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ピーテル・パウル・ルーベンス / メトロポリタン美術館
欲望や貪る心はイノベーションの源泉?
「人間は、接触と比較の二つ思考パターンしかない」ローマ史の権威、本村凌二先生の言葉。仏陀の教えの眼鏡をかけて、本村先生の『ローマ史』を読んでみます。
覇権主義的思想を国家の傲慢とみなすのは、近代の思考。領土の拡大によって「接触」が生じ、戦いから奴隷を獲得すれば階級が生まれ、同時に、より優れた文明に「接触」し、これを獲得すればイノベーションが生まれる。より多くを私有しようとする貪る心(仏教で心の三毒、「貪・瞋・痴」)に突き動かされて、こうした「接触」を繰り返す。結果として、貧富差を生むのでしょうが、同時に技術革新や文明の高度化ももたらされました。また、怒りの心「瞋」に突き動かされて、異教徒や異民族を「比較」し、極端な反応としての異教徒の虐殺を繰り返す歴史を重ねてきたように思えます。
仏陀の「人は愚かさにおいて平等である」との教えは、「貪・瞋」を繰り返し、「痴」を覚らない愚かさを指摘しているのかもしれません。とは言え、古代史からのおおよそ1万年で、人類はせいぜい300世代ほどしか世代交代していないと、捉えることもできます(一世代35年とした場合、1万年÷35年)。これは遺伝子の突然変異を期待するには短すぎます。愚行を繰り返すのも進化論的には当然とも思えます。
また、所有欲「貪」に突き動かされて、「接触」を繰り返し、これがイノベーションを生み、人類の進化をもたらしていることも史実だと思います。「貪」(もっと得たい)→「接触」→「知と知の結合(異なる文化の知の統合)」→「イノベーション」のサイクルが、文明の進化の原動力になっているのなら、あながち「貪」を否定することはできないようにも思えます。