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◆濱中史朗氏 ロングインタビューVOL.1

こんにちは、のぶちかです!

さて遂に個人的にも相当楽しみにしていた史朗さんへのインタビューを、先日遂に終えてきました。普段、多くを語らない史朗さんなので史朗さんについては知らない事も多く、しかし強い力を秘めた作域だけに

「なぜこれほどまで人を惹きつけるのか?」

という事に深く迫りたくなり、約3時間に渡るインタビューにお答え頂きました。

そして今回のインタビュー記事は、史朗さんファンの方の為と、まだ史朗さんにお会いした事が無くても好きな方の為に、インタビューの際の空気感や史朗さん感を少しでも文字情報上から感じ取れる様、お答え頂いたインタビューに対し忠実に記しております。少しでもリアル感がお届けできたら嬉しいです。

それではさっそく参りましょう!

濱中史朗氏 ロングインタビュー VOL.1

きっかけ

のぶちか
「陶芸家を志されたきっかけは何かありましたか?」

史朗さん
「えーとねぇ、まぁ兄貴(濱中三郎氏。ファッションブランド『roar』設立者、デザイナー )がやってたっていうのもあるけど、まぁ家が焼物屋だったっていうのと…、まぁ色々重なるよね。まぁ行き場が無かったっていうのもあるけど(笑)。まぁ就職とか大学とかも行ってないし…、まぁ…するならこれ、みたいな強いのが無かったかもしれない…し、まぁ社会性も無いから。」

のぶちか
「いやいやいやいや(笑)」

史朗さん
「そういう…、もう必然的にそうなったっていうか…。」

のぶちか
「なにかこう俗世間に対してとか、例えばもしかしたら東京に居たらまた違ったかとか、萩で見てた景色の中には何かこう興味喚起されるものが少なかったとか、そういう事ってあったんですかねぇ?」

史朗さん
「まぁでも結局、萩がベースだったりするからね。一部というか…大半というか…、あとはまぁ…どうだったんだっけなぁ…、兄貴がまぁでもその陶芸をねぇ1年位してたんだけど、まぁ長男だったっていうのもあったんだろうけど、それででもファッションしたいからって言って出て行ったんだよ。で、出る前に兄貴がそういう事してるっていうので、自分もそういう…、ちょっと追いかけた感じなんやけど(笑)、そのまま出てっちゃったから、結局残った感じ。」

のぶちか
「じゃあ小さい時からお兄様への憧れとか、そういうのがあったんですか?」

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史朗
「うーんとねぇ…、憧れっていう訳じゃなく…、憧れなのかなぁ…?まぁ単純に兄貴がしてるっていうのでなんかこう安心感があったっていうね…(笑)。まぁでも出て行っちゃったわけなんだけど…、それでまぁ他所出るっていう事も考えながらこうしてたけど、で、やっぱ20代の頃は凄い色んな事考えてた。とりあえず何でも『思ってる事しないとまずいな』とかねぇ。萩に居るから、まして他所に出てないから…、まぁどうしよっかっていうところで、1人暮らしも始めたりもしたし、そこでも仕事しようと思ったりもしたけどまぁこっち(実家)に通いながらしたりとかぁ、ただ現状でいるのがまずいって思って自分自身…、将来が無いっていうかねぇ…。」

のぶちか
「今の史朗さんからは全く想像できないですけどねぇ。」

史朗さん
「まぁ今はまともになった方やけど、それまではまぁ当時知ってる人は知ってるけど、まぁやっぱり社会性が無い(笑)…。ちょっとまぁ社会的なそういう…、まぁ自閉的なとこもあったからねぇ当時…。」

