒の無茶振りにこたえて、すてきな歌も披露してくださいました!

- 最後に、後輩たちへメッセージお願いします。

自分の人生、自分の好きなようにやっていい!もし2回人生があるなら他人の言うことを聞くけど、1回しかないから好きに生きた方がいいよ、と伝えたいです。

とはいえ、「自分らしく」って意外と分からないですよね。そして分かるのは自分の内側のことだけ。外側はわかってないことが多いけど、社会で見られるのは外側の自分。

だから人に会う。人に会って「あなたってこういう人だね」と言われたり、相手を通して新しい世界が見つかったりすることがあります。

人と人のつながりってすごい。人が人を繋いでくれる。人に会うこと、人との出逢いを大切にして欲しいと思います。

それから、自由に好きに生きていいけど、ある程度の常識やルールは守らないと社会では通用しない、ということは知っておいた方がいい。例えば、挨拶する、物を大事に綺麗に使う、人を傷つけない、など人としての最低限のルールです。

僕は、人のことを悪く言わない、と決めています。人に優しくしたいから、人のいいところを見つけるように心がけています。

学生の頃?ぜんぜんそんな人じゃなかったです。むしろひどかったですよ(笑)でも、自分を信じてくれた人や応援してくれる人のおかげでだんだん変わったんだと思います。

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▲ホワイトボードに残っていたイラストしりとり。「コアラ」の次に広大さんが描いたのは?

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▲新陽の広報・SNSチームの先生たちと作戦会議。良い企画が始まるみたいです!

【編集後記】
先日、取材を受けた際に「校長になって良かったことはなんですか?」と聞かれました。私は「生徒たちの近くにいられること」と答えました。
先生たちのように毎日生徒とコミュニケーションを取ることはなくても、学校にいると生徒の様子が伝わってきたり、ときどき話しかけてくれる子がいたり、そのなかで生徒たちの感動や葛藤を感じる日々がとても幸せです。

3月末にスタートした『週刊新陽〜校長室から』ここまで読んでくださってありがとうございました。来年も新陽の日常や生徒・卒業生の声を届けていきたいと思います。
良いお年をお迎えください。

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