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元ダメ海外子女が、帰国後も英語を頑張った理由
私は非英語圏のインターナショナルスクールに通っていた帰国子女です。英語の基礎がないまま渡航し、向こうでも基礎を学ぶ手段がなかったので、当時の環境でできる努力をいくらしても英語が身につかないまま帰国しました。
関連するマガジンです。
私は帰国した後も英語の勉強を続けました。そして、海外にいた時よりずっと順調に英語が上達しました…苦笑。
私は海外にいた時からなぜか文法のミスが少ない方で、日本のいわゆる受験英語ではあまり苦労しませんでした。それで高校時代は周りに「やっぱり帰国子女は英語ができるんだ」という印象を与えつつ、ボロが出ないうちに私の最大の弱点だった発音やリスニングの強化を図り、英語ができる人の印象をどうにかキープしながら高校卒業まで逃げ切った…と言うか、高校を卒業する頃には、当時の高校生としては実際にかなり英語ができるようになっていました。
発音は、海外時代はカタカナ発音しかできなかったのですが(臨界期を過ぎてからいろんな訛りの英語を浴びただけでは、発音は身に付かないんです…)、高校の親切な英語の先生が発音の勉強の仕方を教えてくれたのでその通りにやってみたり、市販の教材やラジオ講座などで勉強したりして、半年ほどかけて発音を矯正しました。リスニングは、帰国した時点ではネイティブの、特にアメリカ人の英語の聞き取りに不慣れでしたが、これもラジオ講座などで徐々に慣らしていきました。
そして私は、いわゆる「英語ができる人」としてその後の人生を生きてきました。数年前まで訳あって10年くらい英語から離れていたのですが、今でも平均的な日本人よりはかなり英語力が上…の筈です。
英語ができて得したことはたくさんあります。仕事で活かせる。洋書が読める。洋画や海外ドラマも、基本的に日本語字幕で観ますが耳からもある程度理解できる。洋楽も、対訳を見なくても英語の歌詞を読めば意味がつかめる(恥ずかしながら、洋楽のリスニングは私にはまだまだハードルが高いです。それに私は日本語の歌でも歌詞があまり頭に入ってこなくて、歌詞を見て初めて意味を理解することがよくあります…)。
でも、帰国後の学生時代、特に高校時代の自分を振り返ってみると、そういうことで得したくて英語を勉強していたわけではないんですよね。結果的にそうなった、という感じです。また海外に行きたいという目標があったわけでもないですし。私が当時英語を頑張ったのは、あまり明るいとは言えない動機からです。
以下、その動機について一つ一つ書いていきたいと思います。
1.中学時代の心の傷を癒すため
何といってもこれですね。詳しいことは上記のマガジンで書いたのですが、とにかく中学時代は英語ができなさ過ぎて、学校では「救いようのないバカで怠け者、どうしようもない落ちこぼれ」という扱いをされていたので…。インターナショナルスクールでは英語力で全てを評価されるところがあるので、いつまでも英語が上達しない生徒はそういう扱いになるんです。
「ちゃんと毎日学校へ行っているのに、十代前半にして学力不足で留年が確定しかける」という、日本ではあり得ない(ですよね?)経験もしましたよ。これについては以下の記事で詳しく書いています。
で、この時期に徹底的に傷つけられ潰され壊された私の心を癒やすには、「英語とは極力関わらないで生きていく。視界にも耳にもなるべく入れないようにする」か、「英語ができるようになって見返す。私はバカではない、とんでもない落ちこぼれなんかじゃない、私でも英語ができるようになれるんだって、身をもって証明してやる」のどちらかしかなかった訳です…って、これはちょっと極端な言い方ですね。苦笑。でも、自分にはその二択しかなかったと、今でも結構本気で思っています。
思春期という多感な時期に、あれだけ英語絡みで散々な目に遭って自我を徹底的に潰されると、もう英語と適度な距離を保って生きていくのは難しい。英語を徹底的に避けるか、英語ができる人になるかのどちらかしかない。そして、その後の環境にも助けられて私が選んだ道は、後者だったわけです。
