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お釈迦様が生まれてから出家し、修行に出るまでのお話①

前回は、生まれてきた時に【天上天下唯我独尊】と言われた話をしましたが、今回はなぜお釈迦様が出家して修行に出る事になったかのお話をしたいと思います。

お釈迦様は王族の生まれでしたので、何不自由もなく生活が出来てたのですが、生まれて直ぐに母親を亡くしましたが、父親である国王は寂しくないように配慮し、跡取りになってもらう為に様々な教育をさせてました。
お釈迦様は、教えて貰ったことはすぐにマスターし、学問、武術など教えていた先生より、すぐに実力が上回ってしまった為、その先生たちの方から教えることは無いので辞めさせて貰えないですかと言われるくらい飲み込みが早かったそうなんです。

お釈迦様の王国は東西南北に門があるのですが、ある日お釈迦様がお供を連れてお城の東門から出た時に、髪は白く抜け落ち、やせ細って枯れ木のような体で杖をついて歩いている者を見た時に、お供に「あれは何だ?」と尋ねお供は「あれは老人です。人というものは年老いていきます。どんな人もあのような姿にならなければなりません。それは、太子様(お釈迦様)とて例外はありません。どんなに今は若く美しい姿をしていても、やがて歩くのもままならぬようになります。」と答えました。
その時、初めてお釈迦様は、人生には老いの苦しみがあるのだと知る事になりました。

そして、またある日のこと、お供を連れて出掛けようとした時、まえは東の門で老人と出会う事を避けるため南の門から出ると、今度は道端で倒れ込んで、呻き、苦しんでいる姿の者を見てお供に聞きました。
「あの者はなぜあんなに苦しんでいるのか?」
お供が「あれは病人でございます。人は病にかかり苦しまなければなりません。太子様(お釈迦様)とて例外はありません。今はどんなに元気で健康であっても、やがて病に蝕まれる事もあるかも知れません。」と答えました。
そして、初めて人生に病の苦しみがある事を知る事になりました。

そして、またある日のこと、次は老人にも病人に会わないようにする為西の門から出ました。
すると、正面の向こう側から棺を担いだ団体が行列を作って歩いてきました。
太子(お釈迦様)は馬に乗っていたので、棺の中を覗き込んでみると、その棺の中には青白い顔をし、全く動く様子もなく横たわっている人を見て、これまで見てきた老人や病人を見た時より衝撃的でした。
そして、お釈迦様はお供に聞きました。
「あの者はどうしたのだ?」
お供が答えました。
「あれは、死人でございます。人はいずれ死ななければなりません。死ねばあのように動かなくなりいずれ肉体は腐るので焼いて灰にしないとなりません。あの一行は死んだものとの最後の別れの式をしているのです。太子様(お釈迦様)とて例外はありません。」
そして、この時に人は必ずしぬもの。死ねば全てとの別れなければならなくなることを深く知る事になりました。

そして、またある日のこと、次は老人や病人、死人に会わないようにする為北の門から出る事にしました。
髪の毛を剃り、みすぼらしい布で作られた衣を纏ったものが、木の下であぐらをかき瞑想している者を見てお釈迦様がお供に聞きました。
「あの者は何をしておる?」
お供は丁寧に説明しました。
「あの者達は、修行者です。あの者達は、老いや病や死によって全てのものが救われる方法は無いものかと真理を求めて修行しています。それを悟ったものをブッダと呼ぶそうです。彼らは財産や家族、全てのものを捨ててその真理を求めているもの達です。」
そして、お釈迦様は思いました。
「人は、老い、病み、死んでいかなければならない。だとしたら、私が本当に求めるべき事は、老いや病や死を超えた、変わらない何かではないだろうか。いずれ城を出てあの修行者のように変わらぬ真理を求めたい」と強い心が生まれたそうです。

私達も普段の生活の中で、何も考えずに流れるまま生きていくのは楽なのかも知れませんが、お釈迦様のように、【疑問】を持ち深く【考える】事によって、生きていく上で重要な方向性が決まるのではないかと思います。
ただ、1度しかない人生、自分が亡くなる時に後悔しないようにする為には、、、
【疑問を持ち】→【考える】→【意識を変える】→【行動する】→【結果が出る】

また次のお話にも詳しく話しますが、
お釈迦様は、やってみることは大事ですが、諦めることも大事だということ。
どんなに頑張っても出来ないことは出来ない。
ただ、自分が出来ることをやっていけばいい。
人は、得手不得手があるのだからと。

次回は、修行に出るまでのお話②と言うことでよろしくお願いします。

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