のぶちか
「何か大きな影響というか、例えば『世の中嫌だ』みたいな事ってあったんですか?」

史朗さん
「うーん、まずいなっていう意識ばっかし、どっちかって言うとね。まぁ(世の中が)嫌っていうか『生きれるんかな?』みたいに思ったりもした(笑)。」

のぶちか
「へ~!全く想像できないですね~!」

史朗さん
「うーん、でまぁ今これで食べる様にしないともう無いだろうな…、って感じだねぇ。」

のぶちか
「へー!」

史朗さん
「だから居たってっていうのもあるけど、やっぱり出れないからぁ…、まぁここで一生懸命するしかないみたいなところもあってさ。まぁ親にも色々言われてたからねぇ。」

のぶちか
「一度マル(萩の居酒屋)で御一緒させて頂いた時に、『その代わり、陶芸を人一倍頑張ってとか。』

史朗さん
「人一倍っていうのもどこまでが人一倍っていうのか分からんから取り敢えずやってた(笑)。」

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出張料理人、佐々木志年師の助手時代

のぶちか
「10年位陶芸をされてから(出張料理人の)佐々木志年さんの所に1年位助手で行かれてますよねぇ」

史朗さん
「28、9歳とかから1年半位居たんやけど…、誘われてねぇ佐々木さんから。」

のぶちか
「へぇ~。!」

史朗さん
「その前にもうやっぱ萩離れようと思って旅に一応出たんだけど、その最中にそういう話が合って、まぁウチで手伝わないか?みたいな。まぁやっぱり料理っていうのも、まぁ興味あるっていうか、まぁ自分から飛び込む方じゃなかったからそういう別の世界に行けるきっかけがあるっていうのはなかなか無い事だと思ったから、(一度萩に)帰ってそのまま九州に、飯塚(福岡県)に行った。」

のぶちか
「へー!」

史朗さん
「で佐々木さんは出張専門でねぇ、だから店が無いの。で、ストックとか在庫部屋があるんだけど、でもぅ器とか色んなものが凄いあって、その出張先にその器とか道具を持って行って食事会するというのが主体…、まぁ全国でね。で、東北だったら東北の古い器とか。本当に色んなものがある(笑)。それで古い物とか、現地ではそこの作家さんの器を借りたりとか、織り交ぜてやったりしてる…、それのサポートみたいな。」

のぶちか
「その時には史朗さんが作られた器なんかもちょっとこう…」

史朗さん
「いやいやさっぱり、だって何もしてないし。一回ねぇ飯塚の近くで信楽やってる人が居てぇ、そこでロクロ一回引いたぐらいかなぁって(笑)。で別にそれを使う訳じゃないんだけどね。」

のぶちか
「じゃあもう本当に助手って感じで…、料理補助だったりとか…?」

史朗さん
「もう完全に補助だよね。自分の器はそこには無いよね。」

のぶちか
「出会いはその先ほどの旅先だったんですか?」

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史朗さん
「出会いはねぇ、その前にウチに(佐々木さんが)来て。ウチの知り合いのギャラリーで料理会をしてた事があって。それの流れでウチに(佐々木さんが)来て、それで(自分が)旅に出て…、で帰ったら(佐々木さんが)『ウチを手伝ってみないか?』って言われて、飯塚行った時に初めて料理出されて、初めて通しで出してもらって…。で、そのまんま(佐々木さんの助手になって)、もう本当にお金も無いし住まいも…、車も全部売り払って…(※しばしここから過去の経緯を確認されて…)、まぁどっちにしてもそん時はお金が無かった(笑)。(住む場所と食べるものは佐々木さんにお世話になっていたけどほぼ無給で助手をしていたので)だんだん(自分のお金も)無くなってきて『こりゃあ無理やな』って!(笑)」