もし前者だったらどんな人生だったんだろうなあと思います。それはそれで別の道があったのでしょうし、或いはそっちの方が良かった可能性もありますが、でも私は英語を頑張る道を選んで良かったと思っています。その道を選ぶ上では帰国後の環境や周りの人達に随分助けられたので、運が良かったです。全体的に出会い運が悪かった私の人生の中で、数少ない「出会いに恵まれた経験」でしたね。
2.英語が必要な環境でも、文字通りの意味で「生きられる」ように
私は中学時代あまりに辛過ぎて、追い詰められ過ぎて、帰国が先かじさ〇が先か…という状況でした。果たして帰国するまでじさ〇せずに生き延びられるか分からないという…。で、再びそんな状況に陥らないようにするには英語を身につけるしかない、と思ったわけです。渡航時にあまりに英語ができなかったために無理をせざるを得なくて、心身を壊したりもしましたし。
「英語ができないと、こんな風にじさ〇寸前まで追い詰められるんだ。英語ができないことは文字通り致命的なんだ」というちょっと…いやだいぶ偏った考え方を、私は英語に出会って間もない時期に植え付けられたわけです。苦笑。
もうあんな思いはしたくない。英語ができないまま再び似たような環境に放り込まれたら、今度こそじさ〇しないでいられる自信がない。人生何が起こるか分からないのだから、英語力をつけておかなくては危険だ、と思いました。もちろん世界には英語が通じない地域もたくさんありますが、全ての言語を勉強するわけにはいかない以上、何か一つ勉強して命の安全を図るならやはり英語だろうと。で、英語を頑張ったわけです。
3.「帰国子女なら英語ができて当たり前」というプレッシャー
帰国後に入った高校には帰国子女が他にいなくて、正直それがとても嫌だったのですが、英語学習のモチベに関してだけは、唯一の帰国子女であることがプラスの方向に働いてくれました。
周りは「帰国子女と言えば英語がペラペラ!」というステレオタイプのイメージを持っている人ばかりでした。校内唯一の帰国子女ということで最初から目立っていた私は、そのイメージ通りでいないとめちゃくちゃ恥ずかしい!と思い、必死に英語を勉強したわけです。
4.手の悩みを忘れるため
私は高校に入って間もなく、幼い時からあった薬害による手の症状が悪化し、手を使うこと全てが普通にできなくなりました。字を書くときの手の動かし方も分からなくなって一から覚え直したのですが、日本語の文字は種類が多い上に形が複雑なので、神経をすり減らして頑張らないと字が書けず大変でした。
趣味などをやりたくても、できることが非常に限られてしまい、やりたかったこと(楽器)は諦めざるを得ませんでした。いつも頭の中が手の悩みでいっぱいで、日本語で読書をしていても、何をやっていても、手のことが頭から離れませんでした。
詳しいことは以下の記事に書きました。
でも、英語を勉強している時だけは別でした。英語は文字の種類が少ないし文字の形もシンプルなので、短期間の自己流の訓練をしただけで、ほぼ問題なく字が書けるようになりました。それに、手のことで頭を一杯にしながらでも理解できてしまう日本語と違って、英語は集中しないと頭に入ってきません。
英語をやっている時だけは、手の悩みを忘れられる。ハンデを気にしない自分になれる。とりあえず英語を頑張りながら、地道に手のリハビリを続けよう。そう思いました。
要するに、複雑な手の動かし方ができない人間が、逃避のために英語を利用したわけです。でも、これも立派な「英語の活かし方」だと思っています。
ちなみに、大学に入って第2外国語でフランス語をやるようになって気づいたんですが、アルファベットを使う他の言語だと、アルファベットの上に記号がついていることがあるんですよね。フランス語ならアクサン記号とか。これが、手が不自由な私にとっては結構厄介でして…。記号がついていると、書く時の手の動かし方の難易度が上がるんです。英語にはそういうものがないので、助かるなと思いました。
以上、私の明るくない英語学習動機でした。