のぶちか
「ハハハハハ!」

史朗さん
「佐々木さんは全部使っちゃう(笑)。骨董屋行って骨董買ったりとかね。」

のぶちか
「へぇ~、古物好きなんですね~。」

史朗さん
「古物とかね、まぁ器でもさぁ古物使ったりするからさぁ、普通に古物も使うしぃ、魯山人使ったり河井寛次郎使ったりっていうのも…、料理会で出したり…。」

のぶちか
「へー!ちょっと調べましたら周富徳に『料理の鉄人』で勝ってるんですよね?」

史朗さん
「そん時まだ会ってない。」

のぶちか
「(佐々木さんは)腕は一流なのに非常に孤高の存在というか」

史朗さん
「うんうん、変人、変人なんよ。」

のぶちか
「変人(ちょっと遠慮気味に笑)!へ~…。」

史朗さん
「元々ねぇ、吉兆に丁稚で入ってね、16(歳)とかで入って、そん時に下足番しててぇ、バーナード・リーチとか棟方志功が来てたって言ってた(笑)。で、それも何年かして二十歳位で独立してぇ、まぁその間は長崎のしっぽく料理とか九州で一日一客のお店をしたのが3年かその位で、でその後に出張専門になっていった…。」

のぶちか
「へぇ~、ふんふん。」

史朗さん
「まぁ遍歴っていうかぁ…、変(笑)?」

のぶちか
「(ちょっと遠慮気味に)ハハハ(笑)。」

史朗さん
「まぁ普通の人じゃない…。で、料理会やるとえっとねぇ他の料理人の人が手伝いに来てた。」

のぶちか
「じゃぁもう勉強みたいな感じで?」

史朗さん
「勉強で来る人が何人か居たね。割烹の人とか。」

のぶちか
「ほ~…。えっと1年という区切りには何かあったんですか?」

史朗さん
「うーん、まぁ最初は何年とかって言われてたんやけど…途中またなんか…伸びてぇ(笑)、まぁ居て欲しかったんやと思うんやけど、まぁサポート的にも一人って難しいし…。それでまぁ1年半でそういうきっかけがあってやめる事になった。」

のぶちか
「へぇ~…。」

史朗さん
「でやめても何も無いからウチで働いて(笑)、取り敢えず『稼ごう!』と(笑)。まず、金が無い(笑)。か、もう思い切って出る…(笑)、一文無しで出るか?っちゅう…(笑)」

のぶちか
「へぇ~…。」

史朗さん
「もうだいぶ前の話やけどね…。20年…前…。」

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のぶちか
「佐々木さんの所で見聞きされて学ばれた事の中から、その後の制作とかに影響があったものだとか、なんか『あの一年良かったな』って思った所とかって色々あるんじゃないかって思うんですけど…?」

史朗さん
「……そうだなぁ…、おもてなしとかね…、まぁ今は特別しないけど、帰った当初はねぇそういうおもてなしっていうかまぁ…、作法的なものよね、まぁお茶だしたりとかしつらえとかね…、そういうのはちょっとしてたけど、で、展示もねぇそういう…なんて言うのかなぁ、えっと自分の個展という訳じゃなくそういう場の雰囲気のイベントの中でやる時に、そういうしつらえ的なインスタレーションをしたりとかね。自分が(個展をする)っていうあれじゃない時の(イベントでは)、っていうのはそん時はすごく出てきた。この学んできた事って言うか、見た事がそのままこう出たんかもしれんねぇ…。」

のぶちか
「ぁぁぁ…、なるほど~…。」

史朗さん
「なんか料理会でも…、そのぅ…、七夕の日、宮城の温泉旅館があって料理会したんやけどぅ…、(佐々木さんから)『竹を何本か切ってきてくれ』って言われて(笑)。『それをこの広い場所に立ててくれ』って言われて立てて…、で団扇に佐々木さんが絵を描いてぇ、まぁそういうあの舞台的な仕事はした。まぁ簡単な…、切って設置したりとか…、まぁそういうしつらえとかね。……まぁやれって言われた事をやってただけなんだけどね(笑)」

のぶちか
「(深く)へぇ~~~。」

史朗さん
「まぁある程度ものが作れたからさ…。『竹切って』って言われても裏山で切ってる経験もあるし、ここの(御実家の裏山の指差しながら)&(笑)。だから何かと大工仕事もある程度できる。」

のぶちか
「(感心した様に)へー!」

※ここで愛犬のモクレンちゃん登場で場が和み、しばし休憩。

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★濱中史朗作品はこちら⇩